川上未映子さんの'11年作品『すべて真夜中の恋人たち』を読みました。
わたしが大学を卒業して就職した会社を辞めたのは、3年前の4月の終わりでした。そこは小さな出版社で、わたしはその会社の校閲者でした。人とふつうに会話することさえうまくできないわたしは、次第に会社の中で誰にも声をかけられなくなり、陰口を叩かれるようになっていきました。そんな折り、わたしが入社してから数年がたったころに独立した恭子さんが、いきなり電話をかけてきて、恭子さんと仕事をしている大手の出版社がフリーランスの校閲者を探していると言うのです。わたしはその場でその申し出を受けました。
石川聖は、恭子さんが紹介してくれた大手出版社の社員で、その巨大な会社の校閲局に所属していました。頭の回転がはやくて、その場の雰囲気をさっと見極め、ときには気の利いた冗談を言って相手を笑わせたりもできる女性でした。聖とわたしはおなじ年で、おなじ長野県の出身でした。それらをのぞけばわたしたちのあいだに共通点と呼べそうなものはひとつもみあたらなかったのに、どういうわけか聖はわたしにとても親切にしてくれ、仕事で顔をあわせるようになって1年が過ぎたころ、会社はどうなの、と聖がきいてきました。わたしが職場で孤立していることを話すと、だったらフリーランスでやるのもありかもしれないよね、という聖が言ってくれ、わたしは会社を辞めて、フリーランスの校閲者になることに決めました。
いまから9年前の冬、25歳の誕生日にわたしはふと、真夜中を歩いてみようと思いました。クリスマスイブの夜は美しく、それから毎年、誕生日の夜に、わたしは散歩にでるようになりました。
やがて缶ビール1本、日本酒なら1合を飲むだけで、わたしはいつものわたしではなくなることができるようになりました。ある日、自室で横になっていた時、ふと目にとまったカルチャーセンターの総合案内誌を読み始めたわたしは、そこにあるべき誤植がまったくないことに気付きます。わたしはカルチャーセンターがどういう雰囲気をしているものなのかをみに行き、受け付けの順番を待つ間、トイレに行ってトートバッグから魔法瓶をとりだして日本酒をがぶりとあおり、やってきた眠気を払うため、廊下にあった自動販売機でブラックの缶コーヒーを買って一気に飲みました。受け付けに呼ばれたわたしは、急に吐き気に襲われ、トイレに駆け込もうとしましたが、間に合わず、ドアの前で自分の手の中に吐いてしまいます。そして男性トイレから出てきた男にぶつかってしまうのでした。トイレの中でぞうきんを手に入れ、床をぬぐい、気分も落ち着いた私はロビーで新しい順番を待ちましたが、はす向かいのソファに座った男の人がさっきからこちらをちらちらみているのに気づきます。もしかしたらそれはさっきトイレでぶつかった男性で、わたしの吐いたもので服を汚したのかもしれないと思い、わたしは意を決してその男性の元に向かうと、それはやはりあの男性でした。男性はわたしのことを心配してくれていて、50代半ばくらいにみえました。つぎの日曜日、わたしは新しいぞうきんを持って新宿のカルチャーセンターへでかけ、そしてまたあの男性に出会います。わたしはぞうきんを弁償しに来たと言いながら、ソファに眠りこんでしまい、目がさめると教室からは大勢の人がでてきて、その中にあの男性もいました。男性から声をかけられたわたしは、自分のトートバッグがなくなっていることに気づき、男性に付き添われて警察に盗難届けを出し、地下鉄の駅まで一緒に二人とも黙ったまま、歩きました。別れ際、男性はわたしに帰りの汽車賃として千円を貸してくれ、来週カルチャーセンターへ返しにきてくれればいいと言い、お互いに名前を名乗り、わたしは男性の名が三束さんであることを知るのでした‥‥。
途中から三束さんとわたしが真夜中を散歩して終わると確信していたので、そこで小説がまだ終わらずに、悲しいラストを迎えたことにショックを受けました。それにしても未映子さんは「けれど」という言葉を使う達人であると再認識しましたし、「はい」で素朴につないでいく会話も大変魅力的だったことを付け加えておきたいと思います。川上さんのこれまでの最高傑作なのではないでしょうか。なおあらすじの詳細を知りたい方は、私のサイト(Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto))の「Favorite Novels」の「川上未映子」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。
→Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
