要旨:
20世紀初頭のアメリカでは、ダーウィニズムの影響を受けた心理学者のスタンレー・ホールらによって、児童研究運動(Child Study Movement)が起こり、その影響は世界中に広まり、日本にも及ぶこととなった。当時の日本の研究者たちは〝児童学〟を旧来の教育学や心理学との違いを明確にし、生物学的な視点を盛り込むことで子どもの心身を総合的に考察することをめざしていた。本稿では当時の研究者たちが〝児童学〟をどのように捉えていたかを考察していただくために、19世紀末に始まった自然科学的な児童研究が、日本にどのように移入されたのかという原点を確認する意味で、貴重な資料である月刊誌「児童研究」の創刊号の内容の一部を紹介するものである。
20世紀初頭のアメリカでは、ダーウィニズムの影響を受けた心理学者のスタンレー・ホールらによって、児童研究運動(Child Study Movement)が起こり、その影響は世界中に広まり、日本にも及ぶこととなった。明治23年(1890)に心理学者の元良勇次郎、英語学者の神田乃武、社会学者の外山正一、教育学者の高島平三郎らによって、「日本教育研究会」が創設され、後に児童心理学者の塚原政次、心理学者の松本孝次郎も加わり、明治31年(1898)には月刊誌「児童研究」が発行されることとなった。明治35年(1902)には名称を「日本児童学会」に改名し、心理学、教育学、医学の3つの分野から総合的に児童の研究を行う「児童学」を標榜する学会が誕生した。
本稿は、当時の研究者たちが〝児童学〟をどのように捉えていたかを考察していただくために、月刊誌「児童研究」の創刊号の内容の一部を紹介するものである。
19世紀末の科学の時代らしく、児童学は旧来の教育学や心理学との違いを明確にし、生物学的な視点を盛り込むことで子どもの心身を総合的に考察することをめざしていた。興味深いのは、教育や倫理などの基礎づけにも、文化や社会の起源の考察にも、児童研究を生かせると考えているところであり、当時の研究者たちがいかに〝児童学〟という学問に新鮮さとともに期待を感じていたかがよくわかる。
児童学の推進者たちは、子育てや教育に役立てるという実践的な目的だけではなく、「成人と子どもの違い」「文明人と未開人との違い」「ヒトと動物の違い」などを明らかにするための比較研究の方法論のひとつとして児童研究を意識していたことがうかがえる。また、児童研究の動機づけとして、教育の基礎付けとともに人間存在の謎を解き明かしたいという壮大な思いが広がっていた。天文学同様に国際的な協力のもとに研究は進められるべきであるという記述も見られる。ダーウィンの一連の仕事の影響を受け、その信奉者となった世界中の児童研究者たちの思潮がそのまま日本の研究者たちにも流れ込んでいたようである。
明治・大正期の「児童研究」は海外の論文や研究者の紹介が主なもので、原著論文も少なく、内容も雑多なものであり、決して学術的な評価の高いものではないが、19世紀末に始まった自然科学的な児童研究が、日本にどのように移入されたのかという原点を確認する意味で、貴重な資料だと思われる。現在、月刊誌「児童研究」は第一書房の複製版によって読むことができる。
「発刊の辞」と「論説」は編集側の文章であり、執筆者不明だが、「祝辞」は元良勇次郎、「児童研究の発達」は松本孝次郎による。元良勇次郎は日本の近代心理学の父と称され、海外で実験心理学者のヴントや心理学者のホールなどに学び、東京帝国大学に日本で始めて近代的な心理学科を創設した人物であり、日本児童学会の設立にも尽力した。松本孝次郎は心理学者であり、障害児教育の研究者として知られている。
なお、インターネット上の活字の制約から旧漢字の一部は新漢字に、異体字は正字に直し、読みやすいように文章に句読点を増やすなど多少の変更を加えた。また、人物や国名などの固有名に関しても一部は現代の表記に直した。
※参考図書 第一書房「児童研究」複製版3巻、56巻。
「児童研究」創刊号より 明治31年(1898)11月3日
発刊の辞
19世紀の後半において世界の事物は著しく進歩し、学術に工芸にみな急速に観を改めたり。而して学術において、その進歩の顕著なるもの医学の如き理化学の如き、もとより一にして足らずといえども、心理学の如きは、またその顕著なる進歩の行程中にあるものといふべし。
夫れ17世紀の後半においてロックが経験派に属する心理学の基礎を打ち立てし以来、これに続きて18世紀の前半にはヴォルフの合理的心理学の出づるあり。その後半にはカントの知識論の現はるるあり。かくて今世紀の前半においてヘルバルトの観念的心理学出づ。その間一道の気脈綿々絶えず、変化に変化を重ね、発達に発達を加へ、ヘルバルトに至りて、暗にこの光彩絢爛たる今世紀後半の心理学に基礎を与えたり。而してこの基礎は四分五裂して、各固有の方面に向かいて深くかつ遠く研究せられ、ついに吾人が今日に見るが如き各科の心理学を現出するに至りぬ。また盛んなりといふべきなり。
なかんずく児童心理学の如きは、その発達もっともすみやかにして、独に仏に英に米に、あるいは医学上よりあるいは生物学上よりあるいは生理学上よりあるいは解剖学上より熱心にこれを研究し、ついに単に心理学の名に満足せずして、児童学の新名称を付与し、児童の心身全体に関する研究を創むるに至れり。
けだし一対象物につき、かくの如く各科の学者が熱心に研究したるものは古来その類多からざるべし。そもそもこれらの学者は何の必要ありて、かかる熱心を児童の研究に傾注するか。すなわち各自が専門とするところの学に新光明を与ふべき秘密は、かくれて可憐なるこの新来の賓客の中にあればなり。特に教育の如きは直接に児童に関係せるものなれば、その研究の必要いっそう切なるを加えるものあり。これ欧米の学者及びわが国の識者がつとにその研究を企画したる所以なりとす。
しかるに欧米におけるこの種の事業は年々進歩し、著書に雑誌に学会にあらゆる手段を尽くして、その研究に従事せるにかかわらず、わが国においてはかつて幾回か先輩の誘導奨励ありしも、依然として振興の機運に向はざりしは、実に教育上の一大遺憾にあらずや。
