散歩道できれいなムクゲの花を毎日見る季節になりました。7月から10月頃まで、白・桃・赤紫色の花を咲かせ、観賞用として庭にもよく植えられています。漢字では「木槿」「無窮花」と表記され、「ムクゲ」の音はその漢字表記の音読み「モッキン」が訛ったことによっています。一般には朝に花が開き、夕には花がこぼれてしまう「一日花」と説明されているようですが、よく観察すると夕には萎みますが翌朝にはまた咲いて、2~3日で花が落ちるものもありました。八重咲きのものは、もう少し長く咲いているようです。一日花という理解は、白楽天の詩の一節「槿花一日自成栄」(槿花は一日で自ら栄を成す)が、本来は「仏法が瞬く間に広まった」という意味であるのに、それを「槿花一日の栄」と誤解したことによるということです。花の形はハイビスカスや芙蓉(ふよう)によく似ているので調べたところ、同じフヨウ属とのことでした。
このムクゲという花は、日本人にとっては愛すべき多くの花の一つに過ぎませんが、韓国では国花とされ、「ムグァンファ」と呼ばれています。また現在国花になっているというだけではなく、古代以来民族の象徴として大切にされてきたそうです。日本の桜に相当する花と理解すればよいのでしょう。新羅では唐に送る国書の中で、自らを「木槿国」と称したことが、『旧唐書』に記されています。李氏朝鮮の時代には、科挙の合格者に対して国王が「御賜花」と称して無窮花を授け、国王が臨席する宴会では、無窮花が飾られました。日本の統治下においては自主独立の象徴となり、無窮花の植樹運動が各地で行われました。日本人の官憲はそれを禁止し伐採を命じましたが、朝鮮民族の無窮花に対する誇りまで奪うことはできませんでした。
1948年8月15日に制定された韓国国歌「愛国歌」には、「無窮花三千里(北朝鮮の北端から韓国の南端まで)、華麗なる山河、大韓人よ、大韓を永久に保全せよ」と歌われています。また韓国の最高の勲章である「無窮花大勲章」は、大統領に授与されるそうです。韓国の大統領が会見するさいの演台正面には、向かい合う鳳凰(?)と木槿の花が描かれています。因みに日本の首相や官房長官の会見する演台には、桐紋かが描かれています。また朴槿恵元韓国大統領の名前にも「槿」の字が含まれているのは、いかにもその地位に相応しいものでした。その他には国会議員のバッジの意匠にも用いられています。「無窮花号」という急行列車もあります。私は韓国人ではないのでそれ以上の例を知りませんが、ムクケ゛が民族の花として尊重される事例は、もっとあるのでしょう。
日本人は桜の花が一斉に散ることに風情を感じていますが、椿のように花がそのままの形で落ちてしまうことを、首が落ちるように感じて忌み嫌います。病気見舞いには、椿は持って行ってはいけない花なのです。無窮花の花は、一つ一つの花の期間が短いだけでなく、花びらが閉じてはいますが、椿のようにそのまま落ちてしまいます。日本人の伝統的美意識からすれば、無窮花に対する好みが分かれるところでしょうか。しかし韓国人は全く異なった見方をしています。一つ一つの花が咲いている期間は確かに短いものです。しかし次から次に新しい花が咲き、途切れることなく長期間にわたって咲き続けます。韓国人はそこに生命力の強さと美しさを感じているのです。ここで桜と無窮花の優劣を比較することは、全く無意味なのです。日本人は桜に感動し、韓国人は無窮花をことのほか愛でる。それでいいではありませんか。
埼玉県の地元ネタで恐縮ですが、埼玉県の日高市には高麗神社というユニークな神社があります。716年(霊亀2)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7国に住む高句麗からの帰化人1799人を武蔵国に移して、高麗郡を新設したことが、『続日本紀』記されています。彼等の指導者であった高麗王若光の没後、人々はその遺徳を偲んで祀ったのですが、これが高麗神社の起源となりました。この高麗神社はその特殊な来歴によって韓国人の参拝者が多く、境内には無窮花の木が何本も植えられています。また高麗神社に近く高麗山聖天院があるのですが、これは高麗王若光の菩提寺です。そのような歴史的背景から、境内には、日韓併合から独立までの36年間に亡くなった、韓国・朝鮮人の無縁者供養塔が建てられています。