網創漠蓄

網(ネット)上で、創作物などを、漠然と、蓄えていこうとするページです。

構造主義とポストモダン:追加

2009-05-31 20:41:44 | 社会・地理・歴史
tanabeebanatさん
>構造主義とポストモダンもそもそもなんのためにそんな概念を産み出したの?
に自分なりにお答えするためにぶっちゃけ解説の続きとして書いてみます。

構造主義とは何かをもう一度書き出すと、
(略)その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、
場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。

とありますが、これがどういうことかというと、
科学的方法近いやり方で対象を把握する」ことです。

・・・つまり、我々、特に理系の学問や研究のやり方に通じる方法であり、
それ以前はそういうやり方ではなかったということです。
そして言葉自体、所謂「文型」と言われる学問分野、
文学・言語学・哲学・精神医学・・・と言ったあたりで目立つ用語です。

このようなことの導入で人間の考え方がどう変わったのかと言うと、例えば、

「人間は神に似せて作られた存在であり、他の動物とは一線を画す」
→「人間が他の動物とどこがどのように違うことによって人間と呼べるのか」

「定まった『正書法』の研究」
→「個別言語の分析比較」

「物語作者の意図を探る」
→「物語そのものの形式や手法を研究」

と言った感じに、全体的に
「定まった『あるべき姿』に近づこうとする」ことから
「現状を分析し問題点をあぶりだす」ことへの移行と言う感じになっています。

それまでの西洋思想や西洋の学問はいずれも「あるべき理想」にしか
目を向けていなかったともいえます。
これはキリスト教神学にしろ共産主義にしろ、向かうべき理想に向かって
ひたすら前進というニュアンスを持っていることにも現れています。

それを「進んでいる・遅れている」といった以外の視点で見るようになり、
「両者がどのように違うのか」ということを考え出したその手法が
「構造主義」と呼ばれているのです。

そして「ポストモダン」の方は何なのか。
「モダン(近代)の次」と言う言葉が示すように、
>モダニズムを批判する文化上の運動で、近代の行詰りを克服しようとする動き
・・・以外のものではなかったりします。

つまり正確な定義というものがなく、
「行き詰っていると思うから色々試行錯誤しているそれぞれの考え方」
をそれぞれ「ポストモダン」と呼んでいる感じです。

そして「構造主義」と対比して語る場合には、
「構造を見ても分からないところがあるから
今まで見ていた『構造』以外の部分に目を向けよう」位の感じです。
分析的手法に対する「複雑系」とか。

つまり、構造主義的な考え方に慣れすぎている上に
その後さらに「脱構築」ということが現在進行形で論じられているわけですから、
この辺の言葉を聞いても何のことだか、と言う感じになるのではないかと。

Emily Sevensheep:type 4w3

2009-05-30 19:34:29 | エニア・タイプ判別室
なんとなく調べとかなきゃと思った



魔法いいんちょ、ことエミリィ。

凄くあやかと似た感じですが、実際のところどうなのか。



「ナギのことになるとオカしくなる」と言われるように、
リアクションも激しく、感情型であろうことはすぐに判ります。

目立とうと言う気持ちは強いのですが
2・4辺りと思われます。そして



やはりポイントになるのはここ。
結局ただの風邪なのですがこの嘆きよう。
否定的な感情を表に出るタイプです。

というわけで判定は type 4w3
あやかより若干ウィングは強めな感じですが、同じタイプが出ました。
やっぱりこの2人、似ています。



そして夕映とも同じタイプ。
はじめのツンツンしていたのは同属嫌悪があった模様。

推測・オスティアの経緯

2009-05-29 20:09:28 | UQ HOLDER!
オスティアの統治権についての
物語三昧~できればより深く物語を楽しむためにさんと
QMAと大戦とネギま!~アクシス日記~さんの考察を元に考えてみました。



何故オスティアがメガロメセンブリアの「信託統治領」になっていたのか、
実は恐らく、オスティアが帝国軍の侵攻を受けたときに
メセンブリーナ連合に助けを求めたことにあります。
現に「赤き翼」はメセンブリーナ連合側で戦っていましたし、
ウェスペルタティア王国も「連合」に参加していた可能性があります。

