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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

『おもひでぽろぽろ』 に見る昭和時代の家庭教育

2013-04-26 16:19:39 | 教育のエチカ
ある方からジブリの 『おもひでぽろぽろ』 は必見と薦められまして、遅ればせながら見てみました。
見てみての感想ですが、うーん、なんと言ったらいいかなあ、
ところどころ共感できるシーンやセリフもあったんですが、
全体としてはどうもこの映画の世界に入り込んでいくことができませんでした。
気に入った部分はまた別の機会に書くことにして、
今日はどこがダメだったかを書き記しておこうと思います。
毎度のことですが、これはあくまでも私個人の私的な感想というか受け止め方ですので、
そんなものによってこの作品の価値が影響を受けるわけではありません。

まずダメだったのが絵と声でした。
ストーリーは、主人公・岡島タエ子の現在 (1982年、27歳) と、
小学校5年生時 (1966年、10歳) とを行ったり来たりしながら進んでいくんですが、
27歳のタエ子の顔にほうれい線が出たり消えたりするんですよ。
ほうれい線がないバージョンはこんな感じ。



これはまあかわいいですよね。
ところがほうれい線があるバージョンはこんな感じ。



これどう見ても同じ歳の同じ人物には見えませんよね。
少なくとも10年後、場合によったら20年後の岡島タエ子って感じがするでしょ。
この2種類の顔が同じ場面のなかで何度も交互に出てくるんです。
たぶんほうれい線ではなく、笑ったときの頬骨を描いているつもりなのかもしれませんが、
ちょっとどうなのって気がしませんか?
まあ私ごときが、アニメの大御所スタジオジブリに絵の注文をつけるなんておこがましいんですが、
とにかく気になって気になって物語に集中できませんでした。

そして、声。
27歳の岡島タエ子を吹き替えた今井美樹もわたし的には今ひとつだったんですが、
トシオ役の柳葉敏郎がどうにも受け入れられませんでした。
いや、上手いんです。
東北弁の農家の青年の声をみごとに演じているんですが、
どうにも絵とうまくマッチしないんです。
その声を聞くたんびにトシオではなく、
アフレコをしている柳葉敏郎のことしか頭に浮かんでこないんです。
頼むからそんな大物俳優を起用したりせず、
名もなきプロの声優さんを使ってくれよと思ってしまいます。

という感じでアニメ映画だというのに絵と声でつまずいてしまっているわけですから、
なかなか作品の世界に入っていくことができません。
しかしそれよりも、小学生時代のタエ子のエピソードというのが、
どれもこれもあまりにもかわいそうすぎて正視していられない感じでした。

出だしの感想文のエピソードからしてギョッとします。
タエ子は自分が書いた読書感想文が先生に褒められて、
東京都のコンクールに出すかもしれないっていうことをお母さんに報告するんですが、
お母さんは、タエ子が給食のおかずを残してパンにはさんで持って帰ってきたことに気がついて、
こんなふうに叱るんです。
「好き嫌いばっかりして。
 作文がちょっとくらい上手な子より、
 好き嫌いしないで何でも食べる子のほうがずっとエライのよ。」
もうエーッ?て感じです。
小5のタエ子が不憫で不憫でなりません。
お母さん、今はそんなこと言わなくてもいいのに、
まずは感想文のことをちゃんと褒めてあげればいいのにって思います。
せめて褒めてあげたあとで、でもね、って言ってあげればいいのにって思ってしまいます。
いや、たしかに昭和の時代の家庭教育って、子どものいいところを褒めて伸ばすのではなく、
足りないところできないところを指摘して匡正するっていうのがフツーで、
私も家庭でも学校でもそんなふうに指導されてきましたし、
この映画が公開された1991年の段階でもそれはそんなに変わってなかったと思いますが、
コーチングやら何やらいろんな新しい教育指導法が普及してしまった現代において、
このエピソードを見てみるとなんだか背筋が凍る思いがするのです。

タエ子が生涯でたった一度だけお父さんにほっぺたをぶたれたときのエピソードも理不尽でした。
末っ子のタエ子はなんでもお姉ちゃんたちのお下がりばかりで常々それを不満に思っていますが、
家族でおめかしをして出かけるという日、
お出かけ用のハンドバッグを買ってもらえなくてふてくされ、
お姉ちゃんがイヤイヤ貸してくれたその渡し方にも腹が立って、もう行かないとすねてみせたら、
じゃあ留守番してなさいとみんな自分を置いて出かけようとしてしまいます。
置いて行かれそうになってあわてて 「やっぱり私も行く」 と裸足で外に飛び出していったら、
裸足で出てきたことを理由にお父さんにぶたれてしまうのです。
このエピソードが、父の理不尽な体罰の話としてではなく、
「あの頃の私は我が儘だったなあ」 という思い出として語られるのです。
もう全然意味がわかりません。
岡島家、どうなっているのだ?

