まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

いまだかつてない公開シンポジウム!

2016-11-15 22:48:31 | カント倫理学ってヘンですか?
日本カント協会の福島大会が終わったということは、

私の公開シンポジウム提題者の大役も終了したということです。

今年のシンポジウムのテーマは、「3.11後の『公共』 とカント ―Kant in Fukushima―」 でした。

いいテーマだとは思いますが、自分がこのテーマで何か語りたいとは思いません。

今回は1人開催校ですし、3年前にシンポジウムの提題者を務めたばかりでもありましたので、

当初固辞していたのですが、いつものように 「小野原さん、福島だから」 の一言で押し切られました。

今回のメンツは私のほかに、日本カント協会の会長であらせられる大橋容一郎氏、

盟友であり腐れ縁でもあるふなちょこと舟場保之氏です。

大橋さんは当初、司会だけのはずだったんですが、

もう1人の提題予定者がドタキャンになったための急遽ピンチヒッターです。

この3人でどんなシンポジウムが繰り広げられるんでしょうか?

私がシンポジウム準備どころではなかったということもあって、

ギリギリまでどんなふうにシンポジウムを運営するかという話し合いも行われなかったのですが、

直前の話し合い (メールでの) のなかで、ふなちょが提題者はパワポで発表しましょう、

1人の発表時間は20分にして討論の時間をたくさん取りましょうと提案してくれて、

準備が間に合いそうもないと思っていた私は、渡りに船とその提案に飛びつき、

学会のメインイベントたるシンポジウムの慣例とは大きく外れて、

提題者の発表時間が一般研究発表よりも短いという異例のシンポとなりました。

しかも、その後のやり取りのなかで、ふなちょは自分は15分で終えますと宣言し、

大橋さんはそのセリフが頭に残っていたのか、

シンポジウム冒頭の説明では 「提題者の発表時間は15分です」 と言ってしまい、

ただでさえ短めに作ったパワポをさらに端折りながら発表することになりました。

3年前のシンポのときは3人の提題者がみんな完全原稿を用意し、

25分の持ち時間を大幅に超えて (私の超過時間はほんの数分だったはずですが) 発表したため、

全体での討論の時間はあまり取れなかったのでした。

それに比べると、いや、これまでの40回のどのシンポジウムと比べても、

今回ほど提題者の発表時間が短かくて、

その分討論にゆっくり時間を使えたシンポはなかったろうと思います。

そう言えば、シンポジストが全員パワポで発表したというのも初めてのことじゃないかな?

