「桜を見る会」での安倍晋三氏側の嘘は明白になった。しかし「桜を見る会」が問題になった時から安倍氏の説明は嘘だとしか見えなかった。だからみんな騒いだのであるが、それでも安倍氏は偉そうな顔をして「知らぬ存ぜぬ」で済ませてきた。森友問題、加計学園問題も同じだ。だれがどう見ても不正があったとしか思えない。しかしそれを隠し続けてきた。隠せば隠すほど面の皮が厚くなり、どんどん態度が偉くなる。こんな人間が総理大臣でいいのかと多くの人が思ったはずだ。
少し前の日本だったら、こういう問題に対してもっと厳しい対応がなされてきた。支持率は大きく下がっただろうし、場合によっては首相が辞任することもあった。しかし安倍政権だけは違った。多少は支持率が下がるが、一定以上に下がることはなかった。なぜこんな政権をみんな支持してきたのだろう。
前回のブログで、現在の「国粋主義」の原因はアジアの他国の経済力が強まってきたことにあると書いた。日本の経済力を守ろうと言う精神的な保護主義的が生まれてきたのである。安倍政権はその「国粋主義」によって守られていたのだ。経済界は「安倍政権」を支えてきた。安倍政権もそれにこたえて、「改革」を続けてきた。
しかしこの「改革」は真の改革ではなかった。経済界のためだけの「改革」であり、経済界の既得権をどのようにして守るだけの「改革」だった。経済化の既得権を守るだけではない。経済界がやりやすい環境を作るための改革であった。
その結果、経済以外のあらゆるものは攻撃の対象になった。例えば教育改革である。教育は「経済」のためだけのものに作り替えられようとしている。無理を承知で突き進み、今や「改革」の名のもとに分断が生まれている。教員の成り手もいなくなり、近い将来教育が崩壊することは目に見えている。
医療もそうだ。医療従事者はどんどんブラックになり、一部の医者以外はなり手が減っている。その結果が新型コロナウイルスへの対応の遅れにつながっている。医療体制が切迫していることに政府も経済界も気が付いていない、いや気が付いていながら、知らんぷりをしているのだ。
もはや日本はまともな国家ではなくなった。はやく立て直す必要がある。そのためにはもっと哲学を語り合う場が必要だ。
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