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ユダヤ教と安息日

2015-09-01 12:25:13 | 歴史

 ユダヤ教と安息日 


 授業でイスラエルに関して学習するのは、世界史では、出エジプト、ダビデやソロモン王の統治、王国の分裂とバビロニア捕囚、ローマの支配とキリスト教の成立、そしてずっと時代は下ってシオニズム運動、ホロコーストとイスラエル建国、そして中東戦争などである。また倫理では、十戒を資料としてユダヤ教について学習するぐらいであろう。三千数百年間の歴史の中で、学習するのは始めと終わりばかりで、真中がすっぽりと抜け落ちているのである。抜けているのは国を失って離散していた時期であるから、それもやむを得ないのであろうが、その時期にユダヤ人が命懸けで信仰を堅持し続けたからこそ、それがシオニズム運動につながったのであり、それを可能にした要因が問われるべきである。大学卒業後、一年間ではあるがイスラエルに学んだ経験をもとに、以下、安息日について述べてみたい。
 ユダヤ教について、日本人はほとんど知らないし、知っていても、やたらに禁忌や戒律が多く、堅苦しい宗教であると思っている。ユダヤ人以外の尺度を以てすれば、確かにそのように見える面はある。しかし、もしユダヤ教に厳格なる律法、わけても安息日がなかったとしたら、果たしてユダヤ人は、今日、存在することができたであろうか。(安息日はヘブライ語で「シャバット」という。「サバス」と発音するように記した日本人の記述を見かけるが、実際に安息日を見聞したことがないのであろう。)

1,安息日の根拠
 聖書には安息日を厳格に守るべきことの根拠が2カ所述べられている。
①『出エジプト記』20章
 神はこのすべての言葉を語って言われた。わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。・・・・あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。・・・・安息日を覚えてこれを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
 これは、六日間で天地創造を終えた神が、七日目に休みこれを聖別したように、人もそれに倣えという。即ち安息日を守ることによって、人も神の創造の業に与るというのである。
②『申命記』5章
 さてモーセはイスラエルのすべての人を召し寄せて言った、「・・・・安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。六日のあいだ働いて、あなたのすべてのわざをしなければならない。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。・・・・あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのであ
る。」
 これは、ユダヤ人(イスラエル人)がエジプトの奴隷から神の手によって救い出されたことを、安息日を守ることによって記憶せよ、というのである。日本では「安息日」と表記されるため、神様も天地を創造してお疲れになったから、人もそれに合わせて休息するする日と考えられている。しかし安息日は単なる休憩の日ではなく、ユダヤ人の信仰的原点を週ごとに思い起こさせる日、まさに「聖日」なのである。

2、安息日の禁忌
 安息日には多くの禁忌がある。しかし聖書に規定されているのは、火の使用、耕作・収穫、売買、運搬などで、決して多くはない。しかし拡大解釈されたり、いろいろな場合が想定され、律法学者によって議論されていた。イエスが病人を癒したことが問題にされているのも、安息日の規定に反するかどうかということであった。
 現在でも安息日には火は使用できないから、料理は出来ない。電気も火の一種と見なして使えない。ただしタイマーをセットしておけば可能である。歩いてよい距離は約1㎞で、自動車には乗らない。所有権の譲渡は売買にあたるから、贈り物はできない。ただし現代では、医療行為や国防はそれに優先することとして問題にはならない。

3、食物の禁忌
 以上の他に、安息日だけとは限らない日常的な食事の禁忌がある。聖書には、蹄(ひづめ)が割れ、反芻(はんすう)をする動物は食べてもよいと記されている。そうすると許されるのは羊と牛と山羊ぐらいで、兎・駱駝・豚は不可。また鱗と鰭(ひれ)のない水産物も駄目で、海老・鮹・鰻・貝は不可。また牛や羊でも、有資格者が規定に従って血を完全にぬいてしなければならないから、血の滴るビフテキは厳禁である。血の混じる可能性のあるハムやソーセージも不可。また肉とアイスクリームなどの乳製品を同時に食べることは不可。聖書に、子山羊の肉を母の乳で煮てはいけないと書かれているからである。植物は全く問題ない。
 こう並べると、ユダヤ教は何と不自由な宗教かと思われるであろう。しかし実際には宗派や個人の信仰によっていろいろな解釈や程度があり、あくまでも厳密にやればということである。最近の若い世代はこれらの掟を厳密には守らない人も多くなっているが、そういう人も、信仰の重要性は一様に認めているのである。
 このような厳しい食事規定は、食べることを高度な文化に発展させている日本人にとって、理解しがたいものである。「食べる」ということはある意味で最も動物的行為であるが、そこに一定の宗教的制限を設けることにより、日常生活を聖なるものに昇華していくことが出来ると、ユダヤ教では考える。聖書には、神は聖であるから、神に似るものとして創造された人も聖でなければならないと記されている。日本人にとっては非人間的に見えるであろうが、ユダヤ人にとっては、それは神の意志に添って生きることなのである。