法政哲学会に続いて日本カント協会でも歴史に名を残してしまったかもしれません。

さて、シンポジウムの提題発表は、プログラムの掲載順序とは変わって、

まずは大橋さんの 「カントの公共性とケア的公共性」 からスタートしました。



カントの公共性概念が自由とか自立 (自律) に定位するものであるのに対して、

この世界には必然的にケアを必要とする自立できない不自由な存在者が多数おり、

その人たちを含めた公共性を考えていかなくてはいけないのではないかという、

日本カント協会の会長にあるまじき (笑)、

カント倫理学を真っ向から否定するような刺激的な発表からのスタートです。

続く舟場さんの発表は、「手続きとしての公開性がもつポテンシャリティ」。



これも聞く前からふなちょ色満載で、

ある意味、カントの形式主義をそのまま受け継いでいるとも言えるし、

だけどカントの道徳主義を全否定しているとも言える超過激な内容です。

こんな2人が矢面に立ってくれたので、1人開催校の私はあまりボコボコにされずにすみました。

心優しいお2人に感謝です。

私の発表は、「〈3.11〉 後の 「公共」 とカント的公共性の闘い」。

〈3.11〉 後にあちこちで発表させられた内容を紹介したりしながら、

もしもカントがこの福島の状況を見たら何て言うかを考えて (Kant in Fukushima)、

「反原発の定言命法」 なんていう刺激的な議論も投げかけてみました。



そして、カント的公共性を担うものとして哲学カフェの活動などを紹介しつつ、

それが現在の国家的公共の前ではいかに無力で、敗戦を余儀なくされているかという、

きわめてペシミスティックな色彩の強い報告をさせていただきました。

3人の提題後はたっぷりと1時間半近くフロアと議論を交わすことができました。



大半の質問は大橋さんと舟場さんに集中し、

特に舟場さんにはカント的道徳主義からの批判が殺到して、質疑応答は相当盛り上がりました。

私に対してもけっこう原理的な質問というか批判が出ていましたが、

福島色を前面に押し出すことによって何とかそれをかわし、

あとは大橋さんや舟場さんに議論を委ねていました。

私の頭の中は、次の懇親会の幹事として、食べ物やお酒は足りるだろうかとか、

懇親会の司会として、誰に乾杯の音頭を頼もうかとか、ついつい考えてしまっていました。

とにかくフロアとのやりとりの時間が長かったので提題者 (私を除く) は疲れ切っていましたが、

フロアの皆さんにはそれなりに満足いただけたのではないでしょうか。

懇親会の場や、その後の二次会、三次会の場では、内容的にはいろいろと注文もついたものの、

これまでのシンポジウムと違うスタイルだったことに対しては、おおむね賛辞を賜ることができました。

月曜日に大学に登校してみると、シンポジウムの行われた土曜日の日付でメールが届いていました。

福大生として唯一一般参加してくれた学生さんからのメールです。

ご本人の許可を得て、下記に引用してみます。

(以下、引用)
突然のメールすみません。前期の倫理学概説を受講していた、行政政策学類2年の○○です。
今日のシンポジウムに参加して今まで感じていた疑問に対するヒントとなるような話がたくさん出て来て、自分の考えが深まりました。
大橋先生の話では、今まで「哲学をどう自分自身のものとして引き受けていくか」という疑問に対して、ケアという考えから、哲学を現実といかに結び付けるかということをさらに考えるポイントになりました。
また、舟場先生の話は、多くの論点が専門家の間ではあるのかもしれませんが、今日のテーマである「公共」について、哲学を政治 (学) などと結び付けるものだと感じました。カントの学会で道徳 (法則) が嫌いと言う舟場先生には、常に「それはどうなの?」と問う哲学の営みを感じました。小野原先生が前期の倫理学概説で、倫理学者は倫理を問う、学問は問うことを学ぶものだというような話をしていましたが、それが今日の舟場先生だったのかな、と思いました。
そして小野原先生の話は、これから始まる高校の新教科「公共」でどのような授業を作っていくか、という自分の問いに対する大きなヒントになりました。3.11以後、同じ共同体に属する人々が、社会が、分断「させられていく」という状況は、公共性について考えていくうえで、とても重要な問題だと思います。その状況に対して、市民性や、「公共性」の持つ複数の意味からもう一度作り直していくために「哲学」そして「哲学カフェ」があるのではないか、と思いました。
長々と個人的な思いを羅列してお疲れのところ申し訳なく思っています。人生初めてのシンポジウム、(学会)に参加して、興奮が抑えきれないので、今日の準備をしていただいた小野原先生に連絡させてもらいました。本当にありがとうございました。大橋先生、舟場先生そして小野原先生、学会の皆様に貴重な経験をさせてもらいました。ありがとうございます。
哲学・倫理学に興味があるものの、まったくの素人があのような専門的な場に参加して良いものか、ギリギリまで悩んでいたのですが、参加して本当に良かったと思っています。
ブログにコメントしようと思ったのですが、個人的な思いなので、メールで伝えさせてもらいました。また機会があれば、参加してみたいと思います。今日は本当にありがとうございました。
(引用終わり)

大学2年生が日本カント協会の公開シンポジウムに来てくれたこと自体驚きなのですが、

こんなにいろいろと感じ取ってくれたなんて、本当に望外の喜びです。

惜しむらくはこの学生さんがうちの学類生じゃないということですね。

まあでもこんな若者にここまで考えを深めてもらえたのですから、

今回のシンポジウムは大成功だったと言えるのではないでしょうか。

ご参加くださったてつカフェ常連の皆さまにもいずれ感想をお聞きしてみたいです。

わざわざ足をお運びくださり誠にありがとうございましたm(_ _)m。

私はもう燃え尽きました。

あれを学会誌のために原稿化するなんて絶対にムリです。

1人5役で頑張ったことに免じて、パワポのシートをそのまま掲載することで、

学会誌への投稿とさせていただけないでしょうか?

編集長の舟場先生、何とぞ御高配のほどよろしくお願い申し上げますm(_ _)m。


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1 コメント

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学会誌もパワポ (ふなちょ)
2016-11-16 18:06:02
学会誌にもパワポを提出するというのに賛成ですが、総会の議長をしておきながら、やっぱ聞いてないですね。私は今回の大会で編集委員長を退任(≠解任)しました。しかし3人ともパワポで出せば、冊子のページ数がめっちゃ少なくなるので、経費削減にも貢献できそうです。

それにしても、カント的道徳主義って・・・。しかもちっとも道徳的じゃない人たちが主張していた・・・。掲載されたメイルによれば「嫌い」って言ってしまったようですが、これでは好き嫌いの話になってしまうので、もっとちゃんと不正だって言わなきゃいけなかったですね。
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