たまに童謡や唱歌について駄文を書いていますが、歌がどのようにしてできたのか、作曲や作詞の経緯については、私は全くの素人です。ただ少々、和歌に興味があるので、歌詞の背景について私の心にかかることについて、とりとめもない感想などを書いています。
古い和歌に詠まれる鳥は、それほど種類は多くありません。春は鶯と雲雀、夏は郭公(和歌の世界では、カッコウを指す「郭公」と書いて「ほととぎす」と読みます)、秋は雁と百舌鳥、そして冬は鴨と千鳥です。
和歌の世界では冬の景物になっていますが、イカルチドリやシロチドリは一年中見られる留鳥で、コチドリは日本で冬を越すこともありますが、夏に飛来する夏鳥です。ですから見ようと思えば、一年中見られるわけで、特に夏には多いのですが、なぜか冬の歌に詠まれるのです。
唱歌『浜千鳥』の作詞は鹿島鳴秋、作曲は弘田龍太郎で、雑誌『少女号』大正九年一月号に発表されたそうです。
1、青い月夜の浜べには 親をさがして鳴く鳥が
波の国から生れ出る 濡れた翼の銀のいろ
2、夜鳴く鳥の悲しさは 親をたづねて海越えて
月夜の国へ消えて行く 銀の翼の浜千鳥
童謡や唱歌について精密な史料批判により追随を許さない成果を上げておられる池田小百合氏は、「夜啼く千鳥の声は、親のない子が月夜に親を求めて探しているのだという昔からの言い伝えがあります。」と述べていらっしゃいます。ただ寡聞にしてそのような言い伝えを聞いたことはありません。少なくとも伝統的和歌では見たことがありません。そもそも一般論として「言い伝え」なるものは眉唾ものが多く、確かめようもないので困ります。「言い伝えによれば」と言われると、それ以上追求できないばかりでなく、さもそれが事実であるかのように独り歩きしてしまう例がたくさんあるからです。もちろん一般論であって、この『浜千鳥』の言い伝えがあるのかどうかとは別の問題です。どなたがご存じでしたら、是非教えて下さい。
千鳥を詠んだ歌は『万葉集』に26首もあります。その中で、『浜千鳥』の千鳥に関わりのありそうな歌が一首あります。
①さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわびをる時に鳴きつつもとな (万葉集 618)
作者は夜中に物思いに沈んでいるとき、はぐれた千鳥が仲間を呼んでやたらに鳴いている、という意味です。私の寂しい心を知りもしないで、よくまあ鳴くものよと、千鳥の声を聞くほどに寂しさが増幅されているのでしょう。
同じようにはぐれた千鳥の歌は、『古今集』以後の王朝和歌にも詠まれています。
②夕されば佐保の河原の川霧に友まどはせる千鳥なくなり (古今集 冬 238)
③霧晴れぬあやの川辺に鳴く千鳥声にや友の行くかたを知る (後拾遺 冬 387)
④夜や寒き友や恋しき寝て聞けば佐保の川原に千鳥鳴くなり (堀河百首 冬 989)
②と③では霧の川辺ではぐれた千鳥が鳴いています。②と④では、夕から夜の佐保川の千鳥が詠まれています。佐保川は平城京の東北を流れる川で、古くから霧や千鳥が詠まれる歌枕でした。このように千鳥は群れて飛ぶものであり、どうかして一羽だけ鳴いていると、仲間からはぐれてしまって寂しげに鳴いていると理解されていたことがわかります。特に霧の中から聞こえてくると、そのような印象を強く感じたことでしょう。次の⑤⑥のように、群れて飛ぶ千鳥を「友千鳥」と呼ぶことも、一羽で鳴く千鳥を「友を捜して鳴く」と理解したことと関係があるでしょう。
⑤友千鳥群れて渚に渡るなり沖の白州に潮や満つらん (堀河百首 冬 979)
⑥解けて寝ぬ須磨の関守夜や寒き友呼ぶ千鳥月に鳴くなり (新後拾遺 冬 507)
親を探して鳴くという歌は見当たりませんが、友にはぐれて寂しげに鳴くという伝統的千鳥理解を、『浜千鳥』の作詞者の鹿島鳴秋は知っていて、影響を受けたのかもしれません。彼が6歳の時に父が家出をして父を失い、母は再婚し他家に嫁いだので、祖父母に育てられたそうです。ですから親の愛情に飢えていたことは間違いないことでしょう。親を探して泣いた経験が、この詩となって現れたのだと思います。知らなかったとしても、結果としてそのような寂しい心を表す素材として、月夜の浜辺に鳴く千鳥は最適なものであったと言えます。
千鳥が親を探して鳴くという詩想は、北原白秋の童謡『ちんちん千鳥』にも見当たります。
