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うたことば歳時記

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春風(東風)氷(凍)を解かす

2016-01-26 12:46:24 | うたことば歳時記
 もうすぐ二十四節気の最初である「立春」となります。「沖縄で雪が降る程寒いのに、もうすぐ春だなんて、旧暦はおかしいんじゃないの?」なんてまだ言っている人はいませんか。なぜこんなに寒いのに「立春」となるかについては、私のブログ「旧暦と季節感」をご覧下さい。けっしておかしくないことをわかりやすく説明してあります。
 節分にはいろいろ伝統行事が行われるのに、立春には何もない。しかし古の人達は、立春を心待ちにしていました。春になった徴としては、春霞が最もよく注目されたのですが、もう一つ、「春風が氷を解かす」ということも、春到来の徴と考えられていたのです。
  ①袖ひちてむすびし水の凍れるを春立つけふの風やとくらむ    (古今集 春 2)
  ②春の来る夜の間の風のいかなれば今朝吹きにしも氷とくらん   (堀河院百首 立春 16)
 ①の「ひつ」は「濡らす」という意味、「むすぶ」とは左右の手の平を合わせて水をすくうことです。おそらく去年の夏に、袖を濡らして水をすくって飲んだのでしょう。それが冬に凍ってしまっていたのを、立春の日に吹く風が解かしているだろうか、という意味です。水をすくうの「すくう」は漢字では「掬う」と書きますが、「掬ぶ」と書いて「むすぶ」とも読みます。作者の意図は、氷を「解く」に対応して、「結ぶ」「掬ぶ」という言葉を選んでいますね。まあ言葉の技巧はともかく、立春には春風が吹き、それが氷を解かすと理解しているのです。
 ②は、立春の日のまた暗いうちから吹く風が、どういうわけか氷を解かしているだろうか、という意味です。①②に共通する「らむ」「らん」は現在の推量を表す助動詞で、目の前で氷が解けつつあるのを見ているわけではありません。「解かしているだろうか」と観念的に推量しているのです。つまり、春の立つ日には、春風が氷を解かす物だと、決めてかかっているのです。
 このような共通理解にはその根拠があります。前漢の時代の『礼記』という書物の「月令」(がつりょう)は、各月の年中行事や天文、暦について論じているのですが、その中に「東風解凍 蟄蟲始振 魚上冰 獺祭魚 鴻鴈來」(東風凍を解き 蟄虫(ちつちゆう)始めて振(うご)き 魚冰(うをこほり)に上り 獺(だつ)魚を祭り 鴻雁来たる。)と記されています。これは七十二候の最初の四つを順に並べたものなのですが、そのような知識が早くから日本に伝えられ、日本でも、春立つ日には春風(東風)が氷を解かすということになってしまったのです。
 二十四節気は中国伝来のものがそのまま日本でも使われていますが、七十二候の名称については、江戸時代に渋川春海らの天文学者により、日本の気候に合わせて改訂されました。現在日本の暦に載せられている七十二候は、これを元に1874年(明治7年)の「略本暦」に載せられた「本朝七十二候」のことで、中国のものとは少し異なっています。それでも現代人の感覚からすれば、季節のずれを感じてしまうものも多く、旧暦が批判される理由の一つになっています。ただ七十二候の最初は、中国では「東風解凍」ですが、これは「本朝七十二候」でも同じです。  

 実際に立春に氷が解けるかどうか、春風が吹くかどうかと観察して批判することは、あまりに合理的すぎますね。暦というものは、あくまでも季節の移り変わりの物差しのようなもので、その通りになるはずのものではありません。そもそも日本全国に当てはまる気候の物差しなど、あるはずがないのですから。