4、安息日の一日
 ユダヤ教では日没から一日が始まるから、安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没までである。金曜日の午後は家の中を掃き清め、ご馳走の用意をし、身体をきよめて正装する。夕方、夫・父親がシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で礼拝をしている間に、妻・母親は食卓を整えて待つ。父親は帰宅すると、子供達を祝福し、安息日を迎える儀式が始まる。まず二本の蝋燭に点火し、安息日を迎える歌や妻・主婦を称える歌を歌う。次いで葡萄酒をグラスに注ぎ、聖別の祈りを唱えてこれを飲む。さらに様々な祝福の祈りのあと、ようやく食事が始まる。そしてその間も聖書の聖句が歌詞になっている伝統的な歌を歌い、楽しい雰囲気の中で会食が進む。そして最後に感謝の祈りを唱えて終わる。翌朝になってもまだ安息日であるが、その日は人それぞれに休息をしたり、行楽をしたり、聖書を読んで過ごす。そして日没前、夕べの祈りを唱えてようやく安息日が終わることになる。日本人にはなかなか理解の及ばないことであるが、強いて喩えれば、毎週、お正月を迎えるようなものなのである。信仰的なユダヤ人の家庭では、現在でもそのくらい厳かな気持ちで安息日を大切にしているのである。

5,安息日の重要性の増大
 この安息日は十戒の第四戒であり、ユダヤ教の数ある掟の中でも特に重要なものであるが、長い歴史の中でその重要性はますます大きくなっていった。
 紀元前722年、北のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされ、587年には、南のユダ王国がバビロニアに滅ぼされて神殿が破壊された。そして南のユダ王国の人々はバビロニアに捕囚として連行され、ユダヤ人離散の歴史が始まった。その結果、イェルサレムの神殿に拠る祭儀は不可能となり、離散したそれぞれの土地において安息日を守ることが最も重要な祭儀となるのである。そしてシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が建てられ、ユダヤ人の精神生活の支えとなった。こうして離散の境遇にありながらも民族として生き残り、精神的な帰属意識を維持し続けることができるようになった。
 アケメネス朝ペルシャがバビロニアを滅ぼすと、そのクロス王は捕囚となっていたユダヤ人の帰還を許した。そして神殿の再建が始まり、紀元前515年に第二神殿が完成した。帰還の指導者であった律法学者エズラの宗教改革は、律法的厳格主義的傾向が強かったが、それは非妥協的精神によりバビロニアの異教文化の中で宗教的純粋性を保持してきたことを背景とするものであった。またその精神は、ペルシャに替わるセレウコス朝によるヘレニズム化政策に抵抗する原動力ともなったのである。
 その後、再建された第二神殿も、紀元後132年にローマ帝国によってまたもや破壊され、ユダヤ人は世界各地に離散して行くことになる。しかしいつ祖先の信仰の地に戻れるあてのない苦難の期間、ユダヤ人は安息日を守ることによって神とつながり、そのアイデンティティーを維持し続けたのである。
 安息日や食事に関する掟をそのまま実行していこうとすれば、ユダヤ人が異教徒と共に生活することがどれほど困難であるか、想像に難くない。世界中に離散したユダヤ人が共同体を堅く維持し続け、それが良くも悪くも他民族との軋轢や誤解を生んだことは否定できない。しかしユダヤ人が歴史の大波に翻弄されながらもそのアイデンティティーを維持し続けて来られたことには、安息日に代表される信仰的掟の存在抜きには、考えられない。まさにユダヤ人の格言にあるように、「安息日がユダヤ人を護った」のである。