時の流れの中に!

少子高齢化の中で高齢者はどう生きて行けば良いのか。

認知症を予防する ⑧ 母と暮らす

2017-09-07 15:41:55 | 認知症
亡くなった父親への最大の親孝行は一発も殴らなかったことだ

ろう。父を否定するのは、自分を否定することになるのでしないが、

尊敬するところは一つもない。お酒の飲みすぎで体を壊し仕事を辞

める。お酒を飲めば母への暴力、男として最低だと思っている。そ

んな父の住むところへは帰りたくなかった。お酒を止めていない父

と次に合ったら絶対に喧嘩になると思った。15歳で家を出から一

度も帰らなかった。


※家には帰らなかったが田舎帰ってホテルに泊まり母と妹に会った

ことは何度かあった。

※私はあまりお酒には強くない体質のようだがお酒を好きになれな

い、お酒のほろ苦さよりも苦い父の酒を飲んだ時の行いを思い出す

から飲む気にもなれない。

父の暴力にも耐えて働きながら子供3人を育てた母には感謝しかな

い。母が60歳を過ぎたころから、孫が生れた妹たちのところへ出

かけるようになった。私のところへもやってきて、食事を作ったり

して一週間ほど滞在して帰っていった。でも仕事があるのでその時

はあまり何もしてやれなかったので、これまで出来なかった親孝行

のつもりで楽しいプランを立ち上げた。

※仕事の異動で大阪から東京に来て7年が過ぎたが、まだあまり

東京を詳しく知らなかった。仕事の情報システムは24時間36

5日稼動が基本となっている。だからといって24時間365日

私が働いている訳ではないし決まった休みは取得している。だが、

通信機器の故障、コンピュータのトラブル等があった場合には休

日でも夜間でも関係なしで連絡が入り、東京センターに駆けつけ

なければならないこともあり、どこへ行っても仕事のことが気に

なっていた。別に行動を制約されている訳ではないが、遊びにい

ったその時も会社ではオペレータの人たちが交代でコンピュータ

を動かしていると思うと遠くへ出かける気にもならなかった。

食事は外食が多かったが、一人で入れそうな店しか行かなかった。

バスで吾妻橋を通過する時に、こんなところに「かに道楽」が有

るんだと気づいても一人で行く事がなかった。母と暮らし始めて

やっと私も東京を楽しめるようになってきたかも知れない。 
コメント
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