つまり、連合参加国が統治機構を失い「連合信託統治領」と化したのでは、と。
国連によるものと重ね合わせるなら、
将来の独立も視野に入れてのこととも思えますが・・・

また「連合参加国」ではなかったとしても、
帝国の侵攻を受けたときに連合がオスティアを保護していたことで
連合による信託統治の根拠になったのでは、と。



そしてもう一つ、統治領の名前が「新オスティア」になっていたこと。
実は今残っている浮遊島は本来「オスティア」と呼ばれてはおらず、
エリアとしての通称が残っているだけなのではないかと。

現実のオスティア(ローマの)でも
元のオスティアと現在のオスティアとの関連は薄いようです。

あたかも東京に例えれば、23区が使用不能になり
市部とか埼玉辺りを「新東京」と呼ぶような感じに。
あるいは「神聖ローマ帝国」か。



そして帝国と連合が「どう手打ちにしたのか」の簡単な推測を。
実際の処置は相当複雑になったと思われますし、
描写不足で推測する材料も現在のところ不足しています。
が、一つだけ言えそうなことがあります。

連合が帝国領の占領地から撤退したこと。完全にではないかもしれないが。

以前推測した限りでは、
連合側は連合構成国を守りきって帝国側からこれ以上の攻撃が無くなれば、
戦争目的は完全に達成されたといえます。
つまり兵を引くだけなら異論は出にくいのではないかと。
対する帝国側は戦争目的どころか領地を削られ押し込まれている状態までの描写です。
政治的責任者は処断されたかもしれませんが、国民感情などから見れば
負け分をかなり取り戻せたことで半ば納得、といったところではないかと。

とりあえず今回はこの辺りで。やはり材料不足なので・・・

第225話特記事項

2009-05-27 19:29:22 | ハヤテのごとく!
シスターお久しぶり。



マリアさんの心遣いが光るシーンだが、通常、
このようなレストランでは予算を決めてお願いすることが出来るらしい。
服装の決まりもあることがあるが・・・まあ執事服なら大丈夫だろう。

尤もハヤテが知らなかったのも無理は無いこと。
多分、「メニューを見て注文する」という
働いたこともある普通の食堂の感覚しか知らないと思われるので。



トンファーは世界中で使われているらしいが、
>刃物などへの防御力に優れた「握り付き警棒」としての意味合いが強く、
>握りを一瞬緩めて回転させて打つ技法は、
>格闘技に秀でた一部の者以外は省略されている場合が多いらしい。

ともあるように、シスターの使う技法は比較的難易度が高い模様。

ハヤテがトンファーを受け止めたシーンを見ると、棍が交差しており
どうやら「守り」の体勢のときに摑まれたらしい。
攻防の切り替えが甘かったのか?



参考:
電車の中で「痴漢です」! 叫ばれたらどうしたらいいのか
弁護士・井上薫さんに聞く


現状、この手の訴訟は男性側から疑いを晴らすのは相当難しい。
それを利用する手を思いつくのは、さすがやさぐれ系のシスターである。
ハヤテの取れる最適手は「逃げる」かな。

第252時間目特記事項

2009-05-27 19:12:25 | UQ HOLDER!
どうみてもこのせつ回です。本当に(ry



左右反転しています。チャチャゼロです。
「Antique」かと思ったら「Antipue」?さすがに誤植だよね。
普通に英語で書いてます。

「Evangeline's automaton ₯ 530,000」
「エヴァンジェリンの自動人形 Dρ 530,000」
53万ドラクマ・・・高くない?



名前が出て来たオスティア総督
・・・って、この名前をそのまま使うか?

クルト・ゲーデル(Kurt Gödel)。オーストリア(二重帝国)出身のドイツ系です。
ö(Oウムラウト)が出ないときには正式にはGoedelと綴るようです。
ゲーデルの不完全性定理等で有名な数学者・論理学者です。

何か設定面でモデルになっているのか・・・?