1、ちんちん千鳥の 啼く夜さは 啼く夜さは
硝子戸しめても まだ寒い まだ寒い
2、ちんちん千鳥の 啼く声は 啼く声は
燈(あかり)を消しても まだ消えぬ まだ消えぬ
3、ちんちん千鳥は 親ないか 親ないか
夜風に吹かれて 川の上 川の上
4、ちんちん千鳥よ お寝(よ)らぬか お寝らぬか
夜明の明星が 早や白む 早や白む
ここでは冬の夜に川辺で鳴く千鳥が歌われています。一羽とはなっていませんが、親を捜して鳴いていると理解できますから、一羽なのでしょう。この歌は大正10年1月の『赤い鳥』に掲載されているそうですから、『浜千鳥』より1年遅れています。詩の発想に何らかの関係があるのかどうかは、私にはわかりません。
話は突然かわりますが、「青い月夜」とはどのような月夜なのでしょうか。私の高校時代、今から半世紀以上も昔の記憶ですが、『月蒼くして』というアメリカの喜劇映画のことを本で読んだことがあります。書名は思い出せないのですが、原題は「The Moon Is Blue」で、アメリカでは「あり得ないこと」という意味であるのに、日本語に翻訳する際にその意味を知らなかったと見えて、詩的に「月蒼くして」と訳され、1954年に日本でも公開されたといいます。そのような誤訳の面白さを述べた本であったように記憶しています。また一月に満月が2回見られることが稀にありますが、そのような月を「ブルームーン」と言い、今年の7月に見られたので話題になりました。
「青い月」「青い月夜」という句は、歌の題にもあったような記憶があり、少し調べただけでもいくつも見つかりました。『青い月夜だ』、『月がとっても青いから』、奥村チヨの『青い月夜』、山本リンダの『青い月夜の』、石川さゆり『青い月夜の散歩道』などがあります。またドラエモンの『青い月夜のリサイタル』という話もあるとのこと。日本人は余程「月」と「青」との取り合わせが好きなようです。
では実際に「青い月夜」があるのでしょうか。そう思ってしばしば夜空を眺めたものです。結論から言えば、実際に青いわけではないのでしょうが、満月前後の月齢の月夜は、確かに黒ではなく青く感じました。月その物の色ではなく、空の色です。また日没後や夜明け前の空も、「青」を感じました。それはまるでシャガールの絵のようでした。歌の世界は理屈ではありません。
古い和歌に詠まれる鳥は、それほど種類は多くありません。春は鶯と雲雀、夏は郭公(和歌の世界では、カッコウを指す「郭公」と書いて「ほととぎす」と読みます)、秋は雁と百舌鳥、そして冬は鴨と千鳥です。
和歌の世界では冬の景物になっていますが、イカルチドリやシロチドリは一年中見られる留鳥で、コチドリは日本で冬を越すこともありますが、夏に飛来する夏鳥です。ですから見ようと思えば、一年中見られるわけで、特に夏には多いのですが、なぜか冬の歌に詠まれるのです。
唱歌『浜千鳥』の作詞は鹿島鳴秋、作曲は弘田龍太郎で、雑誌『少女号』大正九年一月号に発表されたそうです。
1、青い月夜の浜べには 親をさがして鳴く鳥が
波の国から生れ出る 濡れた翼の銀のいろ
2、夜鳴く鳥の悲しさは 親をたづねて海越えて
月夜の国へ消えて行く 銀の翼の浜千鳥
童謡や唱歌について精密な史料批判により追随を許さない成果を上げておられる池田小百合氏は、「夜啼く千鳥の声は、親のない子が月夜に親を求めて探しているのだという昔からの言い伝えがあります。」と述べていらっしゃいます。ただ寡聞にしてそのような言い伝えを聞いたことはありません。少なくとも伝統的和歌では見たことがありません。そもそも一般論として「言い伝え」なるものは眉唾ものが多く、確かめようもないので困ります。「言い伝えによれば」と言われると、それ以上追求できないばかりでなく、さもそれが事実であるかのように独り歩きしてしまう例がたくさんあるからです。もちろん一般論であって、この『浜千鳥』の言い伝えがあるのかどうかとは別の問題です。どなたがご存じでしたら、是非教えて下さい。
千鳥を詠んだ歌は『万葉集』に26首もあります。その中で、『浜千鳥』の千鳥に関わりのありそうな歌が一首あります。
①さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわびをる時に鳴きつつもとな (万葉集 618)