それに隣接して三・一独立運動のときにソウルのパゴダ公園で独立宣言書が読み上げられた八角亭を縮小した建物が建てられています。その軒丸瓦にはっきりと無窮花の花が浮き彫りになっていました。今まで見落としていたのですが、やはり意識していないと、価値のある物を見ても見過ごしてしまうものだと、改めて思ったことです。また私の家のすぐ側にある吉見の百穴には、戦時中地下の軍事工場を建設するため、多くの朝鮮人が働いていました。もちろんきちんと給与は支払われていて、いわゆる徴発ではありません。そのため、そのことを記念して後にムクゲの木が記念として植えられているのですが、それらの意味する所を知っている日本人は大変少ないのです。全国各地には朝鮮・韓国に縁のある史跡がありますから、注意深く観察すれば、あちこちに同じ様な例はあることでしょう。
平成23年8月、日本の国会議員が竹島問題に関連して、視察のために韓国に入国しようとして拒否された事件が起きました。その際、鬱陵島にある「独島博物館」の敷地内に、「対馬は元わが国の領地」と刻んだ石碑があることが広く日本でも知られ、驚いたものです。そういう動きに呼応するように、最近は対馬に多くの韓国人観光客が押し寄せています。そして中には島のあちらこちらに無窮花を植樹する人がいました。実際2007年1月には、対馬の壱岐対馬国定公園に高校生の一行が対馬最北端の「韓国展望台」の付近に対馬で購入したムクゲを無断植栽した事件が起き、撤去されています。その他にも潜に植えたり播種することもあるとのことです。韓国資本が対馬の土地を次々に買収し、無窮花を植えていくことの意味を、日本人はあまり気付いていないように思います。
戦後ですが、日本の象徴である桜が、韓国で伐採されることがありました。日本もかつて無窮花の植樹を禁止したことがあるのですから、これについてはお互い様かもしれません。しかし最近は少し様子が違っているらしい。韓国ではあらゆる日本文化に対する韓国起源説が強烈に主張されることがよくあるのですが、「桜は韓国起源」「桜は日本の花という主張は間違っている」という主張をよく耳にするようになりました。こういう話を聞くにつけ、本当に悲しくなってきます。どちらが起源であるといって、それが一体何なのでしょう。日本人は日本人の価値観で桜を尊び、韓国人は同じように無窮花を大切にする。お互いに尊重しあって、それでよいではありませんか。私は韓国にことさらに桜を植えようとも思いませんし、無窮花の木を切り倒そうとも思いません。それぞれの風情をそれなりに楽しんでいます。
このムクゲという花は、日本人にとっては愛すべき多くの花の一つに過ぎませんが、韓国では国花とされ、「ムグァンファ」と呼ばれています。また現在国花になっているというだけではなく、古代以来民族の象徴として大切にされてきたそうです。日本の桜に相当する花と理解すればよいのでしょう。新羅では唐に送る国書の中で、自らを「木槿国」と称したことが、『旧唐書』に記されています。李氏朝鮮の時代には、科挙の合格者に対して国王が「御賜花」と称して無窮花を授け、国王が臨席する宴会では、無窮花が飾られました。日本の統治下においては自主独立の象徴となり、無窮花の植樹運動が各地で行われました。日本人の官憲はそれを禁止し伐採を命じましたが、朝鮮民族の無窮花に対する誇りまで奪うことはできませんでした。
1948年8月15日に制定された韓国国歌「愛国歌」には、「無窮花三千里(北朝鮮の北端から韓国の南端まで)、華麗なる山河、大韓人よ、大韓を永久に保全せよ」と歌われています。また韓国の最高の勲章である「無窮花大勲章」は、大統領に授与されるそうです。韓国の大統領が会見するさいの演台正面には、向かい合う鳳凰(?)と木槿の花が描かれています。因みに日本の首相や官房長官の会見する演台には、桐紋かが描かれています。また朴槿恵元韓国大統領の名前にも「槿」の字が含まれているのは、いかにもその地位に相応しいものでした。その他には国会議員のバッジの意匠にも用いられています。「無窮花号」という急行列車もあります。私は韓国人ではないのでそれ以上の例を知りませんが、ムクケ゛が民族の花として尊重される事例は、もっとあるのでしょう。