新たなパクティオーで出て来た新カード。
名前以外の字はあまり読み取れませんが、「ALATA」だけ判別できた。

ということは、絵柄以外は変更は無い・・・のかな?

大河内 アキラ(!?neo版):type 9

2009-05-26 18:43:24 | エニア・タイプ判別室
今日が誕生日の



neoのアキラ
ほとんど第27教科目からの判定になりました。

藤真先生が「台詞について赤松先生に相談した」というように、
本家とだいぶ近い性格になっていると考えられますが、



それが特に分かるのはこのシーン。
「驚き」の感情が表に出ていません。

やはり5・9辺りと見てとれますが、
イルカとの接し方を見る限りでは人付き合いを避けるタイプではなさそうです。



そして決定的なのがこのシーン。
アーニャが怪しげながらも説明を試みるに対し、
アキラの方はとりあえず行動に訴えます。
どうやら行動タイプの模様。

というわけで判定は type 9
ウィングは恐らくなし。



というわけで本家のアキラと同じタイプが出ました。
type9の「包み込むような受身の優しさ」がよく出ていたようです。

愛歌さんの紹介したレストラン

2009-05-25 21:21:48 | ハヤテのごとく!
第224話で愛歌さんがハヤテに紹介したレストラン。



さすがに「サンライズ」という名前では見つかりませんが、
幾つか出ている特徴からそれらしきレストランは見つかりました。

それがこのオリゾンテス・リカヴィトゥ
こちらの方が詳しいかも

国賓なども訪れる一つ星レストランで、
お値段も一人当たり100ユーロ(2005年当時で13000円位)は必要と
高校生にはかなり厳しいお値段です。



アテネ市内の「リカヴェトスの丘」という場所にレストランなどが多くあり、
そこから市街地やアクロポリスを一望できるそうです。

ただし日本語では英語名の「ホライズン」で探した方が見つかりやすい模様。
(Οριζοντας:地平線・英語では「Horizon」
Λυκαβηττου:リカヴェトスの活用形)

ぐるなびの情報にある写真を見ると、
オープンテラスの部分がそれらしき絵になりそうです。
丸テーブルも出ているし。また「地中海料理屋」というのもぴったりです。

というわけで、案外あっさり特定できました。

5/26追加レストランの公式サイトもご参考に。
Alfさんご指摘感謝です。

火星の衛星?

2009-05-24 19:38:04 | UQ HOLDER!
江戸前ネギ巻き寿司さんの指摘
>ネギま!の26巻を読んでいたら、233時間目にフォボスだかダイモスだか
>分からないけど、火星の衛星みたいなのが浮いている事に今更気づいた

を受けて調べてみました。



これが問題のコマ。
画像がやや不明瞭ですが、不定形であることと
地平線から見てかなり近くにあることが分かります。

太陽系の中では火星が「近い軌道の不定形衛星」を持ちますが、
衛星は2つとも自転周期も短く、またかなり近くを回っているので
それだけで「どちらか」を特定するのは困難です。



形的にはダイモスの方が似ている感じですが、
大きさの比率としてはフォボスっぽいです。

ダイモスの方はこちらにもう少し似て見える絵が、
フォボスの方はこちらにもう少し外形の分かる絵があります。

恐らくCelestia辺りを使わないと特定は困難なようです。



これは第249時間目の最後のページの「2つの月?」ですが、
よく見るとどちらも輪郭が円弧になっていません。

というわけで魔法世界は見れば見るほど火星っぽいです。

西沢さんが不安定になるとき

2009-05-23 14:06:20 | ハヤテのごとく!
星の海へ行こう!さんのねとらじを聞きながら
ちょっと補足しておきたくなったことを。
(というかウチの話題が出てきてびっくり。意外と好評価なようで・・・
それでも反応できずにそのまま寝落ちしてしまいましたが。)



特に最近は情緒も安定感のある西沢さん。
タイプ的にも本能型で両隣(7・9)が安定型でもあり、
本によっては安定型に分類されていたりもする。
(その場合は全体を安定型579と不安定型246に二分する)

しかし問題は、所謂「ストレス時」(2への矢印)。
特に「性のパートナー」に意識が向くタイプでもあるため、
西沢さんの場合はハヤテとの関係次第で安定度が左右されてしまう。



