とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

TPP承認法案強行採決

2016-11-06 06:55:57 | 社会
 TPP承認の法案が強行採決された。政府与党の対応に断固抗議する。

 TPPがいいのか、悪いのか、それはなかなか簡単に判断できない問題である。それなのに、どのようなメリット、デメリットがあるのかがほとんど説明されていない。政府与党とすれば、国会の審議時間は十分かけたのだから採決するのは当然だという理屈なのだろうが、それはおかしい。

 TPPは多岐にわたる取り決めである。しかもそれが全体としてのバランスで成り立っているものである。それぞれの項目についての理解が必要であるし、そしてそれがどういうバランスになっているのかを、国民全員がよく理解しておかなければならないはずだ。今のところ国民はほとんど理解できていないというのが現状である。こんなに焦って承認する必要はない。もっと時間をかけるべきだ。

 マスコミもしっかりしてほしい。混乱を取り上げて視聴率を稼ぐのではなく、TPPを分かりやすく解説し、そのメリットとデメリットをわかりやすく伝えてほしい。

 政府はアメリカのいいなりのくせに偉そうにヘラヘラしている。マスコミはスポンサーのいいなりのくせに偉そうにしている。この国には芯になるものがなにもない。だれのための国なのかをじっくり見つめなおす必要がある。
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わかるのはまだまだ先のこと(11月4日の『べっぴんさん』)

2016-11-05 18:18:17 | TV
 『べっぴんさん』の雰囲気にようやく慣れてきた。また戦争が終わり展開も明るくなってきたので楽しめるようになってきた。

 昨日の『べっぴんさん』にいいセリフがふたつあった。

 長女(蓮佛美沙子)が闇市の元締めに嫌がらせをされ、抗議に行ったが、圧力をかけられいやな思いをして追い返される。その時、父親(生瀬勝久)が言った言葉。

 「世の中には理屈が通らんこともある。商売をやっとたらそんなことの連続や。そういうこととどないして対峙していくか、どないして解決するか、打開策が見つかるかどうかで、その先が違うてくる。」

 失敗するとすぐにへこんでしまう私に対しての言葉でもある。

 もうひとつ。実は長女に元締めのところに行くようにけしかけたのは父親だった。そこで父親が長女にそのような無理をさせてしまったことを後悔している場面で、執事が父親を元気づけるセリフ。

  「間違うてたか、そうでなかったか、わかるのはまだまだ先のことではありませんか? 旦那様は背中で見せてやってたらいいんです。」

 失敗を恐れていたら何もできやしない。じっとがまんしながら正しいと思うことをやり続けるしかない。そんなことを教えるセリフである。

 長女とその旦那(高良健吾)のセリフのやりとりもよかった。最近のドラマはすぐに結果を求めるようなセリフばかりだが、朝のドラマにしてはあまりそうなていない。「わかるのはまだまだ先のこと」という姿勢には賛同する。

 「あせるな。いそがば回れ、それが商売の、いや人生の基本や。」

 最後に父親が、長女の旦那に言ったセリフ。この15分でひとつのドラマが完結していた。見事だ。
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立川談春独演会

2016-11-03 17:24:47 | 落語
 文化の日ということで立川談春独演会に行ってきました。場所は山形市民会館。演目は「山号寺号」と「文七元結」。「山号寺号」は初めて聞く噺でしたが、小噺といったような内容。「文七元結」は1時間30分くらいかけての熱演でした。さすがのうまさです。

 まくらで、落語家は噺を暗記していないということを言っていました。よくわかるような気がします。繰り返ししゃべっていることなので口が覚えているところはあるのかもしれませんが、セリフを覚えるようなことはしない。芝居だと相手が困るだろうから、突然違うことを言ったり、セリフを飛ばしたたりすると大変なことになります。だからできるだけセリフは正確に言わなければなりません。落語ならば自分でその世界を作っていくことが可能ですし、下手に覚えてしまうとリアリティがなくなってしまう。

 授業も同じです。大きな流れを想定はしますが、あまり想定しすぎるとがんじがらめになってしまい、つまらなくなります。かと言ってしっかりと準備をしないといい加減なものになってしまう。努力と経験が大切です。

 談春さんの落語を聞きながら、そんなことを考えていました。
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「ら抜き言葉」と可能動詞3

2016-11-02 19:12:39 | 国語
 いくつかの補足

 五段活用動詞が可能になる場合は「れる」が付かなく、可能動詞に変化するのが普通ですが、残っているかもしれない例がいくつかあります。

  足が痛くて歩かれない。
  風が強くて飛行機が飛ばれない。
  通行止めなのでこの先は行かれない。

 これらの例は違和感がある人も多いかもしれませんが、使えなくもないとい人もいるのではないでしょうか。実際にこれは北海道方言としては残っているそうです。

 「受かる」の可能動詞はありません。「受かる」を可能動詞にすると「受ける」になりますが、これは可能の意味のない動詞です。合格できるというのを「受かる」を使って表現しようとして訳がわからなくなった人が実際に最近いました。

 「分かる」もありません。「分かる」を可能動詞にすると「分ける」になりますが、別の意味の動詞になります。

 「ら抜き言葉」は、そんなに簡単なものではありません。それなのにみんながよく知っている。どのくらいの人が理解しているのか知りたくなりました。授業で取り上げてみたいと思っています。
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「ら抜き言葉」と可能動詞2

2016-11-01 12:20:55 | 国語
「ら抜き言葉」は容認されるべきか

 最近になって「ら抜き言葉」はもはや定着しつつあり、容認すべきではないかという意見が出ています。わたしも賛成です。「ら抜き言葉」が単なる言葉の乱れだったのならば、そう簡単に容認すべきではないと思うのですが、「ら抜き言葉」を使ってしまう合理的な理由があるからです。

 文化庁の「国語に関する世論調査」で、ら抜き言葉についてどちらの用法を使うかの調査結果は次の通りです。上が従来正しいとされてきた用法で、下が「ら抜き言葉」で従来正しくないとされてきたものです。数字は%

  こんなにたくさんは食べられない。  60.8
  こんなにたくさんは食べれない。   32.0

  朝5時に来られますか。       45.4
  朝5時に来れますか。        44.1

  彼が来るなんて考えられない     88.6
  彼が来るなんて考えれない。      7.8

  今年は初日の出が見られた      44.6
  今年は初日の出が見れた       48.4

  早く出られる            44.3
  早く出れる             45.1
 
 動詞によって、あるいは使い方によって許容の差がかなりあることがわかります。そして年齢層が下がるとさらに「ら抜き言葉」容認派が増えるそうです。

 先に「ら抜き言葉」には合理性があると書きましたが、「ら抜き言葉」の合理性というのはどういうものでしょうか。それは1つは、五段活用の動詞の場合も可能の時に可能動詞となったように、可能の場合は他の受身や尊敬と別の表現になることのほうが自然に感じるようになったということです。可能と受身が別の表現になったほうが、表現の曖昧性が減るのでこれは合理的な変化です。もうひとつは可能動詞でも「書ける」「飛べる」のようにエ段に「る」がついています。すると「ら抜き言葉」の「見れる」「出れる」のほうが共通性があり、自然に思えてしまいます。

 規範意識が高かった時代は「ら抜き言葉」を使ってはいけないと誰もが思い、それが自然になっていました。しかし「ら抜き言葉」に合理性があったので次第に誤用が増えてきました。そしていつの間にか「ら抜き言葉」のほうが自然に感じられる人が増え、「ら」を抜く方向に、時代ともに変化してきたのです。

 続きます。

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