 次いでのことですが、春風を「東風」と表記しますが、これは文字通り東の方角から吹いてくる風ではありません。春は東から来るというのは、古代中国から伝えられた四神思想によるもので、「東風」は「春風」のことです。皇太子様を「東宮」と書いて「とうぐう」と音読みしますが、訓読みでは「はるのみや」と読みます。菅原道真の「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」(拾遺集 雑春 1006)の「東風」をそのまま「東風か吹いてきたら」と訳しているのをよく見かけますが、それは間違いという程のことはありませんが、少なくとも実際の方角としての「東」ではありません。

紅梅

2016-01-21 16:33:21 | うたことば歳時記
この冬は暖冬で、元日から紅梅が咲いています。先日は関東平野では珍しい程の大雪が降り、咲き初めた紅梅にも少し降り積もって、淡雪ごしに紅色が透けて見え、なかなか味わいがある見物でした。
 そもそも紅梅がいつから登場するのでしょうか。気になるので調べてみました。『万葉集』にはなんと122首も梅の歌が詠まれているのですが、明らかに紅梅とわかる歌はありませんでした。
  ①引き攀(よ)ぢて折らば散るべみ梅の花袖に扱き入れつ染(し)まば染むとも(万葉集 1644)
意味は、掴んで手折れば梅の花は散るだろうから、袖に包みいれて袖を染めよう、というのですが、 「染む」を根拠に紅梅であるとする説があります。そうかもしれませんが断定はできず、その他に紅梅の歌もないので、あまり説得力がありません。
 紅梅が詠まれるようになるのは、『後撰集』以後のようです。
  ②宿近く移して植ゑしかひもなく待ち遠にのみにほふ花かな     (後撰集 春 17)
  ③紅に色をば変へて梅の花 香ぞことごとににほはざりける     (後撰集 春 44)
  ④春ごとに咲きまさるべき花なれば今年をもまたあかずとぞ見る   (後撰集 春 46)
⑤匂をば風に添ふとも梅の花色さへあやなあだに散らすな     (拾遺集 春 31)
  ⑥かばかりのにほひなりとも梅の花しづの垣根を思ひわするな   (後拾遺 春 61)
 まだ探せばあるのですが、まずは取り敢えずこのくらいで。
②には、「前栽に紅梅をうゑて、又の春遅く咲きければ」という詞書きが添えられています。意味は、家の近くに移し植えた甲斐もなく、ようやく色鮮やかに咲いた花であることよ、といったところでしょうか。ここではわざわざどこかから移植してきたということに注目しておきましょう。
 ③は、紅に色を変えている梅の花だが、香りは白梅と異なった香りではない、という意味で、歌としてはあまり面白くありませんね。④は、毎春素晴らしさが優る花なので、今年の花をそう思って見ます、という意味です。歌だけでは紅梅とはわかりませんが、添えられている詞書きによってそれとわかります。それによれば、藤原兼輔の妻のいる建物の前に紅梅を植えたことがわかります。ここでも身分のある貴族の屋敷に、軒端の梅として紅梅が移植されています。
 ⑤は、香りは風と共に遠くに遣ってしまっても、色までははかなく散らしてくれるなよ、という意味です。⑥には、「太皇太后宮、東三条にて后に立たせ給けるに、家の紅梅を移し植ゑられて、花の盛りに忍びにまかせて、いとおもしろく咲きたる枝に結び付け侍ける」という長い詞書きが添えられています。藤原頼通の娘寛子の住む東三条殿に、三条天皇皇女禎子内親王の乳母であった、弁乳母の屋敷にあった紅梅を移植したのですが、かつての持ち主が愛惜の思いから、その枝に結び付けた歌ということです。実際には献上せよと無理矢理掘って持って行ってしまったのでしょう。立場上嫌とは言えず、渋々承諾したのでしょうが、この逸話から、紅梅が何所にでもあったわけではなさそうなことがうかがわれるのです。
 こうして見てくると、意図的に選んだわけではないのに、紅梅を庭に移植して楽しんでいる歌が3首もありました。もともと紅梅の歌は白梅に比べて大変少ないこと、紅梅を移植する歌がいくつか見られることなとが考えると、断定はできませんが、姿の美しい紅梅は、貴族が移植してでも手に入れたいと思っていたと言うことができるのではないでしょうか。
 そこで、『枕草子』に次のような話を思い出しました。「あてなるもの 薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。雁の子。削り氷(ひ)に甘葛(あまづら)入れて、新しき鋺(かなまり)に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしき児(ちご)の、いちごなど食ひたる。」「あてなるもの」とは「品の良いもの」という意味です。現代語に訳せば、「上品なものは、薄紫の袙(上着と肌着の間に着る内着)の上に白い汗衫をかさねたもの。雁(?)の卵。かき氷に甘いつゆをかけて新しい金の器に入れたもの。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかっている様子。とてもかわいらしい子供がイチゴなどを食べている姿。」ということでしょうか。
 梅の花に雪が降りかかっている様子が上品だというのですが、さてこの梅は白梅か紅梅か、どちらでしょう。もちろんこれだけではどちらか判断することができません。白い梅に白雪の取り合わせも美しいと思いますし、紅梅に白雪が降りかかり、紅の色が少し透けて見えるのも可愛らしいですね。まあどちらでも良いのですが、紅梅が白梅より少ないものであったとすれば、この場合は紅梅かなとも思いました。
 先日、初雪が降り、我が家の紅梅にも積もりました。あまり降りすぎると花の色も見えなくなってしまうので、降りすぎない方が紅の色が見えるのに、と思ったことです。そこで一首詠んでみました。 

