まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.ドナーカードで意思表示していても家族が反対したらできないのか?

2013-10-04 16:09:16 | 生老病死の倫理学
これは 「人の死とは何か?」 のテーマで、
脳死臓器移植について考えてもらったときにいただいた質問です。
授業のなかでは2010年の臓器移植法の改正にも触れ、
それまでは意思表示を記したドナーカードを携帯していないと臓器提供できなかったのに比して、
2010年からはドナーカードがなくとも家族の同意だけで可能になったことを話しました。
その上で、現行の制度でよしとするか、本人の意思表示もあったほうがいいか考えてもらいました。
ドナーカードを義務づけていた頃は、ドナーカードを携帯している人が極端に少なかったため、
脳死臓器移植は13年間でたったの86件しか行われませんでした。
この問題を打破するために臓器移植法は改正されたのです。
改正後は2011年と2012年の2年だけで89件と、
以前の13年間分をすでに上回ってしまっています。
脳死臓器移植数を増やし、より多くの人を助けるという点に限ってみるならば、
臓器移植法の改正は大成功だったと言えるでしょう。
しかしながら、はたして結果オーライですむ問題なのか、
脳死臓器移植というのはどういう場合に行っていいと言えるのか、
現行法の是非も含めて、みんなに根本的に考えてもらいました。

いろいろ詳しい解説を聞いたり、グループで話し合ってみたことを踏まえて、
最終的にどういう場合に脳死臓器移植を行っていいかを考えてもらったところ、意見分布としては、
本人の意思表示と家族の同意の両方があったほうがいいという人が過半数を占めました。
しかし、家族の同意だけでいいだろうという人もけっこうな割合でいました。
そんななかで質問者のような立場の人はきわめて少数派です。
つまり、本人が提供したがっているのなら、
家族の同意なんかなくても臓器提供させてあげるべきではないかという意見です。
少数派なんですが、毎年必ず何人かはこういう意見の人がいます。
実は私も心情的にはこの立場に近いです。
本人の望みを家族が妨げてしまっていいのか?
これは脳死臓器移植に限らず、進路とか結婚とか他の問題とも関わってくる問題です。
また、授業内で何回かお話ししているパターナリズムの問題圏にも少し関連してきます。

最近の学生さんはなのか、福島の学生さんはなのかよくわかりませんが、
自分の家族が大好きだと言う人がとても多いですね。
それはとてもいいことだとは思いますが、
それって私たち (私だけ?) の感覚とはだいぶズレています。
家族って一番厄介で、めんどくさい存在だというのが私の印象です。
トラブルの種というか…。
パターナリズムを押しつけてくることも多かったですし、
そんな相手のためになんていう建前すら捨て去って、
もうなりふりかまわず自分のエゴを押しつけてくることすらありました。
もちろんそれでも家族をやめることはできないわけですし、
ふだんからあからさまに憎み合ったりいがみ合ったりしているというほどでもないんですが、
できれば家族とは距離を置いていたいというか、必要最小限の付き合いですませたいというか、
家族ってそういう存在じゃないかと思うんですよ、わたし的には。

そう思っているので、本人の意思と家族の意思がズレるというのは当たり前だと思うんです。
特に脳死臓器移植とか安楽死とかものすごくシリアスな問題に関して、
家族で合意するのって至難の業なんじゃないかという気がします。
で、もしもズレちゃった場合に本人の意思ではなくて、
家族の意思が優先されちゃうのってものすご~く理不尽なことのように思うのです。
したがって、質問者が聞いてくれたようなケースにおいては、
本人が提供したがっているのにそれができないなんておかしいよなあと思ってしまうのです。
というわけで、心情的には家族の反対を押し切って本人の意思を通してあげられたら、
なんて思ってしまうわけですが、しかし、結論を言うと次のようにならざるをえないでしょう。

A.本人がドナーカードで意思表示していても、家族が反対したら脳死臓器提供はできません。

残念ながら、その時には本人はいない (死んでいる) ので仕方ありません。
進路や結婚などであれば、本人がそこにいて何が何でも自分の意思を押し通すことができます。
しかし、脳死臓器移植の場合には、一番大事なときに本人は何もできなくなっています。
そうすると、いくらドナーカードが残されていようが、医療者側としては、
現にそこいて強硬に反対意見を唱えることのできる家族の言うことを聞かざるをえません。
ムリに強行した場合、本人はもう訴訟を起こしたりすることはできませんが、
家族のほうはいくらでも法的手段に訴えたりすることができるわけです。
というわけで、この問題に関しては本人よりも家族のほうが強くならざるをえないのです。

と、ここまで書いてきて、あれ? ちょっと待てよという気がしてきました。
遺言というのは法律で決められた範囲内であれば、
家族の意思や同意なんてまったく関係なしに、本人が書いたとおりに執行されます。
本人がいなかったとしても、遺言に残された指示は家族の反対を押し切っても、
法的に実現されるわけです。
そして、ドナーカードというのは遺言に準じるものとして扱われ、
だから臓器移植法改正以前は15歳未満の臓器提供ができなかったのでした。
(遺言を残せる年齢が15歳以上だから)
ということは、ドナーカードには遺言と同じような強制力をもたせることも可能なはずです。
つまり、家族の同意があろうがなかろうが本人のドナーカード通りに執行する、
という制度を作ることも可能なはずです。
改正前の臓器移植法が、ドナーカードによる本人の意思表示と家族の同意の両方を課していたから、
家族の反対を押し切って脳死臓器移植ができなかっただけで、あの法律を別の形に決め直せば、
家族の同意なしにも臓器提供ができるシステムを作ることは可能でしょう。

とはいえ、せっかく脳死臓器移植が増えてきたのに、
それに逆行してドナーカードを義務づけるような形に戻すことは現実的には考えにくいですし、
その上、大半の家庭が 「家族大好き」 と言っているような現状では、
家族の意思に反してまで本人の意思をゴリ押しするシステムを作ることも難しいでしょう。
本人がドナーカードで意思表示していても、家族が反対したら脳死臓器提供はできない、
という現行のシステムはよっぽどのことがないかぎり覆ることはないのではないでしょうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Q.他者の意見を否定するこ... | トップ | 思わず耳を疑う女子高生たち... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

生老病死の倫理学」カテゴリの最新記事