作者は夜中に物思いに沈んでいるとき、はぐれた千鳥が仲間を呼んでやたらに鳴いている、という意味です。私の寂しい心を知りもしないで、よくまあ鳴くものよと、千鳥の声を聞くほどに寂しさが増幅されているのでしょう。
同じようにはぐれた千鳥の歌は、『古今集』以後の王朝和歌にも詠まれています。
②夕されば佐保の河原の川霧に友まどはせる千鳥なくなり (古今集 冬 238)
③霧晴れぬあやの川辺に鳴く千鳥声にや友の行くかたを知る (後拾遺 冬 387)
④夜や寒き友や恋しき寝て聞けば佐保の川原に千鳥鳴くなり (堀河百首 冬 989)
②と③では霧の川辺ではぐれた千鳥が鳴いています。②と④では、夕から夜の佐保川の千鳥が詠まれています。佐保川は平城京の東北を流れる川で、古くから霧や千鳥が詠まれる歌枕でした。このように千鳥は群れて飛ぶものであり、どうかして一羽だけ鳴いていると、仲間からはぐれてしまって寂しげに鳴いていると理解されていたことがわかります。特に霧の中から聞こえてくると、そのような印象を強く感じたことでしょう。次の⑤⑥のように、群れて飛ぶ千鳥を「友千鳥」と呼ぶことも、一羽で鳴く千鳥を「友を捜して鳴く」と理解したことと関係があるでしょう。
⑤友千鳥群れて渚に渡るなり沖の白州に潮や満つらん (堀河百首 冬 979)
⑥解けて寝ぬ須磨の関守夜や寒き友呼ぶ千鳥月に鳴くなり (新後拾遺 冬 507)
親を探して鳴くという歌は見当たりませんが、友にはぐれて寂しげに鳴くという伝統的千鳥理解を、『浜千鳥』の作詞者の鹿島鳴秋は知っていて、影響を受けたのかもしれません。彼が6歳の時に父が家出をして父を失い、母は再婚し他家に嫁いだので、祖父母に育てられたそうです。ですから親の愛情に飢えていたことは間違いないことでしょう。親を探して泣いた経験が、この詩となって現れたのだと思います。知らなかったとしても、結果としてそのような寂しい心を表す素材として、月夜の浜辺に鳴く千鳥は最適なものであったと言えます。
千鳥が親を探して鳴くという詩想は、北原白秋の童謡『ちんちん千鳥』にも見当たります。
1、ちんちん千鳥の 啼く夜さは 啼く夜さは
硝子戸しめても まだ寒い まだ寒い
2、ちんちん千鳥の 啼く声は 啼く声は
燈(あかり)を消しても まだ消えぬ まだ消えぬ
3、ちんちん千鳥は 親ないか 親ないか
夜風に吹かれて 川の上 川の上
4、ちんちん千鳥よ お寝(よ)らぬか お寝らぬか
夜明の明星が 早や白む 早や白む
ここでは冬の夜に川辺で鳴く千鳥が歌われています。一羽とはなっていませんが、親を捜して鳴いていると理解できますから、一羽なのでしょう。この歌は大正10年1月の『赤い鳥』に掲載されているそうですから、『浜千鳥』より1年遅れています。詩の発想に何らかの関係があるのかどうかは、私にはわかりません。
話は突然かわりますが、「青い月夜」とはどのような月夜なのでしょうか。私の高校時代、今から半世紀以上も昔の記憶ですが、『月蒼くして』というアメリカの喜劇映画のことを本で読んだことがあります。書名は思い出せないのですが、原題は「The Moon Is Blue」で、アメリカでは「あり得ないこと」という意味であるのに、日本語に翻訳する際にその意味を知らなかったと見えて、詩的に「月蒼くして」と訳され、1954年に日本でも公開されたといいます。そのような誤訳の面白さを述べた本であったように記憶しています。また一月に満月が2回見られることが稀にありますが、そのような月を「ブルームーン」と言い、今年の7月に見られたので話題になりました。
「青い月」「青い月夜」という句は、歌の題にもあったような記憶があり、少し調べただけでもいくつも見つかりました。『青い月夜だ』、『月がとっても青いから』、奥村チヨの『青い月夜』、山本リンダの『青い月夜の』、石川さゆり『青い月夜の散歩道』などがあります。またドラエモンの『青い月夜のリサイタル』という話もあるとのこと。日本人は余程「月」と「青」との取り合わせが好きなようです。
では実際に「青い月夜」があるのでしょうか。そう思ってしばしば夜空を眺めたものです。結論から言えば、実際に青いわけではないのでしょうが、満月前後の月齢の月夜は、確かに黒ではなく青く感じました。月その物の色ではなく、空の色です。また日没後や夜明け前の空も、「青」を感じました。それはまるでシャガールの絵のようでした。歌の世界は理屈ではありません。