とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

夏目漱石『文学論』を読みました。

2022-04-18 08:10:40 | 夏目漱石
 夏目漱石の『文学論』を読みました。夏目漱石は小説家になる前に、英国に留学し、その後東京帝国大学で英文学を教えます。その時の講義を本にしたものです。むずかしい内容ですが、日本には夏目漱石がいたからこそ、近代文学が生まれ、日本の文学が発展したということがよくわかる本です。

 おそらく英文学の理論をもとにしているからなのだとは思いますが、内容は科学的です。有名な(F+f)にしても文学を科学的に解明しようという姿勢がよくわかります。Fは「認識」のことで、どういうものがあるかを分析、分類します。fとはそれに伴う情緒のことでこちらも分析されます。Fは個人のものでもあるし、抽象化した集合のものでもあります。社会学的な分析もなされていきます。

 さまざまな科学的な分析がなされ、とても1回で理解できるものではありません。丁寧に読んできたつもりですが、それでも文体が難しく、内容的にもすっと入ってくるものではありません。じっくりと何度か読まなければ理解できないものでした。

 しかし、それでも様々な知見に驚かされます。今日的な文学理論を先取りしており、しかもそれをその後小説で本人が実践しているのです。その事実を確認できたという意味でも、読む価値があるものでした。

 いくつかの点でできればさらに書き残しておきたいことがあります。これは別の日に譲ります。

 難解な本をとにかく読み切ったという満足感を得るとともに、その内容の偉大さに驚かされました。やはり夏目漱石は偉大です。
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夏目漱石『文学論』を読みました。

2022-04-18 08:10:40 | 夏目漱石
 夏目漱石の『文学論』を読みました。夏目漱石は小説家になる前に、英国に留学し、その後東京帝国大学で英文学を教えます。その時の講義を本にしたものです。むずかしい内容ですが、日本には夏目漱石がいたからこそ、近代文学が生まれ、日本の文学が発展したということがよくわかる本です。

 おそらく英文学の理論をもとにしているからなのだとは思いますが、内容は科学的です。有名な(F+f)にしても文学を科学的に解明しようという姿勢がよくわかります。Fは「認識」のことで、どういうものがあるかを分析、分類します。fとはそれに伴う情緒のことでこちらも分析されます。Fは個人のものでもあるし、抽象化した集合のものでもあります。社会学的な分析もなされていきます。

 さまざまな科学的な分析がなされ、とても1回で理解できるものではありません。丁寧に読んできたつもりですが、それでも文体が難しく、内容的にもすっと入ってくるものではありません。じっくりと何度か読まなければ理解できないものでした。

 しかし、それでも様々な知見に驚かされます。今日的な文学理論を先取りしており、しかもそれをその後小説で本人が実践しているのです。その事実を確認できたという意味でも、読む価値があるものでした。

 いくつかの点でできればさらに書き残しておきたいことがあります。これは別の日に譲ります。

 難解な本をとにかく読み切ったという満足感を得るとともに、その内容の偉大さに驚かされました。やはり夏目漱石は偉大です。
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「こそそめスープ」

2022-04-16 07:33:57 | 国語
 東京書籍の『新編現代文B』の一番最初に村田沙耶香さんエッセイ「こそそめスープ」が掲載されている。このエッセイはおもしろい作品である。

 筆者は大人になるまで「コンソメスープ」を「コソソメスープ」だと思い込んできた。「コソソメスープ」が本物のスープの名称なのだが、たいていはレトルトなどのインスタントスープであり、そういうまがい物の「コソソメスープ」を、ちょっと馬鹿にして「コンソメ」という名称を与えたと思い込んでいたのだ。現実には「コソソメスープ」と誰も言わないのは、本物の「コソソメスープ」は高級レストランでしか食べることができず、一般庶民が食べるのはまがいものの「コソソメスープ」しかないからだと筆者は解釈していた。筆者はこの勝手な思い込みを真実だと疑わず大人になった。

 ある時それが間違いであったと気が付く。しかし筆者はその間違いを認めつつ、自分の心の中では「コソソメスープ」はあるものだといいう考えを捨てずに、それを自分の真実として生きていくことにした。

