『こころ』において生徒に書かせた小論文を紹介します。たどたどしくて舌足らずだという指摘があるかもしれませんが、おもしろい視点が含まれています。この視点を生かして再構成して推敲していけば、いい小論文になると思われます。
なお、読書感想文や授業課題提出のために「コピペ」することが、絶対にないようにお願いしておきます。
「先生」は「私」に遺書を残して自殺したが、なぜこのタイミングで自殺したのだろう。私は、「先生」がついに精神的な孤独に耐えきれなくなったからだと考える。「死んだように生きていく」ことがKへの贖罪としていたのにもかかわらず自殺したのは、「私」の真面目さに心を開きたくなったからではないだろうか。
「先生」が今まで自殺しなった理由は大きく分けて二つあると思われる。ひとつ目は「毒」となる「静」の存在だ。「私だけが居なくなった後の毒を想像してみると如何にも不憫でした。」とあるように、「静」にとって頼るものが「先生」だけであることが自殺を止めていたことは間違いない。二つ目は「K」に対する贖罪の気持ちだ。まず、「先生」には自殺が逃げだという感覚があるように思える。「一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にない。」、「最も楽な方向」という表現にある通り、自殺よりも生きることのほうが「先生」にはつらく、努力が必要なものであるのがわかる。「K」の自殺を重く受け止めている「先生」は、自分は許されていいと考えているはずもなく、死んだように生きるという事故呵責を選んできたのだ。
これらの理由で、「先生」は今まで生きてきたというのに、なぜこのタイミングで自殺したのだろうか。もとから無責任で罪を負いながら生きる覚悟がない人ならば、もっと早く自殺していただろうし、逆にそれらの覚悟が揺るがないものであったのなら、一生自殺することはなかっただろう。
自殺した理由は、「先生」が孤独にたえきれなくなったからだろうと考える。「K」の死の真実を誰にも言わず、己の葛藤を明かさず生きていくのは精神的な孤独を感じる。「Kが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に処決したのではなかろうか。」と「先生」が書いた通り、先生は間違いなく淋しさを感じていた。しかし「先生」は「死ぬ前にたった一人で好いから他を信用して死にたいと思っている。」と「私」に話した。先生を慕い、まっすぐにぶつかってくる「私」に、すべてを話したいとも思っていた。自殺を食い止めていた妻の存在も、「私」の登場により、妻が頼ることができる他の人物となり、自分の死後も心配ないだろうと考える。自己呵責についても、長年続けたことによってもう逃げてしまいたいと思っていた。
今まで自殺を食い止めていたものが、私の登場によって心配はなくなり、長年の罪の意識からの孤独から逃げてしまいたいという気持ちをおさえられなくなったために、じさつしたのだと考える。これには、「私」と「先生」の間に信頼があり、「私」と「静」が仲良くなっていなければ成り立たないものである。この結果、このタイミングで自殺したのだと考えた。
この小論文の一番のポイントは「私」の存在によって「先生」が自殺することができたのだという点です。おもしろい視点だと思います。
なお、読書感想文や授業課題提出のために「コピペ」することが、絶対にないようにお願いしておきます。
「先生」は「私」に遺書を残して自殺したが、なぜこのタイミングで自殺したのだろう。私は、「先生」がついに精神的な孤独に耐えきれなくなったからだと考える。「死んだように生きていく」ことがKへの贖罪としていたのにもかかわらず自殺したのは、「私」の真面目さに心を開きたくなったからではないだろうか。
「先生」が今まで自殺しなった理由は大きく分けて二つあると思われる。ひとつ目は「毒」となる「静」の存在だ。「私だけが居なくなった後の毒を想像してみると如何にも不憫でした。」とあるように、「静」にとって頼るものが「先生」だけであることが自殺を止めていたことは間違いない。二つ目は「K」に対する贖罪の気持ちだ。まず、「先生」には自殺が逃げだという感覚があるように思える。「一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にない。」、「最も楽な方向」という表現にある通り、自殺よりも生きることのほうが「先生」にはつらく、努力が必要なものであるのがわかる。「K」の自殺を重く受け止めている「先生」は、自分は許されていいと考えているはずもなく、死んだように生きるという事故呵責を選んできたのだ。
これらの理由で、「先生」は今まで生きてきたというのに、なぜこのタイミングで自殺したのだろうか。もとから無責任で罪を負いながら生きる覚悟がない人ならば、もっと早く自殺していただろうし、逆にそれらの覚悟が揺るがないものであったのなら、一生自殺することはなかっただろう。
自殺した理由は、「先生」が孤独にたえきれなくなったからだろうと考える。「K」の死の真実を誰にも言わず、己の葛藤を明かさず生きていくのは精神的な孤独を感じる。「Kが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に処決したのではなかろうか。」と「先生」が書いた通り、先生は間違いなく淋しさを感じていた。しかし「先生」は「死ぬ前にたった一人で好いから他を信用して死にたいと思っている。」と「私」に話した。先生を慕い、まっすぐにぶつかってくる「私」に、すべてを話したいとも思っていた。自殺を食い止めていた妻の存在も、「私」の登場により、妻が頼ることができる他の人物となり、自分の死後も心配ないだろうと考える。自己呵責についても、長年続けたことによってもう逃げてしまいたいと思っていた。
今まで自殺を食い止めていたものが、私の登場によって心配はなくなり、長年の罪の意識からの孤独から逃げてしまいたいという気持ちをおさえられなくなったために、じさつしたのだと考える。これには、「私」と「先生」の間に信頼があり、「私」と「静」が仲良くなっていなければ成り立たないものである。この結果、このタイミングで自殺したのだと考えた。
この小論文の一番のポイントは「私」の存在によって「先生」が自殺することができたのだという点です。おもしろい視点だと思います。
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