  ○新たなる年を寿ぐ紅梅(べにうめ)を隠さぬ程に降れよ白雪


凍れる月影

2016-01-17 16:53:11 | うたことば歳時記
 暖冬と言われていましたがもここ数日は寒さが厳しくなりました。こんな時、夜に外に出て月を眺める人はいないのでしょう。春の朧月、秋の明月を見ることはあっても、冬の凍ったような月は鑑賞の対象にならないかもしれませんね。それでも私は「寒月」という雅号を自称する程に、冬の月の風情が大好きです。まあ寒さに強いからかもしれませんが、冬の月はなかなかよいものです。
 古歌にも冬の月を詠んだ歌がたくさんあるので、いくつか御紹介しましょう。
  ①大空の月の光し清ければ影見し水ぞまづこほりける    (古今集 冬 316)
  ②天の原空冴えさえや渡るらん氷と見ゆる冬の夜の月    (拾遺集 冬 242)
  ③冬の夜の池の氷のさやけきは月の光の磨くなりけり    (拾遺集 冬 240)
  ④冬寒み空に凍れる月影は宿に漏るこそ解くるなりけれ   (金葉集 冬 274)
 ①は、月の光が清らかなので、月影(月の光)が映った水が最初に凍ったことだ、という意味です。「し」は強調ですね。作者の目の前に、何か水が凍っていて、そこに月が映っているのでしょう。その水が凍ったのは、月の光が映ったからだ、というのですから、月も凍っていると理解しています。②はわかりやすい歌で、大空を渡って行く冬の月は、氷のように見える、というのです。ここでも月は凍っていると理解されています。③は冬の夜の池の氷が清らかなのは、澄みきった月の光が磨いたからであった、という意味です。凍った池に月影が映っている様子を、月影が磨いていると理解しているわけです。④は理屈っぽい歌ですが、凍ったはずの月の光が我が家に漏れてくるのは、月の氷が解けているから、と理解しています。冬の月は凍っているという共通理解があります。そう言われてあらためて月を見上げてみると、確かにそのように見えますね。冬の月は南中高度が高く、「孤高」という印象が強いものです。また空気が乾燥していますから、月も星もよく見えることも手伝っているのでしょう。
 「凍った月」と言えば、私のような古い世代は唱歌『灯台守』を思い起こします。

