ネット記事を見ていたら「ホワイトハラスメント」という言葉が出て来た。またか。なんでも「ハラスメント」という言葉をつけてしまえばいい風潮はうんざりだ。
ホワイトハラスメントというのは、「過小な要求」型だそうである。例えば、他の社員の仕事とは違う軽作業を別室でするよう命じられたような事例、学校の先生の場合は、担任から外され掃除しかさせてもらえないといった事例などがあるという。
常識的に考えてほしい。「他の社員の仕事とは違う軽作業を別室でする」というのは、ホワイトハラスメントではない。あきらかなパワーハラスメントである。「担任から外され掃除しかさせてもらえない」という先生がいるはずがない。「担任から外された」のは何らかの事情があるからであろうし、もし「掃除しかさせてもらいない」人が教員であるはずがない。この記事を書いている人の意図的な操作があるのはあきらかだ。
能力が足りない、努力が足りない人を、それに見合った部署に異動させることまでハラスメントだと言われたしまえば、逆に頑張っている人、能力が高い人がいやな気分になる。それぞれの人に、それぞれの不満があり、嫌な気分になることもある。それが世の中であり、その度が過ぎればハラスメントと言えるだろうが、当たり前に出現するマイナス要素までハラスメントとされては、逆に世の中が進まない。ハラスメントになるのではないかと気にするために、思い切ったことが何もできなくなってしまう。
今は「ハラスメント」ブームである。しかし行き過ぎだ。はっきりとしたハラスメントと「なんちゃってハラスメント」の区分けをはっきりとしなければならない。今のようななんでもハラスメントにしていい状態は、ハラスメントを甘やかしに使っているようにしか感じられない。そこまで人間を過保護にしてはいけない。