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奥田英朗『我が家のヒミツ』その13

2016-12-02 04:35:00 | ノンジャンル
 先日、宇多田ヒカルさんの最新アルバムを聞きました。あまりのつまらなさに「こんなはずはない」とアルバム『Distance』を聞き直すと、やはりもう1曲目の『Wait & See~リスク~』から完全にノックアウト状態に。宇多田さん、一体どうしてしまったんでしょう?
 また、遅ればせながらWOWOWライブで、今年のグラミー賞授賞式を見ました。現役が歌う歌はラップとバラードばかりで、つまらなく、いいと思ったのは「追悼パフォーマンス」と題され、グレン・フライが歌った『Take It Easy』と、やはり追悼コーナーで聞けたオーネット・コールマンの演奏と、ナタリー・コールとナット・キング・コールの『unforgettable』でした。全体的に今年のグラミー賞はレベルがかなり低かったと思います。

 さて、また昨日の続きです。
 「しかし、話を聞いているうちに、妻が真剣であることがわかりました。高齢者福祉のボランティア活動を続ける中で、いろいろな壁にぶち当たり、葛藤し、市政が改善すべき点を、妻は身をもって知ったのです。誰にとっても高齢者福祉は他人事じゃないんです。ここにいる方は大半が現役世代で、何十年も先のことだと思うかもしれません。しかし、親はどうですか? 介護が必要になったとき、みなさんは対応出来ますか? 妻はみなさんの手足になれると思います。わたしからは以上です。ご清聴ありがとうございます。あ、まだ帰らないでくださいね。これから妻が少しだけ話をさせていただきますので、もうちょっと付き合ってやってください」康夫はぺこりと頭を下げ、里美にマイクをバトンタッチした。何人かが拍手してくれた。里美のスピーチは、これまでよりずっと生き生きしていた。スタッフの表情も一気に明るくなった。
 その夜、選挙事務所で反省会をしながらおにぎりを食べていると、里美のスマートフォンに京都の恵介からのメールが着信した。「あら珍しい」里美がメールを開く。一読して「えーっ」と声を上げた。「おとうさん、今日のおとうさんの駅前演説、動画サイトにアップされてるって」「なんだって?」恵介は言った。「かっこよかったよ。友だちにもウケてた」「おまえ、今度の日曜日、新幹線代出してやるから帰って来い。市議選の投票日だ。夜には当落がわかるから、おかあさんのそばにいろ。我が家のビッグイベントだ」「うん、わかった」「わざわざ帰って来なくてもいいのに」里美はそう言ったが、目尻は自然と下がっていた。週末、家族が久し振りに揃う------。そこへ若い男がやって来た。名刺を差し出し、中央新聞の地元支局の記者だと言う。「ネットで拝見したんですが、N木賞作家の大塚先生が奥さんの応援で街頭演説に立たれているということで、もしよろしければ、明日その様子を取材させていただけませんかね」「ぜひお願いします!」誰よりも早く安田が返事をした。
 即日開票の投票日の日、康夫は自宅で落ち着かない時間を過ごしていた。恵介と洋介は居間でテレビを観ていた。NHKの統一地方選挙の特番で、はるな市の市議結果も伝えるとのことであった。里美は「散歩に行ってくる」と言って出かけてしまった。妻は一人になりたいのだろう。「おとうさん、そろそろ当確が出始めてるよ」「当選したらロレックス」「おれはオメガ」「馬鹿、カシオのGショックだ」息子たちは、一足先に20歳になった地元の同級生に、「うちのおかあさんに入れて」と頼んで回ったらしい。感激した康夫は「おかあさんが当選したらおまえらに腕時計を買ってやる」と気前のいい約束をしてしまったのである。だんだん落ち着きがなくなった。康夫もじっとしているのが辛くなり、家の中をうろうろと歩き回った。「あっ、当確マークがついた。大塚里美、1892票」そのとき恵介が言った。「おーっ」声を上げ、父子三人で肩を叩き合った。体が震えた。「おかあさんに電話、電話」電話に出た里美は落ち着いていた。「おとうさんのおかげ」その一言を聞いたら、いきなり鼻の奥がツンときた。里美ももちろん内心は安堵と歓喜に満ち溢れているだろう。「やったな、ロレックスだよ」「おれはグランドセイコーでもいいかな」横では息子たちが、父親をからかうようなことを言っている。「帰って来た」息子たちが玄関に駆けて行く。康夫もあとをついて行く。ドアには笑顔の里美がいる。息子たちが何か言っているが耳に入って来なかった。康夫は、目に涙が滲んできたので、息子たちより前には出なかった。

 『我が家の問題』でもそうでしたが、この短編集もほのぼのとした終わり方をしているものが大半で、非常に読後感がいい作品ばかりでした。一気に読んでしまい、「生きててよかったなあ」と実感させる、そんな本でもありました。