そして、算数。
それまでは何とかついていっていたものの、分数の割り算になってタエ子はつまずいてしまいます。
3分の2を4分の1で割るということの意味が理解できないので、
ただ分子と分母を逆にしてかければいいのと教えられてもそれができず、
タエ子は計算問題で全滅してしまいます。
その答案を見て母や姉はタエ子はバカなんじゃないか、IQが低いんじゃないかと大騒ぎします。
そして、母のとどめのひとこと、「普通じゃないの、タエ子は!」
このお母さん、別に児童虐待する特殊な人物ではなく、
基本的にはタエ子をとても愛している優しいお母さんとして描かれているようです。
が、そのちょっとした一言が恐ろしい破壊力を秘めています。
まあでもあの頃は親も先生もみんなこうだったと言えばこうだったかもしれません。
「何やらせても何やってるかわからん」 参照。)
このような家庭に育ってタエ子が心に大きなトラウマを負ったとか、
そういったことはまったくなさそうなので、
たんにタエ子が素直な性格ではなかったということを表すためのエピソードにすぎないんでしょうが、
これも現代的観点からするとちょっと看過しえないお話でした。

最後は芝居のスカウト問題。
タエ子は端役だったにもかかわらず学芸会で自分なりに工夫して演技をし、
それが認められて大学の演劇部の芝居に子役として出演してくれないかとスカウトされます。
自分なりの努力が人に認められたのですからタエ子はどれほどうれしかったことでしょう。
お母さんもお姉さんたちもスカウトされたことを喜んであげますが、
お父さんを交えた夕食の席で、このまま芸能界にデビューかもとか宝塚を受けたらなど、
話を盛ってしまったところ、お父さんは芸能界なんてダメだと芝居出演の話を一蹴してしまいます。
別に芸能界入り云々というような話でも何でもなかったにもかかわらず、
お母さんもお姉さんたちもそれ以上一言もタエ子の加勢をしてあげるでもなく、
芝居に出る話はそのまま立ち消えになってしまいました。
こんなことがあっていいのでしょうか?
その芝居にもしも出られていたら、それによってタエ子はどれほどの学びを得、
どれほど自分に自信をつけ、どれほど人間的に成長を遂げることができていたでしょうか?
その後、芝居の道に進むかどうかなどということとはまったく関係なく、
成功するにせよ失敗するにせよ、他では得がたい貴重な経験を積むことができていたはずなのです。
それをほんの数十分の、話し合いとも呼べないお粗末な家庭談義によって、
もののみごとに潰してしまった岡島家の家庭教育。
なんだかもう本当にタエ子がかわいそうでかわいそうで見ていられませんでした。
挙げ句にお母さんは、タエ子の代わりにその芝居に出ることになった学校の友だちへの気遣いを、
タエ子に向かって厳しい口調で強要するのです。
エエッ、お母さん、そう来ますか。
それはもう虐待と言っていいレベルじゃないですか?
自分の子どもが可愛くはないのですか?
ぼくがタエ子だったら絶対に荒れてますね。
家出するか家庭内暴力かのどっちかでしょう。
こんな仕打ちを受けた子どもが、田舎に憧れる勤勉な女性に育つなんて、
そんなのアニメの世界のなかだけです。