  1、こおれる月かげ 空にさえて 真冬の荒波 よする小島(おじま)
    想えよ とうだい まもる人の とうときやさしき 愛の心

  2、はげしき雨風 北の海に 山なす荒波 たけりくるう
    その夜も とうだい まもる人の とうとき誠よ 海を照らす

 この歌は1947年に文部省発行の小学生向け音楽教科書「五年生の音楽」に掲載されたそうです。曲については、ネット上の解説ではイギリス民謡ともアメリカの賛美歌ともあって、私にはどちらが本当なのかわかりません。私も小学生の時に習いました。しかし現在は日本の灯台は全て無人化され、歌詞の内容は実態にそぐわなくなってしまいました。そのためか、音楽の教科書からも姿を消してしまいました。若い世代の方はご存じないでしょうが、YouTubeで聞くことができるでしょうから、一度視聴して下さい。
 灯台の業務がどれ程大変なことであるかは、1957年に松竹が制作した、木下惠介監督の映画作品であ『喜びも悲しみもいく年月』によく表されています。この映画は、海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマです。機会があればこれも是非御覧下さい。またこの映画の印象と重ね合わせて唱歌『灯台守』を歌えば、さらに印象が強まることでしょう。命懸けで灯台を保持する人の心は、やはり春や秋の月よりは、冬の凍ったような月を背景にした方が心に染み通ってきます。「朧の月影」や「明るき月影」では、この場合は『灯台守』の歌にはなりませんね。
 話が逸れてしまいましたが、寒さが厳しいでしょうが、敢えて外に出て、凍っているように見える月や、凍っている池に映る月を眺めてみて下さい。心まで清らかになるような感じがすることでしょう。
 

冬の森の月

2015-12-25 15:00:21 | うたことば歳時記
森の中から月が見えるのかって? それがまたよく見えるばかりでなく、なかなかの風情のある見物なのです。もちろん落葉した後の冬の森でのこと。いくらなんでも夏では月は見えません。しかし紅葉が落葉し始める頃には、その枝の隙間から漏れ来る月影の美しさが注目されました。
  ①紅葉葉の雨と降るなる木の間よりあやなく月の影ぞ漏りくる      (後拾遺 秋 362)
  ②風吹けば枝やすからぬ木の間よりほのめく秋の夕月夜かな       (金葉集 秋 175)
  ③秋の夜の月の光のもる山は木の下かげもさやけかりけり        (詞花集 秋 99)
 ①は、もみじの葉が雨のように降る音のする木の間から、おかしなことに月の光が漏れてくることだ、という意味です。雨の降るような音がするのに、木の間から漏れてくるのは雨ではなくて月影であるというのですから、少々理屈っぽい歌ですね。まあそれはさておいて、紅葉が散り始めて葉が疎らになっているのでしょう。その隙間から月が見えるというのです。現代では紅葉の名所では、夜にライトアップをすることが多いのですが、本来ならば自然の月影の美しさを愛でたいところです。しかし月齢によっては月が見えませんから、人工的照明でも仕方がないのでしょう。それにしても落ち葉の音を聞き分ける繊細さにはただ驚くばかりです。