されば本所は奮いて識者先輩の志を継ぎ、我国教育界の機運をして欧米と駢馳して(へんち:並んで)恥づるところなく、よく自国の児童におきて実際の経験観察を重ね、これを欧米のものと比較して、その異同を明らめ、以て国家教育の基礎を置くべき確実なる根拠を得しめんことを期し、ここに天長の佳節を卜(ぼく)し、本誌を発刊して広く世間に頒つに至れり。またこれ吾人教育学術の研究に従事せるものが聖代に酬ゆるの微衷(びちゅう:真心)なり。看ん人これを以ていたずらに流行を追いて利をあみするものと同一視することなかれ。これを発刊の辞とする。
祝辞 元良勇次郎
今人あり。機関の構造を知らずして、器械を使用せんとせば、誰かその危険を思わざるものあらん。あるいは、また植物の性質を知らずして、これを栽培せんとするものあらば、誰かその迂闊を笑わざるものあらん。いわんや万物中最も精巧の活動をなす人類を教育せんとするにあたり、精神活動の性質及びその発達の法則を明にせずして、これを教育せんとするものあらば、人これを何をかいはむ。
頃日、教育研究所において児童研究といへる雑誌を発行せんとする挙ありて、高島・塚原・松本の諸氏またこれを賛し、各その専攻にかかわる学説実験を掲記せしむと聞く。これ我が教育社会のために賀すべきことなりとす。何となればこれ我が教育社会の新事業にして将来大いに希望を属すべきものなりと信ずればなり。そもそも古来の思想によれば人の精神は身体の性質によるべきものにあらず、単にその鍛錬如何によりて発達すべきものなりとし、各個人の性質をも区別せず、ただ厳重なる教育鍛錬を施し、どうもすればこれがために、あるいはその一部の事業に熟達することあるも精神全体の健康を失ひ、その人格を損ひたること少なからざりき。かくのごときはもとより独り東洋にのみ行われたることにあらず。各国を通じて同一の状態なりき。
しかるに、西洋においては近世心理学のますます明なるとともに精神と身体の密接なる関係及び各個人によりて精神活動の状態大いに異なれるを発見し、教育者として必ずまず児童の性質を明にし、その性質に応じてこれを教育せざれば、その功少なくあるいはかえってこれを害するのおそれあることを是認し、児童研究いよいよ盛んなるに至れり。
我国維新以後、百事西洋各国の思想を輸入し、教育の如きも西洋の例に倣いたるなり。これ開国の当時止むを得ずるの事情にして、かくのごとくして吾人を益したること少なからず。しかりといえども、今や教育の事略は整ひたり、今後ますますその発達を謀らんとするには、必ず本邦人の性質を明にし、これに応じて教育の道を講ぜざるべからず。本邦人の性質を明にせんとするにおいては、児童の研究はそのもっとも大切なるものなり。
己にその研究を教育者に促したるもの無きにあらざりしも、その時期の至らざりしがために好結果を得ざりしなり。しかりといえども、今日は己に時機至れるものなるが如し。世の児童研究に従事するものはもちろん、いやしくも教育に関係あるものは直接あるいは間接に発行者の志望をして貫徹せしめんこと余の切望に堪えざるところなり。いささか思うところを述べて祝辞に代ふ。
児童研究 論説 児童研究の必要(一部抜粋)
教育に関する思想界一般の趨勢は、いまや那辺(なへん:どちら)に向いて集注せんとするか。賢明なる読者はすでにこれを認知せるならん。見よ、児童研究と名づくる新方面の研究は19世紀の後半に起こり、将来20世紀の教育界においては次第に研究の焼点たらんとするものあることを。
おそらくは新教育学なるものが児童研究の上に建設せらるるの期あらんと信ずるは、決して迷妄の期望にあらざるべし。ここにおいてか吾人が平生懐抱するところの意見を提げて、これを我が教育界に呈露するはあながち無用のことにあらざるを信ず。
いわんや我が国教育の事業は比較的に進歩したるものありといえども、未だ完美の域に及ばざるや遠し。而してここにまず児童研究と称する思想の新潮流に対して、現今教育者が取るところの態度を顧みれば、ことに歎ずべきもの少なからざるを覚ゆ。いやしくも身を以て教育の事業に当たらんとするものにありてはここに猛省一番の要なしとせんや。
およそ事物の研究は、まず詩的の段階より始まりて、漸々科学的研究に移るものなり。試みにこれをギリシャ哲学の発達に徴するも、最初は詩的思想と謂つべき神話より、次第に純然たる哲学思想を起こしたるが如き是なり。児童の研究の如きもまたかくの如し。
かつてフランスにおいては「ルソー」がその名著『エミール』を公にし、児童を以てこれを研究するの価値あるものなることを唱道したり。この書は実に、世人の児童に対する観念に一大変動を与えたり。而して行文雄健(こうぶんゆうけん:力強き文体に)加ふるに熱情を以てす。読み去り読み来たりて、興味津々たるものあるを覚ゆ。
しかれども、「ルソー」の時代は、もとより今日の時代とは異れり。彼は決して心理学者にあらず。彼は決して生理学者にもあらざるなり。すなわち、彼は児童を観察し、これを研究するに当たりて、現今の如き精密なる科学的眼孔を以てしたるものにあらざることは、何人といえども承認するところなるべし。而して彼はこの精密なる科学的観察に代るに、詩的眼孔を以てせり。しかるに現世紀の後半に至りて、一般に科学の進歩を見るに及びて、先には詩的観察に止まりしものも、今は変じて次第に科学的に考究せられんとす。あに思想界の一大変動というべきものにあらずや。
児童の研究がかくのごとき機運に遭遇せる所以のものはそもそも何ぞや。思ふにこれ畢竟種々の方面の研究よりして児童研究の必要なることを認め得たるを以てなり。そもそも諸般の研究は、種々の必要に迫られて起るものなり。而して児童研究の如きは如何なる種類の必要によりて起りたるものなるか。今これらの問題について考察するは、すこぶる有益なることなりとす。吾人は便宜のために、ここに理論的方面に関する必要と、実際的方面に関する必要とに分かちて、これを論ぜんと欲す。
今理論の方面よりしてこれをいえば、児童研究の必要は、児童が原始的のものなるにあり。自然科学にありては、動物学及び植物学の如きは、古生物学の研究によりて大いにその眞趣を解釈し得たるもの少なからざると同じく、すでに発達せる人間の心理を研究するものは、原始的の状態に遡りて、児童の心理を明らかにせば、これがために大いに得るところあることもちろんなり。また人類学者にとりては、児童は自然の位置において成人と動物との中間に位するものなるを以て、人類と他の動物との比較研究をなし、あるいは文明時代の児童と野蛮人とは、如何なる点において類似せるかを発見するを得べし。
