- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

断片的歴史情報の連結作業

2019年03月03日 | ローカルな歴史(郷土史)情報

沼隈郡今津村旧剣大明神境内の寄進(奉納)物と寄進(奉納)者を引き合いに出しつつ、断片的歴史情報の連結作業を行ってみよう。 明治40年に今津村在住の木村浅治郎義光(福山藩では献金の対価として、金額の大小に応じる形で細かく細分化された武家社会の格式をそれを望む農民や商人に「切り売り」した(沼隈郡藤江村あたりでは村民の1割程度が自作農で、彼らはおおむねこういう格式ある名前を取得・・要確認)。木村浅治郎義光は浅治郎がそういう形で得たもの)が寄進した左右一対の立派な狛犬 昭和8年に神村出身・寺岡為次郎(昭和初期に塩田を購入した製塩業者)が寄進した石橋「亀園橋」。為次郎は寺岡七右衛門の子で、寺岡伍一の親族。今津島久井屋浜(現在K"s電機が立地)を没落した石井憲吉より大正4年5月25日に買得し、昭和4年に神村より今津村に転居(通称「柳町」)。同時期に今津島・三谷屋浜を買得するが、ここは昭和5年12月に石井清一(益田屋)に譲渡し、昭和7年2月には河本猛郎は大西浜と合わせて三谷屋浜を買得している。大西浜も三谷屋浜も塩田としては陸水(地下水や雨水)の流入が見られよくなかった。 亀園橋の文字はひょっとするとこの時代蓮花寺住職(1928-1938)をしていた石井友三郎(善学)のものか? 為次郎の場合は今津小学校の奉安澱(天皇と皇后の写真=御真影と教育勅語を納めていた建物)も寄贈したりしていた。 「神村出身」とあるので多少自己顕示&社会的承認の獲得のためといった打算が働いたかもしれぬが、今津に転居し、”どうぞよろしく”といった意味合いを込めた寄付行為でもあったのだっただろう。 明治24年に「式内社」の文字入り標注を寄進した芦品郡有磨村の河邨(河村)秀興(「河村太吉秀興」だったかどうかはいまのところ未確認) 芦品郡有磨村上有地の河村太吉は今津村の通称「沖田」にあった山路右衛門七所有地を没落(明治24年)時に大量に買得していった御仁(上有地村の産業資本家で豪農かがす河村氏)だ。福山町の河村秀行(1853-1918、蚕病消毒用の河村式噴霧器の考案者、福山市住吉町、画家鎌田呉陽第二子、河村秀行のお墓は福山木ノ庄・神道墓地で見かけたことあり)とこの河村太吉との関係及び、河村秀行と今津との関係については目下のところ不明(その後追調査済み・・・無関係)。。かれらと高諸神社に前述の標柱を寄進した有磨村の河邨(=村)秀興との関係についても同様だ。 これらの点は今後の解明していくべき課題だと思うが、山路所有の農地の買得と神社への「式内社」と書かれた標柱の寄進行為との間には何かしら繋がりがあるようにも思えるのだが・・・・残念ながらいまのところ確証は得られていない。 大正2年の境内社殿整備時の献金者芳名碑 文化10(1814)年に尾道の播磨屋松之助(1778-1838)が仲間2名とともに寄進した狛犬一対(@高諸神社)。 同時期に尾道のお寺に寄進された父親の供養塔 天保9年に60歳で没していた御当人のお墓。 関連記事 関連記事 麻生は大坂北浜で株取引をしていた人物(今津・柳町に大正10年に息子源平名義で、ハイセンスな庭園付の新居建設、明治期には吉井石井家の御曹司石井得雄と協働して花筵の海外輸出を手掛けた)、故郷へのUターンを契機にお剣さんにこのジャンボ標注を寄進したもの。当時流行した敬神観念 or 善意の発露という形式を借りた一種の誇示的消費行動(=必要性や実用的な価値だけでなく、それによって得られる周囲からの羨望(せんぼう)のまなざしや社会的承認の獲得を意識して行う消費行動)。典型的には森下仁丹創業者(森下博、沼隈郡鞆出身)や大坂で活躍した尾道出身の山口玄洞による社会事業への寄付行為とか社寺造営。
高諸神社南の前新開堤に植えられた千本松原(戦時中に松脂採取のため伐採)は天然痘封じの大願成就を記念して村民有志が植樹したもので当時の今津村民の敬神観念の在り方を伺わせるもの。 関連記事 【参考文献】 矢野天哉「高諸神社神明記 其の3」、雑誌まこと29-12、昭和14

拝殿西前にあった寛文13年鋳造の釣り鐘には「剣大明神」の社名。史実の改竄事例として高諸神社(式内社)が用いられた初見史料は再三指摘した通り安永期建造の「高諸神社石橋」。この社名変更を強く批判したのが菅茶山編『福山志料』。
高諸神社拝殿の西側前方に複数の岩で構成された「宮島さん」祠があるがその一角に「沼隈郡浦崎・田頭音次郎」寄進の石灯籠がある。寄進者の田頭音次郎は現在の尾道市浦崎町海老にかつて居住した久保屋田頭氏のことで音次郎は浦崎法運寺(曹洞宗)に永代供養料の石碑が立て、他所に転居。地元で聞き取りしたところ「瓦屋」を営んでいたとか(要確認)。

関連記事:三坂幸助(大正4年に現在の松永駅前地区にあった石井四郎三郎所有田地を競売時に買得した尾道土堂の人)
高諸神社境内の力石・注連を寄贈した向島西村及び東村の住人に関しては調査開始(2021年10月~)
コメント    この記事についてブログを書く
« 高島平三郎が敬愛した恩師門... | トップ | 今津村の木村さんあれこれ »
最新の画像もっと見る