現代短歌大賞の宴
昨夜、私は現代歌人協会主催・第39回現代短歌大賞授賞式の宴のなかの一人だった。今から10時間前のことである。「現代歌人協会主催の✿<第39回短歌大賞>は『河野裕子論』並びに過去の全業績に対して✿大島史洋氏に決定した。氏は昭和19年岐阜県生まれ。「未来編集委員・選者」。歌集に『藍を走るべし』『センサーの影』(若山牧水賞)『ふくろう』(迢空賞)等。選考委員は、佐佐木幸綱、高野公彦、栗木京子、馬場あき子の四氏。
(現代短歌新聞12月号より)
大賞の宴に集まったのは何百人だったか、夥しい人びと。遅い朝食のまま宴に参加した私は空腹でご馳走を食べ続けていた。傍らを有名歌人がぞろぞろ通るのにご挨拶もしないで、残念だった。でも出しゃばって余計なオシャベリをしなくてよかったかもしれない。食べながらビールやワインを飲んでいたのだから。
花束を抱く大島先生を見ながら私は先生との不思議な縁を思っていた。25年位前のある日 知人のNさんから「未来」が送られてきた。「未来のA選者に師事することをお勧めします」との手紙が入っていた。初めて見る「未来」という「歌誌」は雑然としていた。Nさんお薦めのA選者の短歌は難解、他の選者の歌もテンションが高く私は馴染めなかった。
「折角ですが「未来」は私に合わないような気がします」とnさんにお断りの手紙を出したような記憶がある。その後「未来」を読んだとき大島欄の作品の中の「天ぷら屋さん」や「タクシーの運転手さん」の歌が私に接近してきた。まだ選者になられて間もない大島先生の作品は身辺のありきたりのことを淡々と詠まれたカジュアルな歌、「旧かな」ではなく「新かな」も私の好み。一度も会ったことのない大島史洋氏に私は歌稿を送った。
ブログをはじめてから私は以前のように10首はできず、月々5首しか出詠していないが一度も欠詠していない。先生とのつながりは細くなったような気もするが、細く長い絆などと私は勝手に決め込んでいる。「先生の隠し芸はオペラよ」との噂を聞いたことがあるが、私はまだ拝聴していない。大島史洋氏はこれからも低音で力まず歌われるとおもう。
わたしには短歌があるというほどの歌もできずに今年も終わる
12月9日 松井多絵子
昨夜、私は現代歌人協会主催・第39回現代短歌大賞授賞式の宴のなかの一人だった。今から10時間前のことである。「現代歌人協会主催の✿<第39回短歌大賞>は『河野裕子論』並びに過去の全業績に対して✿大島史洋氏に決定した。氏は昭和19年岐阜県生まれ。「未来編集委員・選者」。歌集に『藍を走るべし』『センサーの影』(若山牧水賞)『ふくろう』(迢空賞)等。選考委員は、佐佐木幸綱、高野公彦、栗木京子、馬場あき子の四氏。
(現代短歌新聞12月号より)
大賞の宴に集まったのは何百人だったか、夥しい人びと。遅い朝食のまま宴に参加した私は空腹でご馳走を食べ続けていた。傍らを有名歌人がぞろぞろ通るのにご挨拶もしないで、残念だった。でも出しゃばって余計なオシャベリをしなくてよかったかもしれない。食べながらビールやワインを飲んでいたのだから。
花束を抱く大島先生を見ながら私は先生との不思議な縁を思っていた。25年位前のある日 知人のNさんから「未来」が送られてきた。「未来のA選者に師事することをお勧めします」との手紙が入っていた。初めて見る「未来」という「歌誌」は雑然としていた。Nさんお薦めのA選者の短歌は難解、他の選者の歌もテンションが高く私は馴染めなかった。
「折角ですが「未来」は私に合わないような気がします」とnさんにお断りの手紙を出したような記憶がある。その後「未来」を読んだとき大島欄の作品の中の「天ぷら屋さん」や「タクシーの運転手さん」の歌が私に接近してきた。まだ選者になられて間もない大島先生の作品は身辺のありきたりのことを淡々と詠まれたカジュアルな歌、「旧かな」ではなく「新かな」も私の好み。一度も会ったことのない大島史洋氏に私は歌稿を送った。
ブログをはじめてから私は以前のように10首はできず、月々5首しか出詠していないが一度も欠詠していない。先生とのつながりは細くなったような気もするが、細く長い絆などと私は勝手に決め込んでいる。「先生の隠し芸はオペラよ」との噂を聞いたことがあるが、私はまだ拝聴していない。大島史洋氏はこれからも低音で力まず歌われるとおもう。
わたしには短歌があるというほどの歌もできずに今年も終わる
12月9日 松井多絵子