哲学者にとりては、人生ながらにして如何なる種類の知識を有するか。経験は我々に如何なる知識を与ふるものなるか。いわゆる先天観念の如きものは、吾人は到底これを承認せざるべからざるか等の問題に対して、大いに研究の材料を供給することを得ん。ドイツの哲学者「パウルドイスセン」曰く、若幼児童がその生活の最初において、彼らの心に起るところのものを我々に知らしむることを得ば、以て「カント」の唯心論を解するを得んと。けだし至言と謂つべし。
而して児童の研究は、倫理学者に対しても、また大いに指示するところあらんとす。倫理学派中ことに先天的基礎の上に倫理学説を建設せんと欲するもののごときは、しばしば良心の判断を以て、人間の心が本来より有する機能なりとなせり。かくのごときものは心理作用の発達を参照してこれを批判すべきにあらずや。その他人間は、本来自愛的のものなるか、はたまた他愛的のものなるかの問題の如きも、大いに児童研究に待つところありといふを得べし。また生理学者の比較発達の研究の上にも、児童研究するは一大要務なりとす。
さらにひるがえって、実際的の方面より観察すれば、なほ諸般の必要は、続々として吾人の念頭に浮かぶものあらむ。幼児の保育は、如何なる用意と方法とを以てなすべきものぞ。児童の教育は如何なる心理上の基礎によりて行うべきものなるか。学校における児童の管理は如何なる方針と標準とによるべきものなるか。如何なる家庭の教育が児童の発達にとりてはもっとも適当なるものなるかなどの問題に向ひて、確実なる指導を与ふるものは、これ児童研究に外ならざるべく、これらは吾人に直接に必要を感ずるところのものなりとす。
かくのごとく我々は児童研究そのものの理論的及び実際的の必要を詳らかにするときは、這般の事業がよって起こる所以を明らかにすべく、また軽々に看過すべきものにあらざることを知る足らむ。これに加ふるに、吾人は児童が社会において如何なる位置を占むるものなるかを考察するときは、さらにいっそう必要を感じることすこぶる大なりとす。
児童研究の発達 松本孝次郎
児童研究のことたる、決して斬新なる事業といふべからず。古来いずれの国にありても、学者及び教育者は深く児童に注意せるものありしは事実なり。ただに学者及び教育者のみならず、一般の人士もまた多少児童に注意せざるものは、ほとんどなしというも可ならむ。人類は一般にその子を愛せざるものなく、また発育成長を願わざるものなし。これを愛すればすなわち、これに注意すること深く、これが発達を欲すれば、養育扶掖(よういくふえき)至らざることなかるべし。およそ天下の事多しといえども、情を以てこれをいへば、子を思ふ親の心より切なるものはあらず。この切なる熱情を以て、至愛の子に臨む。これゆえに親はその子の笑ふを見てはこれを悦び、叫ぶを聞きてはこれを憐み、如何にして成長せしめんかと、如何にして賢良たらしめんかと、苦心焦慮至らざるところなし。而してこの苦心この焦慮は、これすなわち児童研究に外ならざるなり。
古代ギリシアにおいても、すでに「プラトン」は、その対話篇「共和国」の中に、教育のことを論じ、児童の教育は如何になすべきかを説き、またその対話篇「法律」の中には、児童保育に関する意見を述べ、出生後如何に児童を取り扱うべきを論じたり。その他ローマにおいては、「クインティリアヌス」は、幼年時代の教育がすこぶる重要なる価値を有する所以を説きて、保母の選択はもっとも注意すべき事項なることを述べたり。
これらは皆児童を研究せるものなりといふを得べし。而して時代により、あるいは土地によりて児童に対する観念を異にすれども、要するに多少児童に留意せざるものなく、幾分か児童に関する試験なきものはあらざるなり。故に曰く、児童研究と名づくる事業は、むしろ古代より行われ来るものにして、近頃これに新たなる名称を与えたるに過ぎずと。
しかれども、児童の研究は「ペスタロッチ」によりて、ますます精確となり、現今児童研究において用いられるところの方法と、ほとんど同一なる研究法を行ふに至れり。疑ひもなく古代の研究と近世の研究との間に差異あることもちろんなるは、あたかも他の種類の研究が、その発達上取れるところの段階と同じく、児童研究にありても、古代の経験説は、次第に組織的研究に変じ来れるは、明瞭なる事実にして、児童に関する科学的方法が発達したるは「ペスタロッチ」において、その端緒を開きたりといふを得べし。而して児童研究を以て、一個独立のものとし、これに特殊の名称を附したるは、アメリカ「インディアナ」の人「オスカー・クリスマン」にして、1896年「パイドロギー(Paidology)」と題する論文を著はせるを以て始めとす。
「パイドロギー」は、これを児童学と訳すべきものにして、その語源は、ギリシア語より由来せり。ここに吾人は、よく児童学といへる語に注意するを要す。児童学は決して児童心理学と同意義にあらざるなり。すなわち児童学は、単に児童の精神に関する研究をなすのみにあらずして、身体に関する追究をも包含せしめんとするものなり。換言すれば、児童全体につきて研究せんとするものなり。今この意義における児童研究は、現今如何なる程度に発達し来れるかを攻究すべし。
夫れ児童研究の発達を考ふるに、二個の点において漸々(ぜんぜん:徐々に)進歩し来りたるの傾向あるを見る。(1)研究法の上に変化し来れる傾向あること。(2)種々の興味によりて、諸般の方面に、研究を及ぼせること是なり。
そもそも児童を精確に研究せんとせるはドイツを以て始めとす。1782年「マールブルグ」の哲学教授ディートリッヒ・ティーデマンが『児童精神の発達』を著はせる。これ小児童研究の嚆矢にして、この書はフランスの「ペレー」氏が『ティーディマンと児童学』と題する著書を、1881年において公にしたるより、広く世に紹介せられたり。1851年「レービッシ」氏の著『児童精神の発達史』と題するものを公にせられたるが、実際上著しき勢力を世に与ふることなかりき。その後1856年「シギスムンド」の『児童及び世界』といへる観察録あらはれたり。氏の観察ははなはだ精密なるものとして一般に承認せられたるが、この後「クッスモール」「ゲンツメル」「フィールオルト」などの生理者及び医師が、ますます精確なる研究をなすに至れり。 1880年「フィリッツ・シュルツェー」氏が公にしたる児童の言語に関する研究も、また有益なるものなり。この頃「ストルムペル」氏は、その心理的教育学を著し、附録として初二年間における、女児の精神発達に関する注意を載せたり。
