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わたらせ渓谷鉄道トロッコ列車で足尾銅山の廃墟へ

2012-11-04 06:16:00 | ノンジャンル
 スティーヴン・スピルバーグ監督の'11年作品『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』をWOWOWシネマで見ました。人物の表情や動作などは実写と何ら変わりのない、クオリティの高いCGアニメーション作品であり、スピルバーグ監督ならではの画面の構図と編集がそれなりに面白く、ジェイムズ・マンゴールド監督の『ナイド&デイ』のような冒険活劇だったのですが、後者と決定的に違うのは、リズムが一本調子で、見ていて退屈してくるところでした。一番良かったのは、人物をシルエットで表したタイトルバックのアニメだったようにも思いました。

 さて、先週の10月31日の水曜日、わたらせ渓谷鉄道のトロッコ列車に乗るために、日帰りで桐生市まで行ってきました。北尾トロさんの著書の中で「関東屈指の人気を誇る観光鉄道」と紹介されていた鉄道で、紅葉を満喫しようという意図からです。
 私の住む厚木市から桐生駅まで車で3時間半。途中で道路脇に転がる野性動物の轢死体を2体ほど発見(イタチかテンだと思う。)地方都市の中央駅といった風情の桐生駅に、列車の発車時間より1時間余り早く着き、ホームでただ1人待っていると、これまた厚木市では聞けない鳥の鳴き声がずっと響いていました。
 わたらせ渓谷鉄道の沿線全体の木々が色づくにはまだ早いとのことでしたが、終点付近は紅葉の盛りで、終点の2つ手前の通洞駅と1つ手前の足尾駅の間には、赤、黄、緑が点在する見事な「彩りの山」が右側に見えました。(これを見るには午前中がベター。午後の帰りの便では逆光になり、あまり綺麗には見えませんでした。)吹き抜けのトロッコが受ける風はもう冷たく、カメラを持つ私の手はかじかんで、カメラのスイッチやシャッターを動かすのに、後半はかなり苦労しました。が、苦労した甲斐があり、穏やかな流れの下流から、ゴロゴロした岩が転がる上流まで、渓谷の変遷にともなう美しい景色の数々を写真に撮ることができ、大満足でした。
 そして終点の間藤に到着。ほとんどの乗客が次の列車で折り返し帰っていく中、私は1時間ほど後の普通列車の到着を、持参したおにぎりを食べながら一人で待つつもりでした。ところが、駅の屋外に取り付けてある金属板の周辺地図を見て、駅から山を回りこんだところにある小滝旧抗付近に、「中国人殉難烈士慰霊碑」だとか、「中国人捕虜収容所跡」だとか、「朝鮮人供養塔専念寺小滝説教所跡」などの字が踊っているのを見て、ただならぬ感覚に襲われ、また駅から奥へと伸びる道が、異様に広く、成瀬監督の映画にも出てきそうな風情なのを見てとり、私は誘われるように、道の奥へと歩いていくと、そこには足尾銅山の労働者たちが住んでいた木造家屋が廃墟化してそのまま、いくつも存在しており、忘れ去られたように立ち尽くす踏切の信号と、道を横切って鉄橋を渡り向こう岸へと延びる、足尾鉄道の錆びついたレールの軌道をも発見し、さらに奥へと行くと、元商店街の地帯に出て、その奥の向こう岸には、廃墟化した製錬所と、「お化け煙突」と当時呼ばれたらしい、製錬所の灰色の大煙突が、手前にある真新しい建物の遥か向こうに見えるのでした。足尾を訪れる観光客は、終点の間藤の1つ手前の足尾駅で降りて、そこに作られた「足尾銅山観光」という施設(北尾トロさんは著書の中で、この施設のことを酷評されていました)に向かうのですが、実は終点の間藤の先に、“足尾銅山”の本当の町が存在していたのです。やはり北尾さんが書いておられたように、付近の山はハゲ山となっていて、鉱毒のまがまがしさを今に伝えていました。
 家に帰ってネットで検索してみると、法政大学大原社会問題研究所による「大平洋戦争下の労働状態」という論文に行き当たり、そこには、戦時中、足尾銅山に強制連行された朝鮮人の人々や捕虜の中国人の人々が劣悪な状態の中で働かされ、多くの方が死に至ったことが書かれていました。また、本格的に現地を“調査”した画像というのも、ネットに公開されていないことを知り、私は来週、足尾の小滝地区を訪れるため、再び旅立とうと思っています。(今回は日帰りはきついので、奥日光に1泊してくるつもりです。)
 以上、わたらせ渓谷鉄道トロッコ列車の日帰り旅のご報告でした。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/