まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

自分の心を守る術

2010-07-14 19:04:24 | 幸せの倫理学
もうだいぶ前のことになりますが、「幸福になる方法」 について、
「その1」「その2」 を書きました。
幸福になるための第1の秘訣は、「欲求・欲望をできる限り小さく抑えておくこと」 で、
第2の秘訣は、「満足しやすい体質を作っておくこと」、
すなわち、「日頃から幸せの感受性を高めておくこと」 でした。
これは、「幸福」 の定義が、
「自らの欲求・欲望が満たされて、自分の状態に満足していること」 ですので、
そこから自動的に導き出されてくる答えだと私は考えているのですが、
ただ、私がこう考えるようになった背景には、
それなりの経緯があったのかもしれないなあと急に思いました。

人は失恋や死別など、大きな喪失を経験したとき、ひどく傷つくものです。
その痛手が大きければ、長い時間を失意の底で過ごさなくてはならなくなります。
人生のなかでこんなことが何回か起きたら、
心は自己防衛策としていろいろな方策を編み出したりするでしょう。
私の 「幸福になる方法」 というのは、
実は 「自分の心を守る術」 だったのかもしれないとも思えてきました。

「欲求・欲望をできる限り小さく抑えておく」 というのは、
本当は、好きな人とずっと一緒に幸せに過ごしていきたい、という欲求・欲望があるのだけれど、
人の心は変わるものだし、人間関係もどんどん変化していってしまうものだし、
たとえそういうことが起こらなかったとしても、人の命なんて儚いものだから、
どちらかが急に亡くなってしまうなんていうこともあったりと、
どうしたって、ずっとは一緒にいられないかもしれないわけで、
そういうことに備えて、ずっと一緒にいよう、なんていうデカイ野望は抱かずに、
一緒にいられるあいだは楽しく過ごそう、みたいにあらかじめ欲求を小さくして、
不慮の事態に備えているのかもしれません。
「満足しやすい体質を作っておく、日頃から幸せの感受性を高めておく」 というのも、
いつ何時なにがあるかわからないわけで、
しかも、そういう兆候とかを探し始めたらいくらでも見つかっちゃうだろうから、
できるだけそういうことからは目を背けて、
相手がしてくれるちょっとしたことに目を向けて、
それを有り難いことと感謝して、
そこに幸せを感じ取って満足できるようにしておいたほうがいいですよ、
ということなのかもしれません。
つまり、「幸福になる方法」 というのは、不幸を感じなくてすむように、
あらかじめ心を閉ざしておく方法なのかもしれないと思うのです

こういう人はフツー、「冷たい人」 って言われますよね。
「冷たい」 は言い過ぎかもしれないけど、「クールな人」 ではありますね。
これが極度に進行すると、
失恋や離別を恐れて最初っから恋愛なんてしないようにするということになってしまいますが、
まあそこまでいかなくとも、常にクールさを保つことによって、
のちのち傷つかずにすむように予防線を張っておくなんていう人はいるでしょう。
クールな人は本当に幸福なんでしょうか?
私の理論からすると、彼は幸福なんだと言ってあげたいのですが…。
とにかく彼には 「自分の心を守る術」 が必要だったということは確かですね。
彼がそれによって自分の心を守れるといいですね。


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2 コメント

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碁盤というキャンバス (塚本惠一)
2010-07-15 15:17:18
詰碁を作る始まりは碁盤というキャンバスに石を一つ置くことです。それが絵になるのかさえ、私には分かっていません。
数十回、いや、数百回もそんなことを試して、やっと人に見せられる絵が一つ描けるのです。
挫折という言葉は毎日のように書き損じを崩すことのためにあります。
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幸福と幸福感 (塚本惠一)
2010-07-17 04:29:15
何か、幸福と、幸福感を感じることをごっちゃにされているような。カントがそんなこと言ってましたっけ?
また、吾唯知足の境とも話が違うような。
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