 考えてみれば、私たちはみんな自分自身の思い込みの中で生きている。思い込みこそが個性なのだ。だから他人を傷つけないならば自分の思い込みを大切にしたいいはずだ。ほんものの「コソソメスープ」に対する思い入れがある世界のほうが自分らしい生き方ならば、それを大切にすることが、自分を大切にすることになる。社会に自分を合わせる必要はない。

 筆者はたくさんの「思い込み」の世界を行き来してみたいと思う。それこそが真の交流である。

 若干本当だろうかと思えるようなエッセイだ。大学卒業後まで「コソソメスープ」があると思い込んでいたなんて簡単には信じられない。しかし人間にはさまざまな思い込みがあるというのはまぎれもない真実である。その真実がすんなり伝わるのだから問題はない。それ以上に「個性」を生かす生き方を肯定していくことの重要性を感じることができるいい文章である。

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古典の参考書第10回「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」

2022-04-12 06:51:33 | 国語
 作者は崇徳院。『詞花集』と『小倉百人一首』に収められています。

【品詞分解】
瀬  名詞、「瀬」は川の流れが浅いところ
を  間投助詞
はや 形容詞の語幹
み  接続語尾
岩  名詞
に  格助詞
せか カ行四段活用の未然形
るる 受け身の助動詞の連体形
滝川 名詞
の  格助詞
われ ラ行下二段活用
て  接続助詞
も  係助詞
末  名詞
に  格助詞
あは ハ行四段活用の未然形
む  意思の助動詞の終止形
と  格助詞
ぞ  係助詞
思ふ ハ行四段活用の連体形、「ぞ」の結び

【現代語訳】
 川瀬の流れがはやいので、岩にせき止められる急流のように、今は分かれても、いつかはきっと逢おうと思う

【~を ~み】
 「名詞 + を + 形容詞の語幹 + み」で「○○が~なので」の意味を表します。

【序詞】
 「瀬を早み岩にせかるる滝川の」が「われ」の序詞です。流れの速い川の水は岩にあたると分かれていくということが、「われ」るという言葉を導き出しているのです。
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古典の参考書第9回「玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」

2022-04-11 10:07:04 | 国語
 この歌は、後白河法皇の娘であった式子内親王が詠んだものです。新古今和歌集と小倉百人一首に収められているとても有名な和歌です。

【品詞分解】
玉の緒   名詞
よ          間接助詞
絶え       ヤ行下二段活用「たゆ」の連用形
な          強意の助動詞「ぬ」の未然形
ば          接続助詞
絶え       ヤ行下二段活用「たゆ」の連用形
ね          強意の助動詞「ぬ」の命令形
ながらへ              ハ行下二段活用「ながらふ」の未然形
ば          接続助詞
忍ぶる   バ行上二段活用「しのぶ」の連体形
こと       名詞
の          格助詞
弱り       ラ行四段活用「よはる」の連用形
も          係助詞
ぞ          係助詞
する       サ行変格活用「す」の連体形

【現代語訳】
(私の)命よ、絶えるのならば絶えてしまえ。このまま長く生きていれば、耐え忍ぶ力が弱って(心に秘めた恋がばれて)しまいそうだから。

【助動詞「つ」「ぬ」の強意の用法】
 完了の助動詞「つ」と「ぬ」は、もう一つ「強意」の意味になるときがあります。どういう時に「強意」になるのでしょうか。
 結論を言うと、下に推量の助動詞(む、べし、など…)がついていれば「強意」になります。まだ事実として動作が完了していないときは「完了」にはならないので「強意」なのです。ですから、
  てむ
  なむ
  つべし
  ぬべし
 のパターンで出てきたときの「て、な、つ、ぬ」は強意になります。ここで出てきた「なば」は順接仮定条件です。仮定であるとうことはまだ事実として完了はしていません。ですから「強意」です。
  てば
  なば
 も「強意」になるのです。

【もぞ、もこそ】
 「もぞ」「もこそ」は「~すると困る、大変だ」という意味です。
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