1882年「プライヤー」氏は『児童の精神』と題する著述を公にし、すこぶる精密なる児童の研究をなせり。而してプライヤー氏の著述が、ドイツにおける学術界に及ぼせる影響は、これを外国に及ぼせる影響に比すれば、かえって少なるの傾きあり。
この故に児童研究は、もしその起源をドイツに発せるも、現今もっとも隆盛の域にあるものは、反りて米国なるを見る。しかれども、ドイツにおいても1896年より「コッホ」「チムメル」「ウーフェル」及び「トルゥペル」などの諸氏の尽力によりて、「ディー キンデルフェーレル」と題する研究報告を発行せられ、以て児童心理学のために、大いに貢献するところあるに至れり。
ジギスムンドが『児童及び世界』といえる著書を公にするや。その序文の中に彼の希望を述べて曰く、児童の精神に関して、多数人の一致を以て、研究を進めんことを望むと。この希望は、決して空想を以て終わらざりしなり。少なくとも、英国及び米国における児童研究の発達は、明らかに氏の希望を満足せしむるものにあらずや。
イギリスにおける児童研究は、チャールズ・ダーウィン氏が、1872年幼児の観察を公にせるを以て始めとす。また、その翌年氏が公にしたる『人間及び動物の感情の表出』もまた児童心理学にとりては重要なる著作なり。
これに次いで1878年「ボロック」氏は「児童の言語の発達」といえる研究を著せり。また1889年「ローマニス」氏は『人間の精神的発達』を著し、その他「フランシス・ワーナー」氏は1893年「児童研究」を出版して、研究の方法に関する有益なる著述をなせり。1896年「サレー」氏は、児童の研究を公にして、多くの観察上の事実を蒐集し、1897年「ステイムプル」氏は、これをドイツ語に翻訳せり。
而して、多人数の団体としては、1881年国民教育協会の設立ありて、多く教育に関する方面を研究し、また1894年「ミス・ロウク」及び「ミス・クラブバアトン」によりて、英国児童研究会設立せられ、現今400名以上の会員と、5個の支会を有するに至れり。そのほか学校衛生改良会の事業の如きも、変態の児童を研究せる点に関して、児童心理学のために、材料を与ふること多し。
アメリカにおいては、有名なる「スタンレー・ホール」氏を以て、児童研究の創唱者となす。氏は1887年より、米国心理学雑誌を発行し、また1891年より教育壇を出版し、広く研究の成果を蒐集して、学会のために便益を与ふることすこぶる多し。而して、1893年以後、児童研究大会の設立に関して、尽力するところ少なからず。ついに児童心理学は、米国において、もっとも健全なる発達をなせるは、「ホール」氏の功興って大いに力ありといふべし。
またクローン氏は、1895年よりして、児童研究月報を発行せるが、その材料すこぶる豊富にして、しかも有益なるは我々の敬服するところなり。著述として大いに価値あるものは、「トレーシー」氏の「児童心理学」、「ボールドウィン」氏の「児童及び人種における精神の発達」。「ミス・シン」の「児童発達記要」、「オッペンハイム」氏の「児童の発達」、「チェンバレン」氏の「原始的文化における児童」等なり。現今に至りては、カンザス、アイオア、イリノイ、ミネソタ、ネブラスカ、ニューヨークなどのごとき、児童研究会を設けて、さかんに研究の途に進みつつあるを聞く。
フランスにおいては、1863年「ティーディマン」氏の児童観察をオランダ語に翻訳したり。これこの国における、児童研究に関する書籍出版の嚆矢なり。1876年「テーヌ」氏は児童言語の発達について、著名なる著述を公にし、翌年「エグジェー」氏は、児童の知力及び言語の観察及び攻究を著せり。而して児童心理学につきては「ペレー」氏の著述たる(1)『児童初三年の観察』(2)『3年より7年までの児童』(3)『児童の芸術及び詩歌』はもっとも有益なるものにして、1878年において、その第一巻を公にせり。「コムペーレ」氏は、1893年『児童の知力及び道徳の発達』を著し、児童心理学のために貢献するところあり。その他フランスにありては、「心理学年報」を出版して、実験的研究の結果を報告するの機関となせり。
欧米における児童研究の発達に関する概略の状況は、上来著述せるがごとくにして、この間において、吾人は研究の方法につきて、変動せる形跡を認むるとすこぶる容易なりと信ず。すなわち最初はもっぱら観察を主とし、自然的条件の下に児童の発達を研究せるに止まりしが、後には実験的方法を用いて、人工的に種々の条件を設け、児童を研究することとはなれり。而して近来に至りては、単に一個人として、これに従事するのみならず、団体を設けてこの研究をつとむるに至りたるは、児童研究における、一大進歩と見るべきものなり。これに加ふるに研究の方面は、漸々多面的となり、種々の方面より興味を起こし、研究を進むるを以て、次第に完全に児童を知るを得るに至るべし。 今試みにその主なるものを挙げれば、「児童の思想及び推理児童の言語」「児童の感情」「児童の道徳心」「児童の芸術」などにして、これらの問題に関する学者の研究の結果が、世に公にせられたるもの少なからず。されば吾人はこれら参考の材料を得ること難しからず。而してここに輓近(ばんきん:近頃)に至りて、児童研究の新方面と称せらるるものが、さかんに勃興し来れるを見る。この新たなる研究の方面は、教育者によりて実行せられ、畢竟するに実際的価値を有するものにして、主として教育に関するものなりとす。すなわち、幼児保育に関するもの、教授の材料及び方法に関するもの、管理に関するもの是なり。思ふに20世紀における児童研究は、大いにこの方面に向って発達するものあるべく、いわゆる新教育学の基礎は、これによりて大いに得るところあらんと信じるなり。吾人がさらに将来に向ひて、希望するところのものは、かの天文学の研究の如く、各国相協同して、その道の進歩発達を計らんこと是なり。