 ②は、風に揺れ動く枝の間から、ほのかに見える夕月であることよ、という意味です。夕方に木々の間から見えたというのですから、その時刻にはまだ高度の低い月と思われます。西空に見える三日月に近い月齢の細い月では、木の間からはあまり見えないでしょうから、この場合の月は、夕方に東の低い空に見える満月に近い月齢の月でしょう。木の間から漏れ来る月影の歌といえば、「木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり」(古今集 秋 184)もよく知られています。
 ③の「もる山」は近江国の「守山」という歌枕を掛けているのですが、その守山では、月の光が漏れてきて、木の下陰でも明るいことだ、というのです
 ここにあげた4首はいずれも秋の歌ですから、まだ落葉しきってはいない時季です。ですから隙間から月影がちらっと見える程度なのでしょう。期せずして「漏れる」という表現が多いのもそのためと思われます。
 これが冬になると木々は葉を落として枝と幹だけになり、月が更によく見えるようになります。
  ④秋はなを木の下かげも暗かりき月は冬こそ見るべかりけれ       (詞花集 冬 148)
  ⑤もみぢ葉を何惜しみけん木の間よりもりくる月は今宵こそ見れ     (新古今 冬 592)
  ⑥小倉山ふもとの里に木の葉散ればこずゑにはるる月を見るかな     (新古今 冬 603)
  ⑦風を寒み木の葉はれゆくよなよなに残る隅なき庭の月かげ       (新古今 冬 605)  ④は、秋は月が明るいと行っても木の下陰はまだ暗かったのに、月は落葉してしまった冬にこそ見るべきものであった、というわけで、冬の木の下で発見した寒月の美しさを詠んでいます。⑤はわかりやすい歌で、紅葉の散るのを何故あれ程までに惜しんだのか。木の間を漏れてくる月影の美しさは、木の葉の散ってしまった今宵こそ見ることができる、という意味です。
 ⑥は西行の歌で、ほの暗いという小倉山で、麓の里の木の葉が散ると、梢には小倉山の印象とは反対に明るい月が見えることだ、という意味です。梢に懸かるように見えるというのですから、月の高度は低く、大きく見える月だったのでしょう。梢越しに見えるというところに面白さを感じているのです。
 ⑦は、風が寒いので木の葉が散って行く夜ごとに、庭から見える次第に隈のなくなる明るい月であることよ、という意味です。
 これらの歌に共通しているのは、梢を背景としたり、梢に近い高度の低い冬の月です。高度の高い冬の月には、それはそれでまた別の風情があるのですが、高度が低い故に、幹や枝の影が影絵のように見えるのでしょう。そこに森の中で見る冬の月の風情があるのです。私は額縁のような枠を拵え、それを両手で月の方にかざして月を眺めてみました。まさに影絵の一場面でした。月を楽しむのは秋に限るなどと決めつけず、厚着をして森の月見を堪能してみて下さい。

