「戦争と平和の倫理学」 で前回は正戦論について考えてもらいましたが、
次のような質問をもらいました。
「授業では 『正戦』 という言葉が使われているが、
『聖戦』 とは意味が異なるのでしょうか?」
A.はい。正戦と聖戦は違います。
どう違うかというと文字通りです。
つまり、正戦は正しい戦争、聖戦は神聖なる戦争です。
「神聖な」 という形容詞は基本的には宗教がらみでしか使えない用語です。
したがって、神の命令とか宗教的教義にもとづいて行われる戦争が聖戦です。
神や宗教が間違うわけはないので (その宗教を信仰している人たちから見れば)、
聖戦はみな正しい戦争、つまり正戦ということになります。
しかし、逆は成り立ちません。
正戦と判定される戦争がすべて宗教がらみとはかぎらないからです。
つまり、「聖戦 ⊂ 正戦」 という関係になります。
ウィキペディアでも別の単語として項目を分けて説明されています。
まずは 「聖戦」 のほうを見てみてください。
ウィキペディア 「聖戦」
冒頭で 「聖戦とは、宗教的に神聖とみなされる、正義のための戦争を意味する語である」
と定義されていて、神聖であり、かつ正しいという2つの含意がはっきりと書いてあります。
続いて 「正戦」 のほうを見てもらいましょう。
ウィキペディア 「正戦論」
最初に 「聖戦とは概念が重なる場面もあるが、多くは別枠で論じられる」 と注意書きがあり、
「正戦と聖戦」 という項目が立てられていて、2つの違いが説明されています。
その中で、言葉の定義の違いというよりも、戦争のあり方の違いとして、
次のように書いてあることが重要です。
「正戦論はできるだけ戦争を限定することにより、戦争の害悪を少なくしようとする理論であると捉えられる。一方、聖戦は非限定戦争になる蓋然性が高くなる。」
聖戦は、神様や宗教によって正しいとお墨付きをもらっている戦争なので、
敵を殲滅するまで徹底的にやってしまう可能性があるわけです。
そう考えると、概念としては 「聖戦 ⊂ 正戦」 という関係になりますが、
実体としては、「聖戦 ≠ 正戦」 ということもありえるわけです。
以上です。
ご理解いただけたでしょうか?
P.S.
そういえばワークシートに正戦のことを 「征戦」 と書いている人がいました。
征戦とは 「戦いにおもむくこと」 ですので、これはまったく別の言葉です。
お間違えなく。
次のような質問をもらいました。
「授業では 『正戦』 という言葉が使われているが、
『聖戦』 とは意味が異なるのでしょうか?」
A.はい。正戦と聖戦は違います。
どう違うかというと文字通りです。
つまり、正戦は正しい戦争、聖戦は神聖なる戦争です。
「神聖な」 という形容詞は基本的には宗教がらみでしか使えない用語です。
したがって、神の命令とか宗教的教義にもとづいて行われる戦争が聖戦です。
神や宗教が間違うわけはないので (その宗教を信仰している人たちから見れば)、
聖戦はみな正しい戦争、つまり正戦ということになります。
しかし、逆は成り立ちません。
正戦と判定される戦争がすべて宗教がらみとはかぎらないからです。
つまり、「聖戦 ⊂ 正戦」 という関係になります。
ウィキペディアでも別の単語として項目を分けて説明されています。
まずは 「聖戦」 のほうを見てみてください。

冒頭で 「聖戦とは、宗教的に神聖とみなされる、正義のための戦争を意味する語である」
と定義されていて、神聖であり、かつ正しいという2つの含意がはっきりと書いてあります。
続いて 「正戦」 のほうを見てもらいましょう。

最初に 「聖戦とは概念が重なる場面もあるが、多くは別枠で論じられる」 と注意書きがあり、
「正戦と聖戦」 という項目が立てられていて、2つの違いが説明されています。
その中で、言葉の定義の違いというよりも、戦争のあり方の違いとして、
次のように書いてあることが重要です。
「正戦論はできるだけ戦争を限定することにより、戦争の害悪を少なくしようとする理論であると捉えられる。一方、聖戦は非限定戦争になる蓋然性が高くなる。」
聖戦は、神様や宗教によって正しいとお墨付きをもらっている戦争なので、
敵を殲滅するまで徹底的にやってしまう可能性があるわけです。
そう考えると、概念としては 「聖戦 ⊂ 正戦」 という関係になりますが、
実体としては、「聖戦 ≠ 正戦」 ということもありえるわけです。
以上です。
ご理解いただけたでしょうか?
P.S.
そういえばワークシートに正戦のことを 「征戦」 と書いている人がいました。
征戦とは 「戦いにおもむくこと」 ですので、これはまったく別の言葉です。
お間違えなく。
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