はんなりで行こうさんの企画、
「エヴァは次第に悪キャラではなくなってきているのではないか」に
ネギまとのはうあな日々さんの記事を参考にしながら私なりに考察。
さて、そもそも「悪」とは何か、エヴァ自身がどう思っているのかというと、
上のチャチャゼロの台詞にある
「自分の目的・欲望・理想のために他人の犠牲を厭わぬ者」それが悪人だ、と。
そう、実は社会通念的な善悪とは無関係に捉えているのです。
これはどうやら自分が「生きる」という目的のためにやってきたことだが、
自分を討伐しに来る者も基本的に「悪」だと捉えていたのではないかと。
自分が人ならざる吸血鬼となり人間社会からはずされた、という思いがあり、
そういう自分と無関係になった通念で一方的に裁かれてきたという
「社会正義」に対する反発もあるのかもしれません。
となると問題は「社会正義から見てどうか」ということになり、
それに対するエヴァの「目的・欲望・理想」がどうか、ということになります。
それを考えると転機となるのがネギの弟子入りである。
単行本第3巻までの「エヴァ戦」までは自分にかけられた「登校地獄」の
解除を目的として、クラスメイトなどに「犠牲」を強いてもきた。
またそれゆえにネギと対立することになったが、
ネギが弟子になってからはその「目的」は引っ込んでいる。
そうなると今のエヴァが目的とするようなものは何があるか、というと、
一番大きいのが「ナギ探し」である。これはもちろん、
ネギや「白き翼」と共通であり、クラスメイトと争う理由も特になくなっている。
そしてエヴァ自身、性格タイプ的に「賞賛を求めて奮起する」タイプで、
クラスメイト達がエヴァの「凄さ」を認めて尊重している限りは
エヴァはそれで満足するし、どちらからも敵対する理由は生じない。、
それは他の勢力の主要人物、リカード・テオドラ・セラス・学園長などにとっても
同じことで、彼らの守る「社会正義」を脅かすというわけでもない。
というわけで、おおよそこんな感じになるのではないかと。
「悪(あく)とは言い辛くなっているが、いまだに悪(わる)ではある。」
「丸くなった」というのは、理解者がそれだけ増えたということではなかろうか。
「エヴァは次第に悪キャラではなくなってきているのではないか」に
ネギまとのはうあな日々さんの記事を参考にしながら私なりに考察。
さて、そもそも「悪」とは何か、エヴァ自身がどう思っているのかというと、
上のチャチャゼロの台詞にある
「自分の目的・欲望・理想のために他人の犠牲を厭わぬ者」それが悪人だ、と。
そう、実は社会通念的な善悪とは無関係に捉えているのです。
これはどうやら自分が「生きる」という目的のためにやってきたことだが、
自分を討伐しに来る者も基本的に「悪」だと捉えていたのではないかと。
自分が人ならざる吸血鬼となり人間社会からはずされた、という思いがあり、
そういう自分と無関係になった通念で一方的に裁かれてきたという
「社会正義」に対する反発もあるのかもしれません。
となると問題は「社会正義から見てどうか」ということになり、
それに対するエヴァの「目的・欲望・理想」がどうか、ということになります。
それを考えると転機となるのがネギの弟子入りである。
単行本第3巻までの「エヴァ戦」までは自分にかけられた「登校地獄」の
解除を目的として、クラスメイトなどに「犠牲」を強いてもきた。
またそれゆえにネギと対立することになったが、
ネギが弟子になってからはその「目的」は引っ込んでいる。
そうなると今のエヴァが目的とするようなものは何があるか、というと、
一番大きいのが「ナギ探し」である。これはもちろん、
ネギや「白き翼」と共通であり、クラスメイトと争う理由も特になくなっている。
そしてエヴァ自身、性格タイプ的に「賞賛を求めて奮起する」タイプで、
クラスメイト達がエヴァの「凄さ」を認めて尊重している限りは
エヴァはそれで満足するし、どちらからも敵対する理由は生じない。、
それは他の勢力の主要人物、リカード・テオドラ・セラス・学園長などにとっても
同じことで、彼らの守る「社会正義」を脅かすというわけでもない。
というわけで、おおよそこんな感じになるのではないかと。
「悪(あく)とは言い辛くなっているが、いまだに悪(わる)ではある。」
「丸くなった」というのは、理解者がそれだけ増えたということではなかろうか。
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