それは西沢さんの転機があの下田編の第116話だったこともそうだが、
かすかに描写のある「ハヤテと会えなくなっていた期間」のこと。
「泣きそうだった」と言われている以外にも
突っ込みで全力で「先生を」殴ってたり、その後数回の出番では
(現在と違い)リアクションが大きめなところからも分かります。

それでも比較できる相手がナギ(準不安定型)やヒナギク(不安定型)なので
それらと比べれば安定しているといえます。
安定型のマリアさん理沙と張り合う展開にならないと
不安定さはなかなか見えてこないかもしれません。



また、タイプ8は「自己を主張する人」「意思の人」とも呼ばれるように、
多少の不安定さは行動の勢いにかき消されがちでもあります。
それになにしろ「ハヤテを追いかける」という行動指針は全くぶれていません。

そんなわけで現状、ハヤテが「近く」にいる限りは安定したままではないかと。
そして再び不安定さを見せるのは、ハヤテがまたいなくなりそうになったときか、
マリアさんが明確なライバルになるときではないかと予想。
アテネ(準安定型)がとの関係がどうなるか、にも依りそうですが。

誰がヒナギクを嫌うのか

2009-05-22 19:57:21 | ハヤテのごとく!
ダントツの人気と共に根強いアンチも付いているヒナギク。
何故こんなに嫌われるのか、そして標的になるのか。

マザーテレサが「愛の反対は憎しみではなく無関心です」というように、
それは「反発」という形でも人々の関心を集めるからである。
それは決して人気や描写に対する反発ばかりではなく、
不安定型としての描写に関係している。



そして実は、ヒナギクを嫌いそうな人の見当は付く。
それは大雑把に言って、
「自分自身が不安定型」
「不安定型に対する耐性がない」
といった辺り。きっちり分かれるわけではなく重複しそうですが。

それぞれヒナギクの不安定さの描写に対して、
前者は感情移入をするからこそ反感を抱くタイプで、
後者は感情移入が出来なくなることで反感を抱くタイプ。

後者は特に、不安定型の登場人物が少ない「ハヤテのごとく!」では
ストーリー的にも「異質なもの」と感じ取ってしまう要素になりえるため、
「その要素として最も目立つ」ヒナギクに不満を向けてしまう形になるか。
(進行が遅くなる、という形になることが多いし)


(↑自分でやってしまったことのある行動)

そして「感情移入をするからこそ」のタイプは
実は「自分の中にある嫌いな要素」を重ね合わせてしまうタイプ。

私の場合はやはりそういう対象は主に伊澄になるが、
見ていてやっぱりいたたまれない気持ちになるときはある。
それでも「自分の本質を直視する」ことにある程度慣れている身としては
それが「伊澄に対する反発心」になるようなことは無い。

が、人間えてしてその「嫌悪感」の発する元を混同しがちだし
嫌悪感を起こさせる物と、そのトリガーになる人間とを混同しがちである。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉はあるが、
そのような言葉がわざわざ唱えられるほどには混同しがちなのだ。

やはり人間、対人関係を基本として生きているし、
実際何事も人間や実物に置き換えて考えた方が理解しやすいし。



で、今回の論争の発端?になっているtake23さんの意見を見る限り
こちらの要素が強いのでは、と。
ただし「嫌い」までは至らずに「不安感」の方向のようですが。
(実際、「好きなキャラ」の咲夜は安定型だし。)

そしてセカコンさんが言っている
>最初、ヒナギクはなんとなくつまんないキャラだと思っていたんですよ。
というのもよく分かる話。「不安定さ」を嫌う人以外にとっては。
本来的に不安定型のキャラが安定したところばかり見せていたのでは
そう感じたのも無理の無いことです。「人物が出てない」ってことですし。

で、私としてはやっぱりタカヒナさんの言うことと少し違って、
「隠れていた問題点が顕在化したことが成長の第一歩だ」と思うのです。
人間何事も問題を見据えるきっかけがないと解決に動けないものですし、
ヒナギクが自分のそういう面と向き合う過程こそが「成長」なのではないかと。

ただ、リアルタイムにそういうことに感情移入してしまう人には
そのようには感じにくいのですが・・・

エヴァは悪キャラ?

