日本のマスコミは衆議院選挙の話題で盛り上がっていますが、国外に目を移すと、クルド族の独立宣言が最大の注目点だと私は思います。一つの民族が一つの国家を作ることができるという“民族自決権”という考えが広まったのは、第一次世界大戦後のことでしたが、もう一度この“知恵”に戻って考えるべき時に来ているのではないでしょうか。
さて、また昨日の続きです。
・「理想的兵卒はいやしくも上官の命令に絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち、理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ」
・「軍事教育というものは畢竟(ひっきょう)ただ軍事用語の知識を与えるばかりである。その他の知識や訓練は何も特に軍事教育を待った後に得られるものではない。現に海陸軍の学校さえ、機械学、物理学、応用化学、語学等はもちろん、剣道、柔道、水泳等にもそれぞれ専門家をやとっているではないか? しかもさらに考えて見れば、軍事用語も学術用語と違い、大部分は通俗的用語である。すると軍事教育というものは事実上ないものと言わなければならぬ。事実上ないものの利害得失はもちろん問題にならぬはずである。
・「われわれ日本人の二千年来君に忠に親に孝だったと思うのは猿田彦命(さるたひこのみこと)もコスメティックをつけていたと思うのと同じことである。もうそろそろありのままの歴史的事実に徹して見ようではないか?」
・「恋愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、あるいはどういう男を愛したかを考え、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである」
・「われわれを恋愛から救うものは理性よりもむしろ多忙である。恋愛もまた完全に行なわれるためには何よりも時間を持たなければならぬ。ウェルテル、ロミオ、トリスタン------古来の恋人を考えて見ても、彼らは皆閑人(ひまじん)ばかりである。
・「男子は由来恋愛よりも仕事を尊重するものである」
・「たれも自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。実はたれも肚(はら)の底では少しも自由を求めていない。その証拠には人命を奪うことに少しも躊躇しない無頼漢でさえ、金甌無欠の国家のために某某(ぼうぼう)を殺したと言っているではないか? しかし自由とはわれわれの行為になんの拘束もないことであり、すなわち神だの道徳だのあるいはまた社会的習慣だのと連帯責任を負うことを潔しとしないものである」
・「ほんとうらしい小説とは単に事件の発展に偶然性の少ないばかりではない。おそらくは人生におけるよりも偶然性の少ない小説である」
・「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ」
・「女は情熱に駆られると、不思議にも少女らしい顔をするものである。もっともその情熱なるものはパラソルに対する情熱でもさしつかえない」
・「文を作るに欠くべからざるものは何よりも創作的情熱である。そのまた創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりもある程度の健康である。スウェエデン体操式、菜食主義者、複方ジアスタアゼ等を軽んずるのは文を作らんとするものの志ではない」
・「文を作らんとするものはいかなる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持っていかなければならぬ」
・「最も貧しい処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」
・「最も困難な芸術は自由に人生を送るはずである。もっとも『自由に』という意味は必ずしも厚顔にという意味ではない」
・「ビュルコフのトルストイ伝を読めば、トルストイの『わが懺悔』や『わが宗教』のうそだったことは明らかである。しかしこのうそを話しつづけたトルストイの心ほどいたましいものはない。彼のうそは余人の真実よりもはるかに紅血(こうけつ)をしたたらしている」
・「われわれに武器を執らしめるものはいつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である」
・「われわれの生活に欠くべからざる思想はあるいは『いろは』短歌に尽きているかもしれない」
・「遺伝、境遇、偶然、……われわれの運命をつかさどるものは畢竟(ひっきょう)この三者である。自ら喜ぶものは喜んでもよい。しかし他を云々(うんぬん)するのは僭越である」
・「他をあざけるものは同時にまた他にあざけられることを恐れるものである」
・「人間的な、あまりに人間的なものはたいていは確かに動物的である」
「われわれ人間の特色は神の決して犯さない過失を犯すということである」
大正12年から昭和2年にかけて、芥川が最晩年の頃に書いたものだそうですが、少しも古びたところがなく、勉強になる鋭い指摘もいくつかありました。公共図書館に行くと、「大活字本シリーズ」というのが置いてあると思うので、それで読むと楽に読めるかもしれません。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、また昨日の続きです。
