時の流れの中に!

少子高齢化の中で高齢者はどう生きて行けば良いのか。

認知症を予防する ⑰ 母と暮らす

2017-09-22 09:47:04 | 認知症
12月31日外泊するために病院に迎えに行き、車椅子で家まで

連れて帰る。体調は普通に見えるが体重はかなり低下している。

うどんを食べたいと言うので作る。美味しいと言いながら食べ

終わる。夜はしゃぶしゃぶにした、少し食べ過ぎたのか夜半の

年越しそばは食べなかった。

2005年1月1日  
お正月の雑煮は、水菜、蒲鉾、お餅は食べられないかも知れな

いので小麦粉を団子状して作った、あっさりした雑煮とおせち

料理を食べる。夜は毎月一度だけ行く、寿司屋で母の好きなネ

タを握ってもらい持ち帰って二人で食べる。穴子、車海老、ネ

ギトロ、卵焼きだけで以前よりかなり食欲は落ちている。

1月2日  今日も朝は水菜のお雑煮とおせち料理、昼は母の

希望でぜんざいとイチゴを食べる。


1月27日 S医師より状態について説明を受ける。痴呆が少

し始まり容態も悪くなっているとの説明を受ける。

2月1日 病院より容態急変の連絡を受ける。病室が変わり、

酸素吸入器を付けていた。話しかけると頷き、意識はまだハ

ッキリしている。

2月2日 容態は変わらず、良くなる感じはしない妹たちに

連絡をする。

2月4日 主治医の医師不在で当番医師より容態の説明を受

ける。腎臓が悪くなっている、腎臓は入院当初の検査でも基

準を外れていた。夜半に病院の当番医師より母が嘔吐したと

の連絡を受ける、応急処置で落ちつく。

2月5日 S医師より急変の説明を受けるが納得できない。

良化傾向と信じていたのに、いつ頃から悪くなってきたのか

分からない。母は救命装置を着けたまま眠ったような状態が

続く、私と妹達と話をしていると、妹の子供が「あっ!止ま

った」救命装置を見ると数字は消えて動きは止まっていた。

母 清江 15時30分永眠 享年86歳。


※母の容体が急変して医師から救命装置を装着するかと問わ

れ「お願いします」と即答したが、それで良かったのか、今

でも考えさせられる判断だった。しかし、足の骨折で入院し

て6ヶ月後に肺炎で死亡するとは考えられなかった、回復す

ると信じていただけに、そのショックは大きい。

2度の輸血をしながら骨折手術の中止、心不全、腎不全の治

療、リハビリの中止等で病院の対応についての説明がなく病

院、医師への不信感が募る。
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認知症を予防する ⑯ 母と暮らす

2017-09-20 09:44:09 | 認知症
病院の担当医から母の近況について聞いた。骨折した骨はついて

きているのでリハビリを進めているが、最近母はリハビリに消極的

になってきているらしい「少し認知症が出始めているのではないで

しょうか!」と言われた。その後、母の病室に向かった。最近、母

は無口になってきている。母から話題が出ることはない、私が話し

かけるが短い言葉が返ってくるだけだった。認知症の症状が有るか

無いかは分からなかった。ただ気になることを思い出した。

それは二週間ほど前のことだった。仕事の帰りに母の見舞いに行っ

た。病室が変わったと聞かされ新しい病室に向かった。

病室に入ると「あんた誰!勝手に入ってきたら駄目!」と奥のベッ

ドから怒鳴るように声が聞こえてきた。入口近くの母を指差し「息

子です」と答えた。するとその女性は「もうすぐ私の息子たちがや

ってくるので言うからね」と大きな声で独り言のように喋っている。

少しボケているのかなと思いながら母のベッドの近くの椅子に座

った。母の好きな飲み物の紅茶花伝を渡し、身体の状態などを話し

合った。その後は奥のベッドから声は聞こえてこなかった。

母に怒鳴ることはないかと思うが、同じ病室なので仲良くして欲し

いと思い、次の面会の時に、その老婦人にチョコレートを渡そうと

した、その時、後ろから入ってきた看護婦さんに「駄目です」と声

を掛けられた。その方は糖尿病で食事制限をしているので糖質は

控えているとのことでした。小さな声で前回の事を話して「あの

方はボケているのですか」と聞いてみた。

すると看護婦さんは、認知症のことは言わず「ご家族が一度も面会

に来られないので、寂しかったのではないですか」と返事をされた。


※怒鳴るように問いかけられたのは、最初の一回だけでその後は

声をかけられることはなかった。でも昼間の病室の様子が気にか

かる。病室を変えてもらうように医師に相談しようと考えたが、

退院を急がされるような気がして言えなかった。病院、介護施設

でも認知症の方と一般の方が一緒に暮らすのはダメなのではない

のだろうか、奇声を発っしたり、暴れる人が一緒に生活している

と、動けないお年寄りは不安とストレスで身体に変調をきたす恐

れがあるのではないだろうか! 
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認知症を予防する ⑮ 母と暮らす

