寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

謹賀新年(^^)

2016年01月02日 14時38分17秒 | 日記
新年明けましておめでとうございます♪ 今年は、暖かい日になりましたね(^^)
いつもボヤかれてました気象庁の皆さん ヤレヤレじゃないでしょうかね。
元旦の我が家は年始を お雑煮で祝いますが、この風習はいつまで続くのでしょうか^^; いきなり強烈パンチ^^;
暇なお正月でしょうし、ちょっと雑談にお付き合い下さいな^^;テレビで各地のお雑煮を紹介してますが、我が家は汁はおすまし、具材は丸型おもち、蕪(かぶ)金時人参、里芋…などを一緒に頂きます。 地方により様々でしょうが、家族健康で過ごせますように…
新年を祝い無病息災を祈り食する縁起のよい食材で造るのが一般的ですね。
それが 20年以上前でしたか、ハウスバーモントカレーのCMには驚かされました^^;
「おせちもいいけど カレー もね♪」
コマーシャルで これほど驚愕したものはありませんでしたね。
だって 今なら食生活が洋風化しており 又おせちすはスーパーや百貨店、通販などで販売していて冷凍品をチンして 後は重箱やお皿に盛り付けるだけ^^; もっとも洋風化している食材も冷凍品やフリーズドライ でしょ^^;
20年以前は下手でも何でもそこの家の手料理があって お雑煮やおせち料理は各家庭のおふくろさんの味でしたね。
当時 CMにあったカレーはハンバーグやコロッケ、クリームシチュー、エビフライ、スパゲッティ、オムライスなどと並んで洋風の 定番でした。コロッケ(笑) までもが洋風料理とは噴飯ものですが、コロッケ→肉屋さん…でしたからやっぱり洋風なのでしょうね(^^)
今挙げた料理とは別格にあったのが、ステーキでした。 ビーフステーキは洋風の横綱かな(^^)
滅多に口に出来ませんでしたが、京都なら新京極辺りにビーフステーキ専門店がありましたし、そこで食事をするには 服装身なりから糺(ただ)して 行きましたっけ♪
そう言えばその時代はビーフステーキなど長ったらしい呼び方してませんでした^^;どう呼んでいたかと言いますと、ビフテキ!これでした。もちろんお店側も承知で看板にもビフテキ、とありましたから、昔から名前を短縮形にするのが今でも敬承しているのか?例えばファミリーマートをファミマ…懐かしい思い出です(^^)
20年以前の洋風料理は他にもありました。 グラタン、ロールキャベツ、サンドウィッチ、ピザ…
特にロールキャベツは流行りましたね(^^)
あれだけは どの家庭でも一度は作ったでしょうが、今では あまり見掛けなくなりましたね♪ 流行り廃(すた)りはありますが 昔から人気が続いてるのが カレーでしょうか^^;
カレーの歴史は戦前に海軍で定期的に食べられていたことでも歴史の古さを証明できますが、一般家庭に入って来たのは昭和四十年代ではなかったでしょうか。 つまり高度経済成長が始まった時期に重なりますが、多分流通網が発達してきたのが原因でしょう…
それまでも商店街に行けば 何かしら扱ってましたが、乾物屋さん、今は見掛けなくなりましたが、当時はこの乾物屋さんが商店街では花形でした。
それは 流通が儘ならない時代に生鮮食料品を扱うのは難しくて 冷凍車は無し、それどころか冷蔵庫すら無かったのです。
だから生鮮食料品の魚は干乾ししたイワシやサンマ、アジが主流でしたし、鯖やシャケは缶詰がありました。料理の味付けは 味の素みたいな簡単なものはなくて、鰹節や干した昆布、干しジャコ、干し椎茸などでダシを摂っていました。 普通庶民の食卓では和風が当たり前でしたから、何を作るにしても、乾物屋さんを抜きにしては成り立たなかったのですね。
ジュースだって 粉末をコップに入れて上から水を注いで作ってました^^;適量を入れても水か溢れると水くさいジュースになりましたっけ^^;
エライ時代でしたが、毎年毎年上がる給料が楽しみで 今年五千円なら翌年は八千円、次の年は一万円 という具合に三割四割上がるのは当たり前でした。もちろん物価も上がりましたが、それまでに見なかった製品が続々と現れてきました。 冷蔵庫、扇風機、ガスレンジ、バイク、テレ、洋服…
クーラーや 電子レンジはまだまた後です^^;
私が小学生だった頃、昭和四十年代は そんな新しいモノ が次々と出てきたのですが、ワケわからんままにテレビを見入ったのにオリンピックがありました。 小1だった私が微かに脳裏にあるのは マラソンでした。円谷選手が最終ゴールを目指して競技場に現れて観客は総立ち歓喜の渦に巻き込まれました。 しかし暫くすると 円谷選手の後ろから 白人の選手がスーと現れて見る見るまに円谷選手に並びました^^; 円谷選手が外側、白人選手は内側で両者の身体が二重化して見え 四本の脚が重なったと思うと 内側の回転が少し速かったのをよく憶えていました。
並んでいたのはわずかで直ぐに白人選手が抜いていきました。
私は正座をしながら見ていたと思うのですが、並ばれた瞬間は膝立ちになり、抜かれた時にはあれあれ と肩の力が抜けてしまいヘタりこんでしまいました。
マラソンで優勝したのはアベベ選手、二位に入ったのはイギリスのヒートリー選手でした^^;
円谷選手は三位で終わりましたが、日本国民は最後に抜かれた事は残念だったけれど 金メダルに値すると絶賛しました。
あれから日本ではマラソンは花形競技になり以降のオリンピックで幾多の栄冠を戴いたのですね。
そうそう 東京オリンピックの金メダルの獲得はアメリカ、ソ連に続く第三位♪
戦争に負けて19年。 やっぱり日本は強いんだ!と大人はもちろん子どももそんな気持ちを持ち確信したのでした♪ それが今日までの飛躍の礎になっていたのかも知れませんね♪
それではよい寝正月をお過ごし下さい(^^)
コメント
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