・「理想的兵卒はいやしくも上官の命令に絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち、理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ」
・「軍事教育というものは畢竟(ひっきょう)ただ軍事用語の知識を与えるばかりである。その他の知識や訓練は何も特に軍事教育を待った後に得られるものではない。現に海陸軍の学校さえ、機械学、物理学、応用化学、語学等はもちろん、剣道、柔道、水泳等にもそれぞれ専門家をやとっているではないか? しかもさらに考えて見れば、軍事用語も学術用語と違い、大部分は通俗的用語である。すると軍事教育というものは事実上ないものと言わなければならぬ。事実上ないものの利害得失はもちろん問題にならぬはずである。
・「われわれ日本人の二千年来君に忠に親に孝だったと思うのは猿田彦命(さるたひこのみこと)もコスメティックをつけていたと思うのと同じことである。もうそろそろありのままの歴史的事実に徹して見ようではないか?」
・「恋愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、あるいはどういう男を愛したかを考え、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである」
・「われわれを恋愛から救うものは理性よりもむしろ多忙である。恋愛もまた完全に行なわれるためには何よりも時間を持たなければならぬ。ウェルテル、ロミオ、トリスタン------古来の恋人を考えて見ても、彼らは皆閑人(ひまじん)ばかりである。
・「男子は由来恋愛よりも仕事を尊重するものである」
・「たれも自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。実はたれも肚(はら)の底では少しも自由を求めていない。その証拠には人命を奪うことに少しも躊躇しない無頼漢でさえ、金甌無欠の国家のために某某(ぼうぼう)を殺したと言っているではないか? しかし自由とはわれわれの行為になんの拘束もないことであり、すなわち神だの道徳だのあるいはまた社会的習慣だのと連帯責任を負うことを潔しとしないものである」
・「ほんとうらしい小説とは単に事件の発展に偶然性の少ないばかりではない。おそらくは人生におけるよりも偶然性の少ない小説である」
・「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ」
・「女は情熱に駆られると、不思議にも少女らしい顔をするものである。もっともその情熱なるものはパラソルに対する情熱でもさしつかえない」
・「文を作るに欠くべからざるものは何よりも創作的情熱である。そのまた創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりもある程度の健康である。スウェエデン体操式、菜食主義者、複方ジアスタアゼ等を軽んずるのは文を作らんとするものの志ではない」
・「文を作らんとするものはいかなる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持っていかなければならぬ」
・「最も貧しい処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」
・「最も困難な芸術は自由に人生を送るはずである。もっとも『自由に』という意味は必ずしも厚顔にという意味ではない」
・「ビュルコフのトルストイ伝を読めば、トルストイの『わが懺悔』や『わが宗教』のうそだったことは明らかである。しかしこのうそを話しつづけたトルストイの心ほどいたましいものはない。彼のうそは余人の真実よりもはるかに紅血(こうけつ)をしたたらしている」
・「われわれに武器を執らしめるものはいつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である」
・「われわれの生活に欠くべからざる思想はあるいは『いろは』短歌に尽きているかもしれない」
・「遺伝、境遇、偶然、……われわれの運命をつかさどるものは畢竟(ひっきょう)この三者である。自ら喜ぶものは喜んでもよい。しかし他を云々(うんぬん)するのは僭越である」
・「他をあざけるものは同時にまた他にあざけられることを恐れるものである」
・「人間的な、あまりに人間的なものはたいていは確かに動物的である」
「われわれ人間の特色は神の決して犯さない過失を犯すということである」
大正12年から昭和2年にかけて、芥川が最晩年の頃に書いたものだそうですが、少しも古びたところがなく、勉強になる鋭い指摘もいくつかありました。公共図書館に行くと、「大活字本シリーズ」というのが置いてあると思うので、それで読むと楽に読めるかもしれません。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)