とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

1年前シリーズ 「教育改革の私物化をやめさせろ」

2019-05-20 18:45:49 | 教育
 以下は1年前のブログである。いまだに全く同じ考えであり、多くの人がその問題を理解しはじめたのに、文科省は無理を通すばかりだ。もっとみんな騒ぐべきだ。教育改革は必要だが、今やっていることは癒着でしかないということを。

 私は教育改革は必要であると考えている。日本の教育は旧態依然としたままで現代では時代遅れの代物となっていると考えられるからだ。しかしながら、最近の状況を見ると一部の企業と政治家が癒着して、教育改革の名のもとに改悪がなされているように思われるのである。

 有名なのは英語の大学入試における外部試験の導入である。公平性がたもたれないし、性急すぎて、平成30年度からの導入が決定しているのに大学の対応がわかっていない。こんなでたらめがまかり通っているので会う。この英語の検定試験の導入にあたって一部の企業はぼろもうけである。

 同様に小学校の英語必修も問題がある。英語を教える研修も受けていない小学校教師が英語を教える、こんなことが現実に起こっているのである。英語を教える研修をたとえ受けていたとしても、それは間に合わせでの研修であり、教育の現場の混乱を招くのは明らかなのだ。

 国語においても問題がある。平成30年度から国語の大学入試の共通テストに記述式が導入される。その問題は点数化しないと発表されている。ではどのように使用するのか。わかっていない。しかも点数化しないのに、点数化する問題と一緒に同じ時間の中で両方実施されるのだ。受験技術を競う試験になるのは明らかで、教育改革の意味は完全に失われれてしまう。しかもこの国語の記述式の問題の採点は業者が行うと言われており、その業者名がまことしやかに噂されているのである。

 改革の名のもとに改悪が進む。現場は混乱し、生徒が犠牲になりながら、一部の汚い奴だけがぼろもうけする。一部の人間の思惑に、「改革」がゆがめられていく。最近の政治はすべてそうではないか。警察が信頼できなければ治安は乱れる。政治が信頼できなければ、国家は滅びる。
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