20世紀初頭のアメリカでは、ダーウィニズムの影響を受けた心理学者のスタンレー・ホールらによって、児童研究運動(Child Study Movement)が起こり、その影響は世界中に広まり、日本にも及ぶこととなった。当時の日本の研究者たちは〝児童学〟を旧来の教育学や心理学との違いを明確にし、生物学的な視点を盛り込むことで子どもの心身を総合的に考察することをめざしていた。本稿では当時の研究者たちが〝児童学〟をどのように捉えていたかを考察していただくために、19世紀末に始まった自然科学的な児童研究が、日本にどのように移入されたのかという原点を確認する意味で、貴重な資料である月刊誌「児童研究」の創刊号の内容の一部を紹介するものである。
20世紀初頭のアメリカでは、ダーウィニズムの影響を受けた心理学者のスタンレー・ホールらによって、児童研究運動(Child Study Movement)が起こり、その影響は世界中に広まり、日本にも及ぶこととなった。明治23年(1890)に心理学者の元良勇次郎、英語学者の神田乃武、社会学者の外山正一、教育学者の高島平三郎らによって、「日本教育研究会」が創設され、後に児童心理学者の塚原政次、心理学者の松本孝次郎も加わり、明治31年(1898)には月刊誌「児童研究」が発行されることとなった。明治35年(1902)には名称を「日本児童学会」に改名し、心理学、教育学、医学の3つの分野から総合的に児童の研究を行う「児童学」を標榜する学会が誕生した。
本稿は、当時の研究者たちが〝児童学〟をどのように捉えていたかを考察していただくために、月刊誌「児童研究」の創刊号の内容の一部を紹介するものである。
19世紀末の科学の時代らしく、児童学は旧来の教育学や心理学との違いを明確にし、生物学的な視点を盛り込むことで子どもの心身を総合的に考察することをめざしていた。興味深いのは、教育や倫理などの基礎づけにも、文化や社会の起源の考察にも、児童研究を生かせると考えているところであり、当時の研究者たちがいかに〝児童学〟という学問に新鮮さとともに期待を感じていたかがよくわかる。
児童学の推進者たちは、子育てや教育に役立てるという実践的な目的だけではなく、「成人と子どもの違い」「文明人と未開人との違い」「ヒトと動物の違い」などを明らかにするための比較研究の方法論のひとつとして児童研究を意識していたことがうかがえる。また、児童研究の動機づけとして、教育の基礎付けとともに人間存在の謎を解き明かしたいという壮大な思いが広がっていた。天文学同様に国際的な協力のもとに研究は進められるべきであるという記述も見られる。ダーウィンの一連の仕事の影響を受け、その信奉者となった世界中の児童研究者たちの思潮がそのまま日本の研究者たちにも流れ込んでいたようである。
明治・大正期の「児童研究」は海外の論文や研究者の紹介が主なもので、原著論文も少なく、内容も雑多なものであり、決して学術的な評価の高いものではないが、19世紀末に始まった自然科学的な児童研究が、日本にどのように移入されたのかという原点を確認する意味で、貴重な資料だと思われる。現在、月刊誌「児童研究」は第一書房の複製版によって読むことができる。
「発刊の辞」と「論説」は編集側の文章であり、執筆者不明だが、「祝辞」は元良勇次郎、「児童研究の発達」は松本孝次郎による。元良勇次郎は日本の近代心理学の父と称され、海外で実験心理学者のヴントや心理学者のホールなどに学び、東京帝国大学に日本で始めて近代的な心理学科を創設した人物であり、日本児童学会の設立にも尽力した。松本孝次郎は心理学者であり、障害児教育の研究者として知られている。
なお、インターネット上の活字の制約から旧漢字の一部は新漢字に、異体字は正字に直し、読みやすいように文章に句読点を増やすなど多少の変更を加えた。また、人物や国名などの固有名に関しても一部は現代の表記に直した。
※参考図書 第一書房「児童研究」複製版3巻、56巻。
「児童研究」創刊号より 明治31年(1898)11月3日
発刊の辞
19世紀の後半において世界の事物は著しく進歩し、学術に工芸にみな急速に観を改めたり。而して学術において、その進歩の顕著なるもの医学の如き理化学の如き、もとより一にして足らずといえども、心理学の如きは、またその顕著なる進歩の行程中にあるものといふべし。
夫れ17世紀の後半においてロックが経験派に属する心理学の基礎を打ち立てし以来、これに続きて18世紀の前半にはヴォルフの合理的心理学の出づるあり。その後半にはカントの知識論の現はるるあり。かくて今世紀の前半においてヘルバルトの観念的心理学出づ。その間一道の気脈綿々絶えず、変化に変化を重ね、発達に発達を加へ、ヘルバルトに至りて、暗にこの光彩絢爛たる今世紀後半の心理学に基礎を与えたり。而してこの基礎は四分五裂して、各固有の方面に向かいて深くかつ遠く研究せられ、ついに吾人が今日に見るが如き各科の心理学を現出するに至りぬ。また盛んなりといふべきなり。
なかんずく児童心理学の如きは、その発達もっともすみやかにして、独に仏に英に米に、あるいは医学上よりあるいは生物学上よりあるいは生理学上よりあるいは解剖学上より熱心にこれを研究し、ついに単に心理学の名に満足せずして、児童学の新名称を付与し、児童の心身全体に関する研究を創むるに至れり。
けだし一対象物につき、かくの如く各科の学者が熱心に研究したるものは古来その類多からざるべし。そもそもこれらの学者は何の必要ありて、かかる熱心を児童の研究に傾注するか。すなわち各自が専門とするところの学に新光明を与ふべき秘密は、かくれて可憐なるこの新来の賓客の中にあればなり。特に教育の如きは直接に児童に関係せるものなれば、その研究の必要いっそう切なるを加えるものあり。これ欧米の学者及びわが国の識者がつとにその研究を企画したる所以なりとす。
しかるに欧米におけるこの種の事業は年々進歩し、著書に雑誌に学会にあらゆる手段を尽くして、その研究に従事せるにかかわらず、わが国においてはかつて幾回か先輩の誘導奨励ありしも、依然として振興の機運に向はざりしは、実に教育上の一大遺憾にあらずや。
