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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

小説&映画 『阪急電車』 の疑問点

2013-05-31 22:34:13 | 人間文化論
先日、映画 『阪急電車』 を見たことにより、比較のため小説も読み直してみました。
すると、それぞれにいくつか疑問が生じてきたので再説いたします。
まずは小説のほうから引用いたします。

「何か見えるのだろうか、と圭一も高い背を猫背にして窓の上方を窺った。
 すると彼女がびっくりしたように圭一を振り返った。いきなり背がひょろりと高いのが自分の頭の上から窺ってきたら驚くのも道理である。
「あ、ごめん。何か見えるのかなと思って」
 彼女は混んだ車内で圭一に少し場所を譲り、空を指さした。
「何か事件でもあったのかなって」
 彼女は圭一がもういいかげん聞き慣れた関西弁のイントネーションではなかった。圭一は地方出身だが、彼女もそうなのだろう。彼女の場合はせめて標準語にしようとして九州訛りがかすかに分かるが、圭一は中国地方の訛りが混じって聞こえるはずだ。
 彼女が指さしたほうを見ると、夏の兆しが窺える空に遠目で黒っぽく見えるヘリコプターが五機編隊で飛んでいた。
「ああ、違うよあれは」
 反射で圭一は答えていた。
「自衛隊の汎用ヘリ。マスコミのヘリはあんなにきれいな編隊飛行はできないよ。伊丹に駐屯地があるからこの辺はたまに飛んでるよ。」
 はっと気がつくと女の子が目をまん丸にして圭一を見つめていた。
 しまった、と嫌な記憶が蘇る。
 進学で上京する前、地元の高校で女子たちに軍オタのレッテルを貼られてバカにされていたのである。軽音部にも所属していたが、ほかの部員はそこそこモテたのに圭一だけは軍オタ軍オタとからかわれるばかりだった。
 大学に入ったら軍オタ属性は封印して再デビューの予定だったのに、と臍を噛む。」

圭一とゴンちゃんの出会いのシーンです。
文庫本で104ページから105ページまで2ページにわたる長い箇所なので、
だいぶあちこち中略してありますが、残っている文自体は作者自身によるものです。
このなかで2箇所疑問に思ったところがありました。
この小説の舞台は宝塚駅~西宮北口駅間という兵庫県内の阪急今津線沿線で、
2人は関西学院大学に通っているわけですが、
このなかで圭一は自らのことを (そしてゴンちゃんのことも) 「地方出身」 と位置づけています。
そうか、そういうふうに 「地方」 という言葉を使えるのか、というのが私にとってひとつの発見で、
と同時に本当にそうなの? という疑問もわいてきました。
私の通っていた東京外国語大学では、大阪出身の人も 「地方出身者」 というカテゴリーでした。
その使い方が間違っていたんでしょうか?
ウィキペディアで引いてみます。
どうやら 「地方」 という語は相対的概念で、いろいろな対で使うことができるようです。
「首都圏」 に対するその他という意味が先に出てきていて、これは私が東京で使っていた用法。
その次には 「三大都市圏」 に対するその他という意味があり、これが圭一君の用法なわけですね。
(兵庫県は 「三大都市」 ではなく 「三大都市圏」 に含まれます。
 ちなみに昨日の 『秘密のケンミンSHOW」 では、
 福岡県民は福岡が三大都市のひとつだと思っているという特集をやっていましたが、
 私は三大都市とは東京・横浜・大阪のことだと思っていました。注:順番も大事!)

というわけで、兵庫県の今津線沿線が 「地方」 ではないというのはいいとしましょう。
しかし、この言葉遣いはいかがなものでしょうか?
圭一は 「進学で上京する前」 は軍オタ (=軍事オタク) だったと述懐しています。
関西学院に進学して近くに引っ越してくることを 「上京」 と言っていいのかっ
これは調べてみても謎は募るばかりです。
ウィキペディアではこう説明されています。
「都へ行くこと。現代の日本では東京ヘ行くことをいい、もとは京都へ行くことをいった。」
その他どのような辞書を引いてみてもこれ以上、宝塚や西宮に近づくことはできません。
一般的には大阪に行くことさえも 「上京」 とは言わないんではないでしょうか。
しかし、今津線沿線に住んでいるという有川浩がこのような物言いをするというのは、
それなりの裏づけがあって使っているような気がしないでもありません。
東京在住の作家が舞台を兵庫県にして小説を書いたのに、
間違って東京言葉を使ってしまったというのとは違うような気がするのです。
関西方面における 「上京」 という概念の使い方について、
何か情報をお持ちの方は教えていただけると幸いです。

