昨日の岩手・宮城地震での大規模な山崩れを見て、やはり自然の力の前には人間は無力だと思いました。人間はもっと自然に対して謙虚になる必要があると思います。
さて、「晴れた日には巨大仏を見に」が面白かった宮田珠己さんの'01年作品「東南アジア四次元日記」を読みました。著者が10年間のサラリーマン生活を捨て、フリーライターになるべく40万の予算で半年ばかり東南アジアで面白いものを探す旅の日記です。
宮田さんはみうらじゅんさんが見たら喜びそうなものが大好きで、意味不明のもの、ちょっとこれここにあったらまずいんじゃないのってもの、あるいは視点を変えると突然不思議な物体と化すものを独特の嗅覚で見つけだし、本で数多く紹介してくれてます。
国的にはミャンマーが一番不思議なものに溢れているのですが、ここではタイの地獄を立体的に表現した寺ワット・ラナロンウアを紹介します。入り口を入ると、数人の体型バランスがでたらめの男たちが、横たわる1人の僧侶にサッカーボール大の石を寄ってたかって投げつけてる像に迎えられ、次がケルンのような石を積んで作った柱の上にドラム缶を押し上げてる男の像(何の罪を犯しているのかは不明)。ワニと虎に前後をはさまれ、ひえ~という顔をしているピンク色の少女の像。女を張り倒して背中から馬乗りのなっている男の像。うんこする男とうんこを掃除するもうひとりの男の像。(著者はお寺なんだから、うんこだけはやめてくれ~、と心の中で叫んでいました。)そしていよいよ地獄絵図へ。大男が大きな釜に死者は放り込んでいる釜ゆで地獄。釜の中には血まみれになった死者がうごめき、釜の周囲には骸骨になった死者が茫然と立ち尽くしています。次は逆さ吊りにされコンドルに体をついばまれている死者ですが、発狂したのかこの死者は笑っています。そして次は2m以上もある白い死者がひょろひょろと林のように立ち並んでいます。死者は痩せてあばらが浮き出て、体のあちこちから出血し、しかも頭が2つあったり、首が折れて背中にくっついたりと、おそらく生前の行ないの報いを受けているだろう死体も目立ちました。後は、鳥男、牛男、亀男、顔が足の裏男、腹が顔の男といった半分動物(?)になった、生前に動物を虐待したと思われる男たちの像、針の木を登らされ、犬に襲われている男、高さが10mぐらいあるひょろ長い、全身が発疹で覆われている男女、本当に痛そうな、大きなノコギリで体を真ん中から真っ二つに着られている男などがありました。
著者はこの旅に対して、面白いものを沢山見れて充実感で一杯だと述べています。そしてあとがきではこのように述べています。「実際に旅をしていながら、ここではないどこか別の世界を求めているような旅だった。」「まったく理解できない何者かに出会って混乱するような経験、つまりそれが発見というものであるなら、現代の旅の中では発見がほとんどなくなってしまっている。それはガイトブックを持っていくとかいかないとかいうレベルの話ではなく、テレビや映画、雑誌などの情報によって世界の大枠が見えてしまっているということである。」「私はさまよう快感を探してさまよってきたのは、失われてしまった旅の感じをせめて想念の中で味わいたかったからなのかもしれない。」実際、著者は意味不明なものに出会うと狂喜し、まぬけなものに出会うとニンマリし、それまで人が明確な意味を見出せなかったものに出会うことが旅の喜びと感じているようでした。
この「東南アジア四次元日記」は写真も豊富に掲載されていて、著者が実際に見て来たものを写真として見ることができます。そういった点でもとても楽しい本でした。無条件にオススメです。
さて、「晴れた日には巨大仏を見に」が面白かった宮田珠己さんの'01年作品「東南アジア四次元日記」を読みました。著者が10年間のサラリーマン生活を捨て、フリーライターになるべく40万の予算で半年ばかり東南アジアで面白いものを探す旅の日記です。
宮田さんはみうらじゅんさんが見たら喜びそうなものが大好きで、意味不明のもの、ちょっとこれここにあったらまずいんじゃないのってもの、あるいは視点を変えると突然不思議な物体と化すものを独特の嗅覚で見つけだし、本で数多く紹介してくれてます。
国的にはミャンマーが一番不思議なものに溢れているのですが、ここではタイの地獄を立体的に表現した寺ワット・ラナロンウアを紹介します。入り口を入ると、数人の体型バランスがでたらめの男たちが、横たわる1人の僧侶にサッカーボール大の石を寄ってたかって投げつけてる像に迎えられ、次がケルンのような石を積んで作った柱の上にドラム缶を押し上げてる男の像(何の罪を犯しているのかは不明)。ワニと虎に前後をはさまれ、ひえ~という顔をしているピンク色の少女の像。女を張り倒して背中から馬乗りのなっている男の像。うんこする男とうんこを掃除するもうひとりの男の像。(著者はお寺なんだから、うんこだけはやめてくれ~、と心の中で叫んでいました。)そしていよいよ地獄絵図へ。大男が大きな釜に死者は放り込んでいる釜ゆで地獄。釜の中には血まみれになった死者がうごめき、釜の周囲には骸骨になった死者が茫然と立ち尽くしています。次は逆さ吊りにされコンドルに体をついばまれている死者ですが、発狂したのかこの死者は笑っています。そして次は2m以上もある白い死者がひょろひょろと林のように立ち並んでいます。死者は痩せてあばらが浮き出て、体のあちこちから出血し、しかも頭が2つあったり、首が折れて背中にくっついたりと、おそらく生前の行ないの報いを受けているだろう死体も目立ちました。後は、鳥男、牛男、亀男、顔が足の裏男、腹が顔の男といった半分動物(?)になった、生前に動物を虐待したと思われる男たちの像、針の木を登らされ、犬に襲われている男、高さが10mぐらいあるひょろ長い、全身が発疹で覆われている男女、本当に痛そうな、大きなノコギリで体を真ん中から真っ二つに着られている男などがありました。
著者はこの旅に対して、面白いものを沢山見れて充実感で一杯だと述べています。そしてあとがきではこのように述べています。「実際に旅をしていながら、ここではないどこか別の世界を求めているような旅だった。」「まったく理解できない何者かに出会って混乱するような経験、つまりそれが発見というものであるなら、現代の旅の中では発見がほとんどなくなってしまっている。それはガイトブックを持っていくとかいかないとかいうレベルの話ではなく、テレビや映画、雑誌などの情報によって世界の大枠が見えてしまっているということである。」「私はさまよう快感を探してさまよってきたのは、失われてしまった旅の感じをせめて想念の中で味わいたかったからなのかもしれない。」実際、著者は意味不明なものに出会うと狂喜し、まぬけなものに出会うとニンマリし、それまで人が明確な意味を見出せなかったものに出会うことが旅の喜びと感じているようでした。
この「東南アジア四次元日記」は写真も豊富に掲載されていて、著者が実際に見て来たものを写真として見ることができます。そういった点でもとても楽しい本でした。無条件にオススメです。
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