- 松永史談会 -

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元禄検地帳に見る今津村など近隣数ヶ村における郷倉屋敷・牢屋敷の立地点

2016年12月08日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
『松永市本郷町誌』には郷蔵・牢屋の記述がある。それは御領・下土井石井家の近く、森下自転車店のところにあったとか。元禄検地帳には地字「市」に郷蔵屋敷と牢屋屋敷とを続けて記載している。


本郷温泉口付近(字・「山手いたやさこ」)に番所屋敷「いたや」は板屋佐藤武彦家の屋号起源ヵ

松永村では番所屋敷・牢屋敷・・・潮崎神社南、明神端・つるぎ下にあった。高札場が潮崎さんの前だから松永村の中心地をこれらの施設が形成していたことが判る。しかし、こういうケースばかりではない。


西村には「柳升」に番所屋敷、「長くろ」に郷蔵屋敷


東村の郷蔵屋敷と牢屋敷は検地帳の記載箇所から見て一つの場所にではなく地字・「岩崎」・「岩川」というところに別個に布置されていたようだ。後日確認調査をしてみよう。牢屋・郷蔵が村の地域的な中心地に立地したとかいなかったりとかいったことはケース・バイ・ケース。個々の事例に即してみていくことが大切だ。


今津村の牢屋敷と郷蔵屋敷は蓮花寺(境内は3畝15歩の屋敷と周辺の上畑、および除地扱いの阿弥陀堂から構成されていた)と共に地字「西ノ坂」に立地。ここは現在では町外れだが元禄期にはそうではなかったことが判る。


高須村には「まえ」の郷蔵屋敷、「坊示うね」の番所役所+附属畑。いずれも高須村検地帳の第一分冊に記載されている。


メモ)数詞区小地名をもつ神村の場合、松永境にある確か第八区(要確認)が「郷蔵」という。

「きょうめん」は京免だろうか。郷蔵の規模はかなり大きい。近所にはかなりジャンボな「千右衛門」屋敷があった。
  

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