されば本所は奮いて識者先輩の志を継ぎ、我国教育界の機運をして欧米と駢馳して(へんち:並んで)恥づるところなく、よく自国の児童におきて実際の経験観察を重ね、これを欧米のものと比較して、その異同を明らめ、以て国家教育の基礎を置くべき確実なる根拠を得しめんことを期し、ここに天長の佳節を卜(ぼく)し、本誌を発刊して広く世間に頒つに至れり。またこれ吾人教育学術の研究に従事せるものが聖代に酬ゆるの微衷(びちゅう:真心)なり。看ん人これを以ていたずらに流行を追いて利をあみするものと同一視することなかれ。これを発刊の辞とする。
祝辞 元良勇次郎
今人あり。機関の構造を知らずして、器械を使用せんとせば、誰かその危険を思わざるものあらん。あるいは、また植物の性質を知らずして、これを栽培せんとするものあらば、誰かその迂闊を笑わざるものあらん。いわんや万物中最も精巧の活動をなす人類を教育せんとするにあたり、精神活動の性質及びその発達の法則を明にせずして、これを教育せんとするものあらば、人これを何をかいはむ。
頃日、教育研究所において児童研究といへる雑誌を発行せんとする挙ありて、高島・塚原・松本の諸氏またこれを賛し、各その専攻にかかわる学説実験を掲記せしむと聞く。これ我が教育社会のために賀すべきことなりとす。何となればこれ我が教育社会の新事業にして将来大いに希望を属すべきものなりと信ずればなり。そもそも古来の思想によれば人の精神は身体の性質によるべきものにあらず、単にその鍛錬如何によりて発達すべきものなりとし、各個人の性質をも区別せず、ただ厳重なる教育鍛錬を施し、どうもすればこれがために、あるいはその一部の事業に熟達することあるも精神全体の健康を失ひ、その人格を損ひたること少なからざりき。かくのごときはもとより独り東洋にのみ行われたることにあらず。各国を通じて同一の状態なりき。
しかるに、西洋においては近世心理学のますます明なるとともに精神と身体の密接なる関係及び各個人によりて精神活動の状態大いに異なれるを発見し、教育者として必ずまず児童の性質を明にし、その性質に応じてこれを教育せざれば、その功少なくあるいはかえってこれを害するのおそれあることを是認し、児童研究いよいよ盛んなるに至れり。
我国維新以後、百事西洋各国の思想を輸入し、教育の如きも西洋の例に倣いたるなり。これ開国の当時止むを得ずるの事情にして、かくのごとくして吾人を益したること少なからず。しかりといえども、今や教育の事略は整ひたり、今後ますますその発達を謀らんとするには、必ず本邦人の性質を明にし、これに応じて教育の道を講ぜざるべからず。本邦人の性質を明にせんとするにおいては、児童の研究はそのもっとも大切なるものなり。
己にその研究を教育者に促したるもの無きにあらざりしも、その時期の至らざりしがために好結果を得ざりしなり。しかりといえども、今日は己に時機至れるものなるが如し。世の児童研究に従事するものはもちろん、いやしくも教育に関係あるものは直接あるいは間接に発行者の志望をして貫徹せしめんこと余の切望に堪えざるところなり。いささか思うところを述べて祝辞に代ふ。
児童研究 論説 児童研究の必要(一部抜粋)
教育に関する思想界一般の趨勢は、いまや那辺(なへん:どちら)に向いて集注せんとするか。賢明なる読者はすでにこれを認知せるならん。見よ、児童研究と名づくる新方面の研究は19世紀の後半に起こり、将来20世紀の教育界においては次第に研究の焼点たらんとするものあることを。
おそらくは新教育学なるものが児童研究の上に建設せらるるの期あらんと信ずるは、決して迷妄の期望にあらざるべし。ここにおいてか吾人が平生懐抱するところの意見を提げて、これを我が教育界に呈露するはあながち無用のことにあらざるを信ず。
いわんや我が国教育の事業は比較的に進歩したるものありといえども、未だ完美の域に及ばざるや遠し。而してここにまず児童研究と称する思想の新潮流に対して、現今教育者が取るところの態度を顧みれば、ことに歎ずべきもの少なからざるを覚ゆ。いやしくも身を以て教育の事業に当たらんとするものにありてはここに猛省一番の要なしとせんや。
およそ事物の研究は、まず詩的の段階より始まりて、漸々科学的研究に移るものなり。試みにこれをギリシャ哲学の発達に徴するも、最初は詩的思想と謂つべき神話より、次第に純然たる哲学思想を起こしたるが如き是なり。児童の研究の如きもまたかくの如し。
かつてフランスにおいては「ルソー」がその名著『エミール』を公にし、児童を以てこれを研究するの価値あるものなることを唱道したり。この書は実に、世人の児童に対する観念に一大変動を与えたり。而して行文雄健(こうぶんゆうけん:力強き文体に)加ふるに熱情を以てす。読み去り読み来たりて、興味津々たるものあるを覚ゆ。
しかれども、「ルソー」の時代は、もとより今日の時代とは異れり。彼は決して心理学者にあらず。彼は決して生理学者にもあらざるなり。すなわち、彼は児童を観察し、これを研究するに当たりて、現今の如き精密なる科学的眼孔を以てしたるものにあらざることは、何人といえども承認するところなるべし。而して彼はこの精密なる科学的観察に代るに、詩的眼孔を以てせり。しかるに現世紀の後半に至りて、一般に科学の進歩を見るに及びて、先には詩的観察に止まりしものも、今は変じて次第に科学的に考究せられんとす。あに思想界の一大変動というべきものにあらずや。
児童の研究がかくのごとき機運に遭遇せる所以のものはそもそも何ぞや。思ふにこれ畢竟種々の方面の研究よりして児童研究の必要なることを認め得たるを以てなり。そもそも諸般の研究は、種々の必要に迫られて起るものなり。而して児童研究の如きは如何なる種類の必要によりて起りたるものなるか。今これらの問題について考察するは、すこぶる有益なることなりとす。吾人は便宜のために、ここに理論的方面に関する必要と、実際的方面に関する必要とに分かちて、これを論ぜんと欲す。
今理論の方面よりしてこれをいえば、児童研究の必要は、児童が原始的のものなるにあり。自然科学にありては、動物学及び植物学の如きは、古生物学の研究によりて大いにその眞趣を解釈し得たるもの少なからざると同じく、すでに発達せる人間の心理を研究するものは、原始的の状態に遡りて、児童の心理を明らかにせば、これがために大いに得るところあることもちろんなり。また人類学者にとりては、児童は自然の位置において成人と動物との中間に位するものなるを以て、人類と他の動物との比較研究をなし、あるいは文明時代の児童と野蛮人とは、如何なる点において類似せるかを発見するを得べし。
