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山田宗樹『百年法』その2

2013-11-16 07:30:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 遊佐は部下と話しています。「生存制限法が永遠に凍結されたままということはあり得ない。1日も早く生存制限法を施行することで社会の新陳代謝を促し、この国の崩壊を防ぎ、復活させる」 町を歩く蘭子は空気が変わったことを実感していました。皆の表情が明るい。蘭子はいきつけのバーで由基美と命が永遠に続くことについて論議していました。一方、戸毛は明るい気持ちで木場を追っていましたが、突然記憶が甦り、銃把で木場の頭をめった打ちにして殺し、自分が母を殺したことを思い出しました。
 遊佐は部下だった立花と話し、強力なリーダーを作り出す必要があると話し、牛島の名前を出します。遊佐は牛島に下で働かせてくれと頼み、牛島なら皇帝にもなれると持ち上げ、了承されます。
 2076年の新年、都心の広場Rスクエアでアイズを使い交信を受けていた仁科ケンは、違法な戸籍ともなるゴーストIOを手に入れようとしますが、由基美に邪魔されます。彼女はケンの見張り役をケンの母である蘭子から頼まれていたのでした。仁科ケンは大学の仲間とゴーストIDについて話した後、阿那谷童仁に助けられた元刑事・戸毛が実在するということをネットで調べて、今年YCに出頭することになっていた蘭子のためにゴーストIDを手にいれようとしていました。
 日本共和国は、2076年に入っても空前の好景気に沸いていました。配達の仕事をしていた仁科ケンは、配達先で阿那谷童仁を名乗る男からゴーストIDを贈られますが、受取を断ります。帰宅してその話を蘭子にすると、蘭子はケンの行いが正しかったと言ってくれましたが、蘭子が阿那谷童仁について何か知っているのではという疑念を持ちます。そして蘭子はケンに遺書を書きます。「2048年の国民投票で、百年法が一旦凍結されて、その直後に自殺する人が急増したことは話したと思う。でも増えたのは無差別殺人もだった。若い人は百年法に望みを託していた。そんな時、あたしがあんたの父さん、木場ミチオに出会った。百年法凍結から1年経ち、若者たちの不満はデモという形となり、国内が大混乱に陥った。〈2049年の危機〉だ。すべての元凶が百年法の凍結にあると皆分かっていたが、政治家は保身に走る者ばかりだった。そこで注目されたのが、新時代党首の牛島だった。2050年の共和国広場における彼の演説は伝説となり、選挙では名誉職である大統領に牛島氏が当選し、議会でキャスティングボードを握った新時代党は遊佐を首相とすることに成功した。牛島大統領は『大統領の任期を4年とし、再選は不可。ただし、議会が認めた場合に限り、4年単位で延長できる』などの改正案を国民投票で可決させ、新たに『新百年法』(4年後の2054年から生存制限法を施行)、『生存延長税法』(一定の金額を税金として国庫に納めれば、生存期間を延長できる)、『大統領特例法』(大統領がとくに認めた場合、生存制限法の適用を免除する)も定めた。『大統領特例法』により、政治家は皆大統領に従わざるを得なくなり、牛島氏は事実上、終身大統領になり、遊佐氏との独裁政権が確立されたのだ。木場ミチオは、百年法の、初年度の適用対象者だった。そして自分のことをいろいろ語り始めた。当時〈1987年3月14ニ阿智、共和国は滅亡する〉という噂が流れていたが、木場はその2年半前に秋水啓司という男と再会していた。16年後の1999年に阿那谷童仁として絞首刑になった男だ。木場と彼は軍隊で同期だった。軍で〈爆弾の魔術師〉の異名を持っていた木場に対し、秋水は国外の反政府ゲリラの人格者、アルナータ・ド・ウジム大佐にインタビューした話をし、死の存在の大事さを解き、翌朝には木場を睡眠薬で眠らせ『きょう一日、外に出るな』と置き手紙をして先に出発していた。その日、日本全国12の都市で爆弾テロが発生し、報道各社への犯行声明の差出人は「阿那谷童仁」とされていた。事件発生から4週間後、秋水はあっけなく逮捕され、押収された証拠から仲間も次々に逮捕された。秋水は自分が阿那谷と認めたが、人々は認めなかった。こんなに簡単に捕まるはずがない。影武者説はこのようにして生まれた。やがて裁判で秋水は阿那谷童仁という英雄的人物が別にいて、彼の命令で動いているということにされた。阿那谷童仁とは、アルナータ・ド・ウジムの名を原語に忠実に発音して、そこに漢字を当てはめたものに過ぎないということも。(また明日へ続きます‥‥)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

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