きのうは東日本大震災の9年目の日でした。最近、『風の電話』、『Fukushima50』という2つの映画を見て、東日本大震災について考える機会がありました。不思議なことに最近になって当時よりも東日本大震災がわかるように感じます。少し時間がたったからこそ、あの震災のことが本当の意味で見えてきたように思われるのです。
東日本大震災について、これまでは自分もあの中にいたのでよく知っていると思っていました。しかし本当は自分の経験と、ニュースで得た知識を結び付けて、ごく一部を見ていただけだったのです。今少し時間がたって振り返ってみると、当時よりも当時の大震災に直面した多くの人たちの心が感じられるように思えるのです。自分なりの思い込みから離れて、事実をしっかりと受け止めて、あの大震災が何だったのかが考えられるようになりました。津波の恐怖、命を失った人の悲しさ、苦しさ、大切な人を失った人の悲しみ、命を奪われて原発のメルトダウンの恐怖、ふるさとを失った人たちの悲しみ、苦しみ、そんな様々な思いに私自身の心が届くようになってきました。震災の不条理さを受け止められるようになってきたのです。
先日なくなった別役実さんは「不条理」をテーマにしてきました。人間は「不条理」な世界で生きていくことが宿命です。誰もが最後には「不条理」な「死」を受け止めなければなりません。それはつらいものです。そして重いものです。
若い時は「不条理」を言葉の意味としては理解できても、本当の意味では理解できませんでした。しかし年を取るにしたがって少しずつ「不条理」の意味が体に入っていくような気がします。
静かに心を落ち着けて構え、「不条理」を受け止めること。それは人々の心を自分の心とすることになります。「つながる」という言葉はそういうことなのではないかと思います。
わかりにくい文章になってしまいました。すみません。
今日のページから見落としていたことが幾つもあったような気がしてきました。
どうも有難うございました。