gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

高野秀行『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』

2022-01-02 06:41:00 | ノンジャンル
 高野秀行さんの2016年作品『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』を読みました。
 その中から何か所か、書き出させていただくと、

・納豆はこれほど単純な食べ物なのにわからないことだらけだ。だいたい「納豆」という言葉の語源からして不明である。お寺の「納所(なっしょ)」で作られたからなどともっともらしい説があるが、「納所」とは会計や庶務を行う事務所のことで、そんな場所で食べ物を作るはずがない。

・「納豆はわからないことばかり」とは、80年代に納豆からタンパク質分解酵素のナットウキナーゼを発見し、現在に続く納豆健康ブームのきっかけを創った倉敷芸術科学大学の須見洋行(すみひろゆき)教授も言っていた。
 須見はもともと血栓を溶かすウロキナーゼという物質の研究を行っていたが、たまたま納豆を血栓のもとであるフィブリンというたんぱく質にのせてみたところ、ウロキナーゼよりはるかに早いスピードで血栓を溶かしてしまった。驚愕した須見先生は納豆に血栓溶解酵素が含まれることを明らかにし、ナットウキナーゼと名付けた。

・(ネパールでは)現在、公式には「カーストはない」ことになっている。ところが、ネパールでは目に見える形で存在する。驚くことにネパール人は日本の「苗字」にあたる部分がカースト名なのだ。ヒンドゥー教徒以外の人々(全人口の二割くらい)は民族名や宗教名が「カースト」とされる。

・「アジアの納豆民族は全て国内マイノリティで辺境の民である」という私の仮説が現実味を帯びてきた。

・蝦夷は後のアイヌとは別の民族だと推測されている。大和朝廷に従わない複数の民族ではないかという(そのうちの一つが後にアイヌ民族となったのかもしれない。)ただ、「通訳をつかった」という記録が残っているので、日本語とは系統を異にする言語を話す民族、つまり異民族が含まれていたと思われる。
 蝦夷は朝廷によって二種類に分けられていた。朝廷の支配に属する者は「俘囚(ふしゅう)」と呼ばれ、朝廷に服従しない蝦夷と区別されていた。

・さて、叛乱の度に中央政府から政府軍が征伐に行く。だが、地の利を得ない政府軍は大軍をもってしても現地の少数民族を制圧できず、大苦戦を繰り返す。結局、政府軍がとる手段は少数民族の分断工作だ。

・征夷に駆り出された莫大な数の兵士は大半は「坂東武者」、つまり関東の人間だったからだ。征夷の兵だけではない。九州北部と同じように、岩手や秋田に常駐する「防人(さきもり)」も関東から募られた。関東から蝦夷居住区への移住も盛んに進められた。
 関東と東北の行き来は現代人も驚くほど頻繁だったらしい。
 もう一つ。蝦夷は優れた馬を持ち、馬術にひいでていることで有名だった。それにかろうじて対抗できる馬を持ち、馬術を身につけているのは関東の武士だけだと思われていた。

 いつものように楽しい高野ワールドが展開されていて、一気に読んでしまいました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