わたしが大学を卒業して就職した会社を辞めたのは、3年前の4月の終わりでした。そこは小さな出版社で、わたしはその会社の校閲者でした。人とふつうに会話することさえうまくできないわたしは、次第に会社の中で誰にも声をかけられなくなり、陰口を叩かれるようになっていきました。そんな折り、わたしが入社してから数年がたったころに独立した恭子さんが、いきなり電話をかけてきて、恭子さんと仕事をしている大手の出版社がフリーランスの校閲者を探していると言うのです。わたしはその場でその申し出を受けました。
石川聖は、恭子さんが紹介してくれた大手出版社の社員で、その巨大な会社の校閲局に所属していました。頭の回転がはやくて、その場の雰囲気をさっと見極め、ときには気の利いた冗談を言って相手を笑わせたりもできる女性でした。聖とわたしはおなじ年で、おなじ長野県の出身でした。それらをのぞけばわたしたちのあいだに共通点と呼べそうなものはひとつもみあたらなかったのに、どういうわけか聖はわたしにとても親切にしてくれ、仕事で顔をあわせるようになって1年が過ぎたころ、会社はどうなの、と聖がきいてきました。わたしが職場で孤立していることを話すと、だったらフリーランスでやるのもありかもしれないよね、という聖が言ってくれ、わたしは会社を辞めて、フリーランスの校閲者になることに決めました。
いまから9年前の冬、25歳の誕生日にわたしはふと、真夜中を歩いてみようと思いました。クリスマスイブの夜は美しく、それから毎年、誕生日の夜に、わたしは散歩にでるようになりました。
やがて缶ビール1本、日本酒なら1合を飲むだけで、わたしはいつものわたしではなくなることができるようになりました。ある日、自室で横になっていた時、ふと目にとまったカルチャーセンターの総合案内誌を読み始めたわたしは、そこにあるべき誤植がまったくないことに気付きます。わたしはカルチャーセンターがどういう雰囲気をしているものなのかをみに行き、受け付けの順番を待つ間、トイレに行ってトートバッグから魔法瓶をとりだして日本酒をがぶりとあおり、やってきた眠気を払うため、廊下にあった自動販売機でブラックの缶コーヒーを買って一気に飲みました。受け付けに呼ばれたわたしは、急に吐き気に襲われ、トイレに駆け込もうとしましたが、間に合わず、ドアの前で自分の手の中に吐いてしまいます。そして男性トイレから出てきた男にぶつかってしまうのでした。トイレの中でぞうきんを手に入れ、床をぬぐい、気分も落ち着いた私はロビーで新しい順番を待ちましたが、はす向かいのソファに座った男の人がさっきからこちらをちらちらみているのに気づきます。もしかしたらそれはさっきトイレでぶつかった男性で、わたしの吐いたもので服を汚したのかもしれないと思い、わたしは意を決してその男性の元に向かうと、それはやはりあの男性でした。男性はわたしのことを心配してくれていて、50代半ばくらいにみえました。つぎの日曜日、わたしは新しいぞうきんを持って新宿のカルチャーセンターへでかけ、そしてまたあの男性に出会います。わたしはぞうきんを弁償しに来たと言いながら、ソファに眠りこんでしまい、目がさめると教室からは大勢の人がでてきて、その中にあの男性もいました。男性から声をかけられたわたしは、自分のトートバッグがなくなっていることに気づき、男性に付き添われて警察に盗難届けを出し、地下鉄の駅まで一緒に二人とも黙ったまま、歩きました。別れ際、男性はわたしに帰りの汽車賃として千円を貸してくれ、来週カルチャーセンターへ返しにきてくれればいいと言い、お互いに名前を名乗り、わたしは男性の名が三束さんであることを知るのでした‥‥。
途中から三束さんとわたしが真夜中を散歩して終わると確信していたので、そこで小説がまだ終わらずに、悲しいラストを迎えたことにショックを受けました。それにしても未映子さんは「けれど」という言葉を使う達人であると再認識しましたし、「はい」で素朴につないでいく会話も大変魅力的だったことを付け加えておきたいと思います。川上さんのこれまでの最高傑作なのではないでしょうか。なおあらすじの詳細を知りたい方は、私のサイト(Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto))の「Favorite Novels」の「川上未映子」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。
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