日本人は桜の花が一斉に散ることに風情を感じていますが、椿のように花がそのままの形で落ちてしまうことを、首が落ちるように感じて忌み嫌います。病気見舞いには、椿は持って行ってはいけない花なのです。無窮花の花は、一つ一つの花の期間が短いだけでなく、花びらが閉じてはいますが、椿のようにそのまま落ちてしまいます。日本人の伝統的美意識からすれば、無窮花に対する好みが分かれるところでしょうか。しかし韓国人は全く異なった見方をしています。一つ一つの花が咲いている期間は確かに短いものです。しかし次から次に新しい花が咲き、途切れることなく長期間にわたって咲き続けます。韓国人はそこに生命力の強さと美しさを感じているのです。ここで桜と無窮花の優劣を比較することは、全く無意味なのです。日本人は桜に感動し、韓国人は無窮花をことのほか愛でる。それでいいではありませんか。
埼玉県の地元ネタで恐縮ですが、埼玉県の日高市には高麗神社というユニークな神社があります。716年(霊亀2)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7国に住む高句麗からの帰化人1799人を武蔵国に移して、高麗郡を新設したことが、『続日本紀』記されています。彼等の指導者であった高麗王若光の没後、人々はその遺徳を偲んで祀ったのですが、これが高麗神社の起源となりました。この高麗神社はその特殊な来歴によって韓国人の参拝者が多く、境内には無窮花の木が何本も植えられています。また高麗神社に近く高麗山聖天院があるのですが、これは高麗王若光の菩提寺です。そのような歴史的背景から、境内には、日韓併合から独立までの36年間に亡くなった、韓国・朝鮮人の無縁者供養塔が建てられています。それに隣接して三・一独立運動のときにソウルのパゴダ公園で独立宣言書が読み上げられた八角亭を縮小した建物が建てられています。その軒丸瓦にはっきりと無窮花の花が浮き彫りになっていました。今まで見落としていたのですが、やはり意識していないと、価値のある物を見ても見過ごしてしまうものだと、改めて思ったことです。また私の家のすぐ側にある吉見の百穴には、戦時中地下の軍事工場を建設するため、多くの朝鮮人が働いていました。もちろんきちんと給与は支払われていて、いわゆる徴発ではありません。そのため、そのことを記念して後にムクゲの木が記念として植えられているのですが、それらの意味する所を知っている日本人は大変少ないのです。全国各地には朝鮮・韓国に縁のある史跡がありますから、注意深く観察すれば、あちこちに同じ様な例はあることでしょう。
平成23年8月、日本の国会議員が竹島問題に関連して、視察のために韓国に入国しようとして拒否された事件が起きました。その際、鬱陵島にある「独島博物館」の敷地内に、「対馬は元わが国の領地」と刻んだ石碑があることが広く日本でも知られ、驚いたものです。そういう動きに呼応するように、最近は対馬に多くの韓国人観光客が押し寄せています。そして中には島のあちらこちらに無窮花を植樹する人がいました。実際2007年1月には、対馬の壱岐対馬国定公園に高校生の一行が対馬最北端の「韓国展望台」の付近に対馬で購入したムクゲを無断植栽した事件が起き、撤去されています。その他にも潜に植えたり播種することもあるとのことです。韓国資本が対馬の土地を次々に買収し、無窮花を植えていくことの意味を、日本人はあまり気付いていないように思います。
戦後ですが、日本の象徴である桜が、韓国で伐採されることがありました。日本もかつて無窮花の植樹を禁止したことがあるのですから、これについてはお互い様かもしれません。しかし最近は少し様子が違っているらしい。韓国ではあらゆる日本文化に対する韓国起源説が強烈に主張されることがよくあるのですが、「桜は韓国起源」「桜は日本の花という主張は間違っている」という主張をよく耳にするようになりました。こういう話を聞くにつけ、本当に悲しくなってきます。どちらが起源であるといって、それが一体何なのでしょう。日本人は日本人の価値観で桜を尊び、韓国人は同じように無窮花を大切にする。お互いに尊重しあって、それでよいではありませんか。私は韓国にことさらに桜を植えようとも思いませんし、無窮花の木を切り倒そうとも思いません。それぞれの風情をそれなりに楽しんでいます。
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