小説に関する疑問は以上2つの言葉遣いでした。
このあいだ書き忘れた映画に関する疑問は、キャスティングに関するものです。
その最大の疑問は、なぜ新婦役に安めぐみを抜擢したのか、という問題です。
さらに言えば、なぜ安めぐみはこの役を引き受けてしまったのか、とも言い換えられます。
このエピソードは、美人の翔子が結婚準備期間中ちょっとマリッジブルーですれ違っているあいだに、
冴えない後輩に自分の婚約者を寝取られてしまうという基本的設定の上に成り立っています。
したがってキャスティングにおいて最も重視すべきは、
翔子と後輩 (=新婦) の外見が誰が見てもはっきりわかるくらい優劣の差があるということです。
翔子役の中谷美紀というのはなかなかいい配役だったと思います。
しかし、それとの対比において新婦役はもっと名の通っていない平凡な顔立ちの人を選ぶべきでした。
安めぐみサイドは原作をちゃんと読んでから仕事を選んだのでしょうか?
ストーリー上ああいう扱いの役ということを理解していたのでしょうか?
安めぐみがウェディングドレスで着飾ってしまうと十分キレイなんだよなあ。
しかも、翔子の討ち入り用の白いドレスは、男の目から見てそんなによくなかったし。
あれじゃマタニティウェアにしか見えません。
ウェディングドレスの安めぐみとマタニティウェアの中谷美紀だとけっこういい勝負で、
新婦よりも翔子に見とれてしまうという状況は作れないように思うのです。

さらに言えば、新郎役に無名の俳優 (ですよね?) をもってきたのも解せませんでした。
新郎は、翔子が後輩に寝取られて悔しい、許せないと思うほどのいい男である必要があるのです。
結婚式に白いドレスで乗り込んで呪われた日にしてやりたいと思うほどの男でなきゃいけないのです。
ミサのDV彼氏や悦子のアホ年上彼氏よりも数段上の男でなければなりません。
なんでそんなことがわからないのでしょう。
残念ながら映画のなかの新郎にはそれほどのオーラは感じられませんでした。
うーん、不思議だ。
このへんのキャスティングの綾というのはこの映画を作るにあたってけっこう肝だと思うんだけどあ。
全体的にはなかなかいい配役だったと思うだけに、
よけいに、この映画の骨格を成すキャスティングのミスに苛々してしまったのでした。
とりあえず、今の私の喫緊の課題は、
『阪急電車 〜片道15分の奇跡〜 征史とユキの物語』 をTSUTAYAで借りて見られるかどうかです。
小説のトップとラストを飾るエピソードだっただけに、
とにかくこれを見てしまわないと 『阪急電車』 の旅は終わらないような気がします。
TSUTAYAで借りられますように。


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2 コメント

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映画阪急電車 (みかん)
2015-05-19 02:33:50
私は映画は観ましたが、本は読んでいません。
それでかもしれませんが安めぐみさんの役は、あってると思いました。絶世の美人ではないが、男受けするタイプで、しょうこのようなキャリアウーマン的な感じもないし男性はあんな女性に弱いんだな~と納得できました。

先に本を読むと、自分の頭の中でイメージが広がるので、映画みて違うな、と思うこと多いですよね。

でも本を読んでない私からしたら、地方がどうとか、ちょっと神経質すぎる気がします。
私は疑問に思う部分はひとつもなかったし、配役もみんな良かったし感動しました良い映画でした
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ぜひ小説を (まさおさま)
2015-05-19 11:37:02
みかんさん、コメントありがとうございました。
私もみかんさんのおっしゃるとおり、本を先に読んでから映画を見ると違うなと思うことが多く、
今回はその順番になってしまったので、映画のほうには申しわけなかったなと思っています。
ただ、せっかくですのでぜひみかんさんにも小説を読んでいただきたいと思います。
本当に面白くて感動ものです。
で、そちらを基準にして映画を見てみるとということなんですが、やはり安めぐみはいい女すぎるんですよ。
みかんさんも 「男受けするタイプ」、「男性はあんな女性に弱いんだな~」 と書いてらっしゃいました。
そういう女性に婚約者を寝取られてしまうというのはよくありそうな話じゃないですか。
小説のほうはそうではなくて、本当に冴えなくて、だから自分も何かと目をかけフォローしてあげていた、
目立たない地味な後輩に婚約者を盗られてしまったから、
披露宴で仇討ちを決行することになるという流れになっています。
みかんさんの言うような女性に彼氏を寝取られたとしても、それはたんに自分が負けただけで、
白いドレスを着て披露宴に出席しても仕返しをしたことにはならないのではないでしょうか。
あの物語が成立するためには、やはり新婦役にはもっとどんくさい女優 (かお笑い芸人) を
使ってもらいたかったなと個人的にはどうしても思ってしまいます。

ところで、私は記事の中で新郎役を 「無名の俳優」 と書いていましたが、
よく見てみると、鈴木亮平だったんですね。
あの映画を見たときには鈴木亮平って見たことなかったんですが、
その後あちこちでお見かけするようになりました。
たいへん失礼致しました。
でもやっぱりあの映画の中ではあの新郎役にそれほどのオーラを感じなかったのは変わりありません。
中谷美紀との年齢バランスからいってももう少し別のキャスティングがありえたように思います。

いや、いかんいかん。
小説先に読んでから映画を見ると本当に楽しめませんね。
みかんさんは映画を先に見て十分に楽しまれたのだから、それでOKだと思います。
ただ、小説は映画とは違う面白さがありますし、感動もできますから、
比べてみてどちらがいいなどと判断する必要もありませんので、ぜひ読んでみることをオススメします。
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