うーん、公開された1991年に見ていたらもっと素直に見ることができたのでしょうか?
あの当時 (公開時または1960年代) はどこの家庭でもこういうのが常識だったんでしょうか?
おそらく制作者サイドはこの岡島家のあり方に何の疑問も抱いていなかったことでしょう。
あの頃の家庭教育を批判するといった意味でこれらのシーンを用意したわけではなく、
たんにタエ子がどんな人間であるかを示すためのエピソードとして描いただけなのでしょう。
映画公開時からほんの20年あまりですが、
その間に教育の常識がガラッと変わってしまったということなのでしょうか?
あの頃の当たり前の教育が、現代から見ると虐待に見えるということなのでしょうか?
たしかにあの頃は体罰とかシゴキとかごく当たり前の教育行為として日常にあふれていました。
反対にコーチングなんて概念そのものがなかったしなあ。
そう考えると教育の世界はこの20年のあいだでガラッと様変わりしてしまったのかもしれません。
だとすると、私ならずとも、今 『おもひでぽろぽろ』 を改めて見た人は、
誰しもが私と同じように上記のようなシーンに対して違和感を覚えてくれるのでしょうか?
ぜひ皆さんも 『おもひでぽろぽろ』 をご覧になってみて、
岡島家の家庭教育についてどう思うかお聞かせ願いたいと思います。
特に、公開当時に見たことのある人は、
あの頃と今とであれらのシーンの受け止め方が変わったかどうか教えていただけたらと思います。
それともたんに私のものの見方がひねくれているだけなのかなあ?
うん、なんかそういう気もしてきた。
私はジブリの映画を見る資格がないのかも…。
昨日に続いて今度は世界中のジブリファンを敵に回してしまったかも
ああ、心配。

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69 コメント

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この記事は (仙人)
2013-04-29 07:25:02
自然観のあと読みました。
ホーレイセンを含めて、顔に関しては今井某と柳葉某という声優に似せて作ってあるんですね。僕もかなり違和感を持ちました。
家庭教育に関しては、昭和的遺物としての家父長的な家族として描かれていますね。あの当時すでにそうであった山形駅もJRになった後の駅舎ではなく、あえて国鉄時代のそれで登場しています。父親の横暴、母親のヒステリー、姉の意地悪。これらは昭和の家族に普通に見られた暴力かもしれません。今でも子どもは別の形の暴力によって苛まれているとおもいます。
これは暴力とはいえませんが、この前ファミレスに行ったら、隣に4人家族が食事していましたが、僕が気付いた限りでは会話をしませんでした。子どもはゲーム機に向かい両親はスマホに向かっています。やがて食事を終え黙って立ち上がり帰って行きました。オカルト的なほど不気味でしたが、そういう風景は珍しくない。
でも、思い返すと、あの頃は友だちの家に行って漫画に集中する子どもはたくさんいた。僕はそういうのが嫌で、子どもの頃漫画は絶対に読まなかった。そして自分の子どもにもゲーム機は絶対に買い与えない横暴を振るう父親です。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-06-11 11:08:30
あのシワみたいな線はほうれい線じゃなくって、笑った時に出る頬骨のラインだと思いますヨ。

そして、タエ子の家庭環境の事。
子供の事をよく分かって、完璧に接する事が出来る父や母のなんて昔も今の世でも、なかなかな難しいんでしょうね。
昔は今よりも女の子に対して、躾が厳しかったですが、
アニメの中でも、お父さんはなんだかんだでタエ子の事をター坊と呼んだりと、やはり末っ子だから一番可愛かったんじゃないかなと思いました。
あと女兄弟の意地悪は、昔も今ももっとひどいもんだったりしますし(笑)でも、なんだかんだ言いつつ、妹の勉強に付き合ってあげてるお姉ちゃんは偉いと私は思いました。…現代の子だったらどうなのかな?

当時の背景に、はどんな時も一緒に御飯を食べたり、話あったり、家族の団欒は当たり前だったんでしょうね。
今は家庭でも各々が好きな物を調べて、見て、楽しんで…
家族で共有っていうのも減ってきたと思います。
昔は昔で足りない物。現代で足りない物もあると思いました。
返信する
ないものねだり (まさおさま)
2013-06-11 23:40:37
Unknownさん、コメントありがとうございました。
まあ、もちろんほうれい線ではないでしょうが、ほうれい線にしか見えなかったですよね。
たぶんあの時代の家庭教育はああだったというのは、その通りだと思います。
うちもそうでしたし。
そして、現代はあの頃よりもひどくなっているというのもその通りでしょうね。
コーチング理論なんてまだ家庭教育でも学校教育でも全然普及していませんし。
コーチング理論で言われていることを基準にして、こうした作品を論じたりしてはいけなかったですね。
ファンの方にはたいへん失礼なことをしたのではないかと反省しております。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-08-26 01:19:45
当時と現在は違います。

