ちょうど 「文化創造論」 の授業でスポーツについてお話しし、
ジャッジの正確性とか、フェアプレイについて論じたばかりですが、
昨日の日本シリーズでそれを語るにうってつけの出来事があったみたいですね。
「世紀の大誤審! 加藤小芝居? 危険球退場」
日本ハムのピッチャー多田野が巨人のバッター加藤に投じた球が、頭部への死球と判断され、
多田野は危険球を投じたとして退場になってしまったという事件です。
その場面、いろいろな番組で何度も繰り返し再生されていますが、
どう見ても身体に当たったようには見えません。
加藤はバントに行きかけてボールが内角に来たために大きくよろけて倒れ込み、
その後、激しく痛がってみせていますが、
ボールはバットに当たったとしか見えません。
仮に身体に当たっていたとしても、けっして頭ではなく、
せいぜいバットを握っていた手に当たったくらいでしょう。
実際、柳田主審は最初ファウルと宣告しています。
ところがそれに対し原監督が抗議し、それを受けて死球とジャッジを変え、
しかもそれが頭部への危険球だったとしてピッチャーを退場としてしまったのです。
それに対しては栗山監督も猛抗議をしましたがこちらは受け入れられませんでした。
ピッチャーからするならば、本来ならファウルでワンストライク稼げていたはずのところ、
誤審によって出塁を許してしまったばかりか、
退場を食らってしまったというのですから、憤懣やるかたないのもうなずけます。
多田野投手は 「だます方もだます方、だまされる方もだまされる方」 という名言を残して、
グラウンドを後にしたそうです。
だましたのは加藤選手で、これはフェアプレイについて考えさせられます。
だまされたのは柳田球審で、これはジャッジの正確性について問題を提起しています。
まずは前者の問題から見ていきましょう。
こういうのって昔は広島の達川選手がよくやっていましたね。
実際には身体に当たっていなくても身体に当たったとアピールして出塁する。
これはどう考えてもフェア (公正) なプレイとは言えないでしょう。
本人は当たっていないことをわかっているわけですからね。
達川の場合は愛敬がありましたが、
今回は日本シリーズという大勝負の場でしたからちょっと後味が悪くなりました。
しかも、加藤は頭に当たったとまで主張したわけではなく、
あわよくば出塁できればいいとは思っていたでしょうが、
まさか相手ピッチャーを