2009-05-21 18:25:47 | UQ HOLDER!
はんなりで行こうさんの企画、
「エヴァは次第に悪キャラではなくなってきているのではないか」に
ネギまとのはうあな日々さんの記事を参考にしながら私なりに考察。



さて、そもそも「悪」とは何か、エヴァ自身がどう思っているのかというと、
上のチャチャゼロの台詞にある
「自分の目的・欲望・理想のために他人の犠牲を厭わぬ者」それが悪人だ、と。

そう、実は社会通念的な善悪とは無関係に捉えているのです。
これはどうやら自分が「生きる」という目的のためにやってきたことだが、
自分を討伐しに来る者も基本的に「悪」だと捉えていたのではないかと。

自分が人ならざる吸血鬼となり人間社会からはずされた、という思いがあり、
そういう自分と無関係になった通念で一方的に裁かれてきたという
「社会正義」に対する反発もあるのかもしれません。



となると問題は「社会正義から見てどうか」ということになり、
それに対するエヴァの「目的・欲望・理想」がどうか、ということになります。
それを考えると転機となるのがネギの弟子入りである。

単行本第3巻までの「エヴァ戦」までは自分にかけられた「登校地獄」の
解除を目的として、クラスメイトなどに「犠牲」を強いてもきた。
またそれゆえにネギと対立することになったが、
ネギが弟子になってからはその「目的」は引っ込んでいる。



そうなると今のエヴァが目的とするようなものは何があるか、というと、
一番大きいのが「ナギ探し」である。これはもちろん、
ネギや「白き翼」と共通であり、クラスメイトと争う理由も特になくなっている。

そしてエヴァ自身、性格タイプ的に「賞賛を求めて奮起する」タイプで、
クラスメイト達がエヴァの「凄さ」を認めて尊重している限りは
エヴァはそれで満足するし、どちらからも敵対する理由は生じない。、
それは他の勢力の主要人物、リカード・テオドラ・セラス・学園長などにとっても
同じことで、彼らの守る「社会正義」を脅かすというわけでもない。

というわけで、おおよそこんな感じになるのではないかと。
悪(あく)とは言い辛くなっているが、いまだに悪(わる)ではある。
「丸くなった」というのは、理解者がそれだけ増えたということではなかろうか。

第251時間目特記事項

2009-05-20 18:22:09 | UQ HOLDER!
エミリィは仲間になりたそうな目でこちらを見ている



フラッシュバックと似た現象?
「のどか」の名が口をついて出るも、思い出すには至らず。
直後に「ズキンッ」とくるのは忘却魔法の影響か、
無意識下の記憶とのギャップのなせる業か。

この夕映と明日菜の描写とあわせると、
忘却魔法はやはり「思い出せなくなる」という要素が強いよう。



ベアトリクスの愛称はビー(Bee)ときました。
英語流で、むしろ「Beatrice(ベアトリス)」の愛称として多いよう。
するとMonroe家にもう一人以上「Beatrix」がいるのか?・・・母親?

そしてコレットの強さは獣人の能力か。
回転ひねりを加えているベアトリクスのは鍛錬の賜物と分かる。

ちなみに恐らくエミリィがネギの顔に気がつけなかった原因は、性格と眼鏡。
それと先入観。崇拝対象と犯罪者は結びつかなかった模様。



今まで役職すら出てこなかったオスティア総督、ついに出現。
名前はまだ出ませんが。

残党は要地の管轄職を得ていた。
これは相当、色々な作業がやりやすそうです。
ネギ達への手配書はひょっとして彼の名前で出た?