哲学者にとりては、人生ながらにして如何なる種類の知識を有するか。経験は我々に如何なる知識を与ふるものなるか。いわゆる先天観念の如きものは、吾人は到底これを承認せざるべからざるか等の問題に対して、大いに研究の材料を供給することを得ん。ドイツの哲学者「パウルドイスセン」曰く、若幼児童がその生活の最初において、彼らの心に起るところのものを我々に知らしむることを得ば、以て「カント」の唯心論を解するを得んと。けだし至言と謂つべし。
而して児童の研究は、倫理学者に対しても、また大いに指示するところあらんとす。倫理学派中ことに先天的基礎の上に倫理学説を建設せんと欲するもののごときは、しばしば良心の判断を以て、人間の心が本来より有する機能なりとなせり。かくのごときものは心理作用の発達を参照してこれを批判すべきにあらずや。その他人間は、本来自愛的のものなるか、はたまた他愛的のものなるかの問題の如きも、大いに児童研究に待つところありといふを得べし。また生理学者の比較発達の研究の上にも、児童研究するは一大要務なりとす。
さらにひるがえって、実際的の方面より観察すれば、なほ諸般の必要は、続々として吾人の念頭に浮かぶものあらむ。幼児の保育は、如何なる用意と方法とを以てなすべきものぞ。児童の教育は如何なる心理上の基礎によりて行うべきものなるか。学校における児童の管理は如何なる方針と標準とによるべきものなるか。如何なる家庭の教育が児童の発達にとりてはもっとも適当なるものなるかなどの問題に向ひて、確実なる指導を与ふるものは、これ児童研究に外ならざるべく、これらは吾人に直接に必要を感ずるところのものなりとす。
かくのごとく我々は児童研究そのものの理論的及び実際的の必要を詳らかにするときは、這般の事業がよって起こる所以を明らかにすべく、また軽々に看過すべきものにあらざることを知る足らむ。これに加ふるに、吾人は児童が社会において如何なる位置を占むるものなるかを考察するときは、さらにいっそう必要を感じることすこぶる大なりとす。
児童研究の発達 松本孝次郎
児童研究のことたる、決して斬新なる事業といふべからず。古来いずれの国にありても、学者及び教育者は深く児童に注意せるものありしは事実なり。ただに学者及び教育者のみならず、一般の人士もまた多少児童に注意せざるものは、ほとんどなしというも可ならむ。人類は一般にその子を愛せざるものなく、また発育成長を願わざるものなし。これを愛すればすなわち、これに注意すること深く、これが発達を欲すれば、養育扶掖(よういくふえき)至らざることなかるべし。およそ天下の事多しといえども、情を以てこれをいへば、子を思ふ親の心より切なるものはあらず。この切なる熱情を以て、至愛の子に臨む。これゆえに親はその子の笑ふを見てはこれを悦び、叫ぶを聞きてはこれを憐み、如何にして成長せしめんかと、如何にして賢良たらしめんかと、苦心焦慮至らざるところなし。而してこの苦心この焦慮は、これすなわち児童研究に外ならざるなり。
古代ギリシアにおいても、すでに「プラトン」は、その対話篇「共和国」の中に、教育のことを論じ、児童の教育は如何になすべきかを説き、またその対話篇「法律」の中には、児童保育に関する意見を述べ、出生後如何に児童を取り扱うべきを論じたり。その他ローマにおいては、「クインティリアヌス」は、幼年時代の教育がすこぶる重要なる価値を有する所以を説きて、保母の選択はもっとも注意すべき事項なることを述べたり。
これらは皆児童を研究せるものなりといふを得べし。而して時代により、あるいは土地によりて児童に対する観念を異にすれども、要するに多少児童に留意せざるものなく、幾分か児童に関する試験なきものはあらざるなり。故に曰く、児童研究と名づくる事業は、むしろ古代より行われ来るものにして、近頃これに新たなる名称を与えたるに過ぎずと。
しかれども、児童の研究は「ペスタロッチ」によりて、ますます精確となり、現今児童研究において用いられるところの方法と、ほとんど同一なる研究法を行ふに至れり。疑ひもなく古代の研究と近世の研究との間に差異あることもちろんなるは、あたかも他の種類の研究が、その発達上取れるところの段階と同じく、児童研究にありても、古代の経験説は、次第に組織的研究に変じ来れるは、明瞭なる事実にして、児童に関する科学的方法が発達したるは「ペスタロッチ」において、その端緒を開きたりといふを得べし。而して児童研究を以て、一個独立のものとし、これに特殊の名称を附したるは、アメリカ「インディアナ」の人「オスカー・クリスマン」にして、1896年「パイドロギー(Paidology)」と題する論文を著はせるを以て始めとす。
「パイドロギー」は、これを児童学と訳すべきものにして、その語源は、ギリシア語より由来せり。ここに吾人は、よく児童学といへる語に注意するを要す。児童学は決して児童心理学と同意義にあらざるなり。すなわち児童学は、単に児童の精神に関する研究をなすのみにあらずして、身体に関する追究をも包含せしめんとするものなり。換言すれば、児童全体につきて研究せんとするものなり。今この意義における児童研究は、現今如何なる程度に発達し来れるかを攻究すべし。
夫れ児童研究の発達を考ふるに、二個の点において漸々(ぜんぜん:徐々に)進歩し来りたるの傾向あるを見る。(1)研究法の上に変化し来れる傾向あること。(2)種々の興味によりて、諸般の方面に、研究を及ぼせること是なり。
そもそも児童を精確に研究せんとせるはドイツを以て始めとす。1782年「マールブルグ」の哲学教授ディートリッヒ・ティーデマンが『児童精神の発達』を著はせる。これ小児童研究の嚆矢にして、この書はフランスの「ペレー」氏が『ティーディマンと児童学』と題する著書を、1881年において公にしたるより、広く世に紹介せられたり。1851年「レービッシ」氏の著『児童精神の発達史』と題するものを公にせられたるが、実際上著しき勢力を世に与ふることなかりき。その後1856年「シギスムンド」の『児童及び世界』といへる観察録あらはれたり。氏の観察ははなはだ精密なるものとして一般に承認せられたるが、この後「クッスモール」「ゲンツメル」「フィールオルト」などの生理者及び医師が、ますます精確なる研究をなすに至れり。 1880年「フィリッツ・シュルツェー」氏が公にしたる児童の言語に関する研究も、また有益なるものなり。この頃「ストルムペル」氏は、その心理的教育学を著し、附録として初二年間における、女児の精神発達に関する注意を載せたり。