映画の中で描かれているタエ子の思い出はタエ子の思い出の一部にしかすぎないんですよ?
確かに両親は厳しい人ですし、算数の母の一言は余計ですが、基本的にはまじめなご両親だと思います。
芸能界に関してはかわいい娘だから父は反対したんだと思います。
当時はネットはないにせよ、芸能人は大変です。
売れるのは一握り、売れたら売れたで見ず知らずの
人間からの誹謗中傷にも耐えなくてはなりません。
学校だって行けないかもしれないし、マスコミには
狙われるかもしれない・・
そんな世界に大切な子供を入れたい人はいないと思います。
あなたはそんな世界に自分の子供を入れたいですか?
母の気遣いも母なりの考えだと思います。
正直、考えが浅いと思います。
返信する
申しわけありませんm(_ _)m (まさおさま)
2013-08-26 16:13:59
Unknownさん、コメントありがとうございました。
当時と現在は違っていて、これはあくまでも思い出の話にしかすぎず、
タエ子の両親は基本的にはまじめな両親だというのは、まったくその通りだと思います。
私も本文中で何度か触れたつもりですが、私の子どもの頃の家庭教育って、
うちもそうでしたが、どこもこんなもんだったんだろうと思います。
それはわかった上で、それでも現在の目から見るととんでもなく違和感を感じてしまうという、
今と昔の教育観の変化について書きたかっただけなのですが、
この映画のファンの方には読み捨てならない内容だったかもしれません。
本当に申しわけありません。
ただ、後半の御指摘に関して言うと、あの話は芸能界入りの話ではなかったはずで、
たんに大学の演劇部のお手伝いをするという話が、お姉さんによって勝手に盛られてしまい、
それでお父さんの反対を受けることになってしまったので、
私としてはお父さんよりも、お父さんを誤解させ、その誤解を解いてあげようとしない、
お姉さん (とお母さんも) がひどいなあと思って見ていました。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-09-19 10:58:56
別に私は劇的なファンではありませんがやはり子供の頃この映画の本を好きで見ていたのでちょっと腹は立ちました。
芸能界入りは私の見解違いでそれはすみません・・・
ただ姉が盛らなくても父は反対したはずです。
演劇って大変なんですよ。
私は演劇部でしたので大変さはわかっています。
体つくりに加え、発声、せりふ覚え、演技・・・
主役の子なんて長い台詞を沢山覚えなきゃならないんです。
裏方のスタッフは役者の倍、大変です。
タエコが何の手伝いかは知りませんが、大学の
演劇部のお手伝いはちょっと小学生にはきついんじゃ
ないですか?
体力も違うでしょうし、経験も違います。
役者ならまだしも、裏方は当時のタエコには厳しいと思います。
小学生にお手伝いをさせるのだから難しい事はないでしょうが、やはり覚えたりする事も少ない事はないでしょうね。当時のタエコは物覚えがいいとはいえない部分もあるし、中学生の私たちでさえ、覚えるのは大変
でした。
まあ、深読みしすぎでしょうが私はやらなくてよかったと思いますし、母もお姉さん2人も自分たちが盛り上がりすぎて
ちゃんとタエコのことを考えてなかったということに
気づいたのでは?
この件に関しては小学生に手伝いを頼むほうがおかしいわけ(大学生の中に小学生がなじめるかも疑問)
でタエコたち家族は誰も悪くありません
返信する
 ()
2013-11-26 04:01:27
私はおもいひでぽろぽろが大好きで、晩酌しながら見ています。笑

私は、お父さんが妙子を一度だけぶったシーンや、演劇でスカウトされて反対されるシーンも、ごく自然なものとして見れます。

お父さんは頑固で無口だけど妙子を溺愛していて、お母さんは子供の教育をきちんとしようとしているけど、たまに口を滑らす人間的な部分があって、どちらも素敵な人間味のあるキャラクターだと思います。

お父さんもお母さんも、ごもっともな事を言っていると思います。
昔気質な所もうまく表現されていると思います。
演劇の夢が叶わなかったことや、作文で褒められてたはずなのに食べ残しで怒られてモヤモヤしたことなど、妙子がなんか理不尽で可哀想に思える感覚があるということは、作品として、監督の思惑通りだったのじゃないかなと思います。