2017-09-18 09:52:32 | 写真
心不全による入退院を繰り返したが、入院はそれぞれ一ヶ月チョ

ットで本人も落ち込んでいない。通院も一人で行っているし、日常

の生活も普通に戻った。

8月15日 出かけようとして玄関で転倒、救急車で運ばれA病院

に入院、病院での検査で大腿骨頚部骨折と知らされた、医師より手

術するか、しないか判断を求められ手術することをお願いする。

9月4日A病院S医師より、今の心臓の状態では骨折の手術が出き

ないので輸血を行いたいとの申し入れがあり受託する。

9月11日 S医師より再度、輸血を行いたいとの申し入れがあり

受託する。

10月上旬 S医師より、骨折の手術に心臓が持たないかも知れな

いので手術は中止したと聞かされる。

11月初旬 S医師より経過報告を受ける、骨折の手術は出来なか

ったが、骨は自然についており現在リハビリ中、退院後のことも

考えて欲しい、介護保険を申請したほうが良いとアドバイスを受

ける。リハビリ状態を知りたいので、リハビリ訓練の見学をお願

いして了承を得る。リハビリ訓練は座った状態でトレーナの方が

足を屈折させているが痛みは感じていないようだ、歩けるように

なるまでは、まだ時間が掛かりそうだが、歩けるようになれそう

だと感じた。

11月12日墨田区役所に介護申請を提出、介護保険課の方に地

区介護支援センターを紹介して頂く。

11月中旬 墨田介護支援センターへ相談に伺う、在宅介護の前

のリハビリとして、温泉リハビリ施設、介護老人保健施設を紹介

して頂く。12月11日介護支援センターで紹介して頂いた、墨

田区の老人保健施設と葛飾区の水元にある東京愛育苑ケアレジ

デンスを見学する。日常生活に近いかたちでリハビリを進めてい

るとの説明を受け、ここであれば見舞いに来ることも出来るので、

A病院退院後はここにお願いすることにしようと思った。

12月13日墨田区役所より要介護5の認定通知書が届きA病院

の婦長さんに連絡する。

12月中旬 正月の外泊、その後のリハビリに向けて車椅子を購

入する。




※手術をするためにといって行った2回の輸血はなんだったのか

骨折の手術に心臓が持たないかも知れないと言うが、心不全につ

いては入院直後に説明をしている。A病院に対しての不信感が沸

きこった。

以前に母がお世話になった済生会向島病院を訪れ、担当医のO医

師に状況を説明した。期待したアドバイスは聞けなかったが、

「手術をしなかったのなら、こちらに入院すれば良かったですね」

言われた言葉が胸に突き刺さった。
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認知症を予防する ⑭ 母と暮らす

2017-09-17 10:08:40 | 認知症
母と暮らし始めて4年が過ぎた、母は買い物帰りの道端で少し休ん

でいると、学校帰りの小学生に「おばあさん大丈夫ですか」声を掛け

られたと明るく笑って話す母、二人で暮らし始めた頃の暗く、無口の

母は、見違えるように明るく喋るようになった。

元気に出掛けて動き回る母を見ているので、痴呆症にならないかと

心配していたことなどすっかり忘れていた。

2003年の秋、健康診断を受診した母に届いた結果には、心臓に

異常があると書かれていた。

10月29日 心不全で済生会向島病院に入院

12月 6日 退院

入院による体力低下を心配したが、買い物もシルバーカーを使って

出掛け、食事も変わらず作ってくれている。

2004年

1月14日 心不全の再発で再入院

2月19日 退院

3月27日 再発で入院

5月15日 退院

7月24日 済生会向島病院に通院、心不全良好で一週間に一回

の通院から1ヶ月一回の通院に変わる。

※2003年8月東京センター終息、これまで大阪センターと東

京センターを専用線で接続していた。東日本の事業所の端末は東

京センターを経由して大阪センターのホストコンピュータに接続

していたが、普及が進んでいた公衆回線網を使った広域ネットワ

ーク(WAN)への移行により各地の中継センターは不要となった。

時間的にも余裕が出来て入院していた母の見舞いも多く行く事が

できるようになった。   
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認知症を予防する ⑬ 母と暮らす

2017-09-16 10:01:25 | 写真
鬼怒川温泉へは東武鉄道で浅草駅から2時間チョットで行けるのが

嬉しい。母と二人で鬼怒川温泉に電車でいった。

帰りに日光に寄ったが母はあまり喜ばなかった。日光東照宮を見て

回ったが、歩く距離が長すぎたようだ。

レンタカーを借りて草津温泉、軽井沢を廻った。草津温泉に着いて

ホテルにチェックインしてから食事まで時間があったから母に「湯

畑を見に行こうか」と声を掛けたが、「いい、一人で行って来たら」

と返事が返ってきた。

レンタカーで一泊二日の伊豆半島一周、少し強行スケジュールかと

も思ったが北海道旅行では1日200km近い車の移動にも耐えてき

たのでなんとかなるだろうと思った。伊豆半島の先端にある下田、

一度は行ってみたい場所だが行く機会がなかった。少し遠い下田は

今回が最初で最後になるだろう。蘭の花を見せてやりたい、今回の

旅行のメインとしていた伊豆の国市の伊豆洋らんパークも車でなけ

れば来ることはなかっただろう。




母に見に行こうと命令調的に言うと黙ってついてくるが、

「この先に景色の良いところが有るけど、どうする!」と問いかけ

ると返事は「行かない」と返ってくる。何処へ行っても母に判断さ

せる問いかけには、100%NOの答えが返ってきた。

名所・名蹟を見せてやりたいと思っていたが、母は歩き廻るのが嫌

だと分かった。それ以降は下田温泉ほど遠くなく、熱海温泉ほど騒

がしくない。中間の伊東温泉のホテルを常宿として毎年訪れ、温泉

と食事だけを楽しむようにした。


※親孝行の定番といえば温泉旅行となっているが、皆さん本当に喜

ばれているのでしょうか、電車、車による長距離移動が苦痛に感じ

ている方も居られるのではないだろうか、腰痛コルセットを付けて

いる母の腰の痛みは判らない。疲れても立ち止まるだけで弱音を吐

かない母、喜ぶと思って計画した温泉地巡り。喜んでいるのかどう

か分からなくなってきた。
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