1882年「プライヤー」氏は『児童の精神』と題する著述を公にし、すこぶる精密なる児童の研究をなせり。而してプライヤー氏の著述が、ドイツにおける学術界に及ぼせる影響は、これを外国に及ぼせる影響に比すれば、かえって少なるの傾きあり。
この故に児童研究は、もしその起源をドイツに発せるも、現今もっとも隆盛の域にあるものは、反りて米国なるを見る。しかれども、ドイツにおいても1896年より「コッホ」「チムメル」「ウーフェル」及び「トルゥペル」などの諸氏の尽力によりて、「ディー キンデルフェーレル」と題する研究報告を発行せられ、以て児童心理学のために、大いに貢献するところあるに至れり。
ジギスムンドが『児童及び世界』といえる著書を公にするや。その序文の中に彼の希望を述べて曰く、児童の精神に関して、多数人の一致を以て、研究を進めんことを望むと。この希望は、決して空想を以て終わらざりしなり。少なくとも、英国及び米国における児童研究の発達は、明らかに氏の希望を満足せしむるものにあらずや。
イギリスにおける児童研究は、チャールズ・ダーウィン氏が、1872年幼児の観察を公にせるを以て始めとす。また、その翌年氏が公にしたる『人間及び動物の感情の表出』もまた児童心理学にとりては重要なる著作なり。
これに次いで1878年「ボロック」氏は「児童の言語の発達」といえる研究を著せり。また1889年「ローマニス」氏は『人間の精神的発達』を著し、その他「フランシス・ワーナー」氏は1893年「児童研究」を出版して、研究の方法に関する有益なる著述をなせり。1896年「サレー」氏は、児童の研究を公にして、多くの観察上の事実を蒐集し、1897年「ステイムプル」氏は、これをドイツ語に翻訳せり。
而して、多人数の団体としては、1881年国民教育協会の設立ありて、多く教育に関する方面を研究し、また1894年「ミス・ロウク」及び「ミス・クラブバアトン」によりて、英国児童研究会設立せられ、現今400名以上の会員と、5個の支会を有するに至れり。そのほか学校衛生改良会の事業の如きも、変態の児童を研究せる点に関して、児童心理学のために、材料を与ふること多し。
アメリカにおいては、有名なる「スタンレー・ホール」氏を以て、児童研究の創唱者となす。氏は1887年より、米国心理学雑誌を発行し、また1891年より教育壇を出版し、広く研究の成果を蒐集して、学会のために便益を与ふることすこぶる多し。而して、1893年以後、児童研究大会の設立に関して、尽力するところ少なからず。ついに児童心理学は、米国において、もっとも健全なる発達をなせるは、「ホール」氏の功興って大いに力ありといふべし。
またクローン氏は、1895年よりして、児童研究月報を発行せるが、その材料すこぶる豊富にして、しかも有益なるは我々の敬服するところなり。著述として大いに価値あるものは、「トレーシー」氏の「児童心理学」、「ボールドウィン」氏の「児童及び人種における精神の発達」。「ミス・シン」の「児童発達記要」、「オッペンハイム」氏の「児童の発達」、「チェンバレン」氏の「原始的文化における児童」等なり。現今に至りては、カンザス、アイオア、イリノイ、ミネソタ、ネブラスカ、ニューヨークなどのごとき、児童研究会を設けて、さかんに研究の途に進みつつあるを聞く。
フランスにおいては、1863年「ティーディマン」氏の児童観察をオランダ語に翻訳したり。これこの国における、児童研究に関する書籍出版の嚆矢なり。1876年「テーヌ」氏は児童言語の発達について、著名なる著述を公にし、翌年「エグジェー」氏は、児童の知力及び言語の観察及び攻究を著せり。而して児童心理学につきては「ペレー」氏の著述たる(1)『児童初三年の観察』(2)『3年より7年までの児童』(3)『児童の芸術及び詩歌』はもっとも有益なるものにして、1878年において、その第一巻を公にせり。「コムペーレ」氏は、1893年『児童の知力及び道徳の発達』を著し、児童心理学のために貢献するところあり。その他フランスにありては、「心理学年報」を出版して、実験的研究の結果を報告するの機関となせり。
欧米における児童研究の発達に関する概略の状況は、上来著述せるがごとくにして、この間において、吾人は研究の方法につきて、変動せる形跡を認むるとすこぶる容易なりと信ず。すなわち最初はもっぱら観察を主とし、自然的条件の下に児童の発達を研究せるに止まりしが、後には実験的方法を用いて、人工的に種々の条件を設け、児童を研究することとはなれり。而して近来に至りては、単に一個人として、これに従事するのみならず、団体を設けてこの研究をつとむるに至りたるは、児童研究における、一大進歩と見るべきものなり。これに加ふるに研究の方面は、漸々多面的となり、種々の方面より興味を起こし、研究を進むるを以て、次第に完全に児童を知るを得るに至るべし。 今試みにその主なるものを挙げれば、「児童の思想及び推理児童の言語」「児童の感情」「児童の道徳心」「児童の芸術」などにして、これらの問題に関する学者の研究の結果が、世に公にせられたるもの少なからず。されば吾人はこれら参考の材料を得ること難しからず。而してここに輓近(ばんきん:近頃)に至りて、児童研究の新方面と称せらるるものが、さかんに勃興し来れるを見る。この新たなる研究の方面は、教育者によりて実行せられ、畢竟するに実際的価値を有するものにして、主として教育に関するものなりとす。すなわち、幼児保育に関するもの、教授の材料及び方法に関するもの、管理に関するもの是なり。思ふに20世紀における児童研究は、大いにこの方面に向って発達するものあるべく、いわゆる新教育学の基礎は、これによりて大いに得るところあらんと信じるなり。吾人がさらに将来に向ひて、希望するところのものは、かの天文学の研究の如く、各国相協同して、その道の進歩発達を計らんこと是なり。