子供の頃って、なぜ怒られてるのかが分からないことなんて沢山あったでしょ?
きっと子供にとって世の中は理不尽なことばかりなんですよ。

現代の感覚や教育理論でこの映画を観ると、納得のいかないことばかりだと思うのですが、妙子が育った昭和の時代は、これが普通だったのです。
返信する
私も ()
2013-11-29 23:05:27
平成生まれの20歳です。私も今日の金曜ロードショー見て同じことを思いました。
随分理不尽な家族だな~って
分数の疑問もいいところに注目しており数 学学科を卒業した先生なら教えられるし、お姉ちゃんではなく先生に質問することで理解がより深まったと思います。彼女は馬鹿ではありません。子供特有の純粋な気持ちを踏みにじって彼女の将来を潰したなと思いました。
演劇の件も彼女の表現力と自信をつけさせる良い機会だし、別にあれだけで芸能活動につながるわけでもないんだし、大学の演劇部に出られるなんて最高の思い出じゃないですか。本当に酷いな~って。でも昭和は、これが普通だったのだと思うと平成はやはりゆとりですねww
あと大人タエ子の笑い顏はブサイクすぎる
宮崎駿もあの顏は批判したらしいですよ
返信する
Unknown (Unknown)
2013-11-29 23:57:00
お邪魔させていただきます(^-^)
今まさに金曜ロードショー見終わりました。

私はおもひでぽろぽろ、逆にリアル過ぎて鬱になります。
私はまだ20代ですが、私の家はその時代には多分珍しく、厳しい家庭でした。
母は私に出来ないことがあると何とかできるようにさせようと、物凄く起こりました。
漢字書取ノートを覗き、字が汚い!と突然キレてノートをビリビリ破かれたり。誉めて伸ばすの逆ですね。
叩かれたり外に追い出されたりもしょっちゅうです。
いつもビクビクしてたので、今でも全然自分に自信が持てません。同世代の子達がやたら根拠のない自信に溢れてるのを見ると、悔しくなってきます。
けど、親としては私の為にやっていたし、人間なので不機嫌でつい子供に厳しく怒ってしまったりするのも今ではわかります。
なのでそれを他人に「虐待では」と言われてしまうと、なんかそのような環境で作られた自分の人格まで否定されるみたいで悲しいです…。

小学校でも何となく浮いていて、なんでみんなはこんなくだらない事で笑ったり騒いだりできるのかなー、とどこかで思っていたり。
また、子供は純粋と思いきや、実際はクラスメートのほとんどがいじめに参加してたり、いやらしい事を考えていたり、女子同士ドロドロの悪口を影で言ってたり。
この映画の小学校の描写でそれをすごく思い出して、それも鬱になります。笑

でも、大人のタエ子の部分の描写は好きですね。
今幸せそうなので、救われた気持ちになります。

とりとめのないお話ですみませんでした(*^^*)
要は、この映画は、タエ子と同じような家庭に育った私にとっては、辛いことを思い出すようでもあり、それを乗り越えて普通の幸せを手に入れた事を肯定してもらえるようでもあり、複雑な心境になる映画なのです!

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20年後は? (世界の国からこんにちは)
2013-11-30 07:29:16
自分も昨夜テレビで初めて『おもいで…』を見て
ここにたどりつきました。

時代の流れなんでしょうね。
あの当時は、映画の中にも出てきた国鉄の職員も
無愛想で威圧的でした。それが元でトラブルも多々
あったと思いますよ。そんな事に対しての反発が
今の社会風潮になったと思います。
『上から目線』と言う“単語”は当時はなかったん
です。最近はやたらと『…いただいて』という言葉を
多用しますが、あの頃は『下さって』が普通やったと
記憶しています。企業広告も『いつでもご利用いただ
けます。』ではなく『いつでもご利用下さい。』では
なかったかと?敬う気持ちよりも、まず対等意識が先
に立っているからこそ『上から目線』なんて“単語”
が出来たのではないかと思います。(下から目線です
よね…笑)
すみません。くだらない文章を長々と・・・

20年前には、ズボンをずらしてパンツ見せて
歩いてる人がいるなんて想像を絶する光景ですよ。
また20年後には、このやりとりも滑稽に感じ
ているのではないでしょうか?

最後まで意味不明な事を書いてすみませんでした。
返信する

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