映画『熊は、いない』を見ました。イランの国内事情などが見事に映像化されていて、刺激を受けます。しかし予備知識なしでみたので、作品の構造が見えてきません。私自身の責任なのかとは思いますが、物足りなく感じてしまいました。
パナヒ監督はトルコで偽造パスポートを使って国外逃亡しようとしている若い男女を主人公にしたドキュメンタリードラマ映画を撮影しています。しかしその現場に監督はいません。監督は隣の国イランの国境近くの小さな村からリモートで指示を出します。このあたりの事情が私にはしっくりと入ってきません。
監督は、滞在している村でも恋人たちのトラブルに巻き込まれてしまいます。監督自身も警察から目をつけられます。このあたりも重要な場面を見逃してしまっているのか、私の中ではうまくつながっていきません。
事前に学習したり、もう一度見れば腹落ちし、この映画の本当の良さがわかりそうなのですが、残念ながら今回の鑑賞ではそこまでいきませんでした。
「語りの構造」を映画に取り入れており、とても興味のある分野だったのですが、私自身の鑑賞力がそのレベルに達していないと悟らされ、残念であり、悔しい気持ちになりました。