年末年始は多忙のため、記事を書く余裕がありません。しばらく休みますが、また再開しますので御覧下さい。 

年の瀬と飛鳥川

2015-12-22 15:50:15 | うたことば歳時記
 冬至を過ぎれば、年の暮れゆく実感が否応なしに湧いてきます。その前にクリスマスがと言われそうですが、キリスト教徒の私には、商業主義的・享楽的クリスマスは全くよそ事で、「年の暮」の方がピンと来るのです。それはまあ個人の問題として、なぜ年の暮を「年の瀬」「年の早瀬」と言うのだろうかと、ふと疑問が湧きました。「瀬」「早瀬」と言うからには、年月を川の流れに譬えていることは明かです。
 年末の古歌を探してみると、「年は暮る」「年はゆく」とか「年を惜しむ」という動詞的表現はたくさん見つかります。しかし「年の暮」という名詞的な表現はそれほど多くはなく、それも『金葉和歌集』以後のことのようです。「年の瀬」という表現に至っては、古歌では見たことがありません。権威のある古語辞典にも「年の瀬」は載っていませんでした。「年の瀬」という表現がいつ頃から見られるようになるのか、確実なことはわかりませんが、江戸時代以降のことではないでしょうか。
 年の行くのを川の流れに譬えることは、『古今集』に例があります。
  ①昨日(きぞ)といひ今日と暮らして飛鳥川流れてはやき月日なりけり    (古今集 冬 341)
①には、「年の果てに詠める」という詞書きが添えられています。昨日はと言い、今日はと言って暮らしゆくうちに、明日には年が改まる。年月は飛鳥川のように早くながれるものだ、という意味です。昨日・今日・明日と言葉を並べることによって、月日の早さを表し、それを飛鳥川の流れに譬えている技巧的な歌ですね。
 ただその後の歌では、鎌倉期以降になるまで見当たりませんでした。(あるいは私の見落としがあるかもしれませんが・・・・・)。
  ②もののふの八十氏川をゆく水の流れてはやき年の暮かな          (金槐集 冬 343)  ③とどめばや流れてはやき年なみの淀まぬ水は柵(しがらみ)もなし     (新勅撰 冬 438)
  ④飛鳥川かはる淵瀬もあるものをせくかた知らぬ年の暮かな         (新勅撰 冬 440)  ⑤年月はさても淀まぬ飛鳥川ゆく瀬の浪のなに凍るらむ           (続拾遺 冬 465) ②は源実朝の歌で、「もののふ」は「八十氏」(多くの氏族の意)の枕詞で、「氏」は「宇治川」を導くという構造になっていますが、「もののふの八十」は「宇治川」を導く序詞と理解することも出来るでしょう。「八十氏川」は「宇治川」の異称と理解してもよいと思います。難しい理屈はさておいて、年の暮れは宇治川の流れのように早いものだ、というのです。内容としては単純ですが、宇治川は大変水量の多い川ですから、どこか力強さが感じられます。
 ③は、淀むことなく早く流れる年月を堰き止めたいが、堰き止める柵もないことだ、という意味です。②は年月の流れの早いことについての感慨であるのに対して、③は年を重ねて老いることを嘆いているようにも理解できます。
 ④飛鳥川は浅瀬が淵になったり、淵が浅瀬になったりして流れが変わることもあるのに、年月の流れは堰き止めることも出来ない年の暮れであることよ、という意味です。『古今集』933に「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌があり、人の世の常ならざることが詠まれているのですが、④はこの歌を踏まえているわけです。『古今集』のこの歌は以後の飛鳥川の歌に大きく影響し、古人は飛鳥川という言葉を聞くと、人の世の無常を反射的に連想することになりました。ですから古歌の中で年月を川の流れに譬えて詠むとき、わけても飛鳥川の流れを年月の早さに譬えて詠むとき、特に触れなくとも「人の世の無常」が下敷きになっているのです。こういうことは言葉の表面だけを解釈すると見逃してしまうことですね。古人はある歌枕について詠まれた有名な歌はみな諳んじていましたから、その積み重ねによって熟成されてきた歌枕の情趣というものがあったのです。
 ⑤年月は淀むことなく流れて行くのに、飛鳥川の瀬はどうして凍っているのだろうか、という意味です。さすがに真冬のため、淀まぬはずの飛鳥川の浅瀬が凍っていたのかもしれません。淵と瀬という表現があるのは、もちろん前掲の『古今集』933を踏まえているからです。 
 こうして見てきますと、年月の流れを川の流れに譬える歌には、先程にも触れましたが、時間の経つことの早さに改めて驚いている歌と、年を重ねて老いることの早いことを嘆いている歌と、二通りの歌があること言えるのではないでしょうか。ただこのことについては現代人は実感が湧かないことがあります。それは古には誕生日という発想そのものがなく、年が改まると皆一斉に年を重ねる、つまり一歳年老いるという年齢の数え方をしていたため、年末には特に老いを嘆くことになったのです。

 人の世を川の流れに譬えると言えば、古典文学の中ではすぐに『方丈記』の冒頭部が思い出されます。高校の古典の授業で暗記させられた御蔭で、覚えている人も多いことでしょう。「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」。ここには先程も触れた「無常」ということがはっきりと読み取れます。
 ところが美空ひばりの『川の流れのように』になりますと、少々歌の雰囲気が違いますね。「ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい」というのですから、人生を川の流れに譬えていても、そこには「無常」は感じられません。どちらが良いかという問題ではありませんが、同じ川の流れと言っても、いろいろ感じ方があるものですね。飛鳥川に行ってみると、見る場所によっても違うでしょうが、瀬も淵もあります。美空ひばりの「川」は、悠々と流れる大河なのかもしれません。