「二郎三郎」という名前

2009-05-19 20:05:06 | ハヤテのごとく!
第19巻で名前の出た



一条 二郎三郎 君。
(現代では)すごく珍しい名前だが、この名を持つ人物は何人か存在する。

中でも有名になったのが、徳川家康の影武者説(ジャンプで漫画化された)で有名な
世良田二郎三郎元信。
(徳川家康は今川の下で「松平次郎三郎元信」と名乗っていたりする)

そしてもう一人、明治時代の自由民権運動家、
中野二郎三郎が出てくる。



このような名前が出てくる理由は教えて!gooにあるが、
その殆どは武士の時代に付いた名前である。
一条君の場合はどうしてこんな名前になったのか?

親が歴史マニアとかの場合は、年齢的に「次郎三郎」の方になりそうなので
実は代々?受け継がれていた名前、と推測。
あるいはおじいちゃんの名前とかから受け継いだとかそんな感じで。

第26巻からいろいろ

2009-05-18 18:53:53 | UQ HOLDER!
少し入手が遅れた第26巻



限定版で入手。
テオドラ皇女は表紙からはぶられた?
金髪・ヘテロクロミアのアリカ王女、背景にはメガロメセンブリア。

さて今回も答えあわせとか。


Wikipedia「アイギス」よりアテナ像


「アイギス」に関する長い解説。
232時間目の用語より、原型は「κρατυ」ととるのが正しかったよう。

名前の出ている「ルウィ語」に関する解説は「アナトリア語派」にあります。

焔/焰(焰)はやっぱり旧字体・新字体の都合か、統一困難?
偸生の符に関してはこちらで正解だった模様。



時雨さんが読んでくれていたポスターより、
題字で隠れていた部分が読めるようになっていました。

「Ticket Bill:12 asses」
チケット一枚12アス

ナギまん16個分のお値段。安くないか?

トーナメント表の方は特に変更なし。

構造主義とポストモダン:ぶっちゃけ解説

2009-05-17 21:09:41 | 社会・地理・歴史
「構造主義とポストモダン」について、tanabeebanatさんの記事を受けて
私なりの解説を試みて見ます。まあ哲学専門というわけではないので、
情報処理の資格持ちとしてそちら方面の方には分かりやすいことを目指して。

Wikipediaの「構造主義」の項目から抜き出すと、
(略)その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、
場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。
構造主義という名称から、イデオロギーの一種と誤解されがちであるが、
今日では、方法論として普及・定着している。


プログラマ的に言い換えると、
「目的物の動作単位を抜き出し、そこから要求仕様を導き、
場合によっては必要なソフトを製作すること、位にあたるかなぁ。
~主義と付くので、なんかとっても思想っぽいけど、
今日では、エンジニアとかはそんな感じのことやってます。」
という感じになるかと。

ただプログラムとかと違うのは、「どこまで動作を切ればいいのか」が
はっきりせず、論者の裁量に大きく依存しているところです。
「場合によっては制御するための」とあるように
再現実験して見せることまでは目的とはしていないので。

ポストモダンの方はやっぱり▽架空の杜△さんが触れているように
旧い・新しいの問題でもなく優劣の問題でもない
ということになるかと。
ポストモダニズムとは必ずしもイコールではないが、構造主義以後に
構造主義を批判しつつ継承して出てきた思想傾向をポスト構造主義と呼ぶ。

という言及もありますが、「ポストモダン」とは意味として
「モダン(近代)の次」でしかなく、「近代」という言葉で何を表しているのか
場合によって色々ありすぎるようなので。
コンピューター技術の場合、それは機械以外の政治的要素などを踏まえることか。

で、漫画だの文学だのでこれを語る場合、
構造主義の方は「『物語の構造』をきちんと踏まえてくれ」という感じで、
ポストモダンの方は「外部の影響の反映」を言い表したものではないかと。
実際、読者の要請などを受けてストーリーが「途中で変わる」作品というのは
「連載作品」のように製作途上で人目に触れないとありえないので。

実際「外部の影響」で物語の基本構造が歪んでしまった作品は過去にあるわけで、
そういう意味では対立しやすい要素ではないかと思います。
ただ、過去のそういった実例を踏まえて両取りを目指すという方向性は、
やはり現れるのが必然ではないかと思います。
ただ同じ作品を読んでも何を「物語の構造」の軸と見るかは人によって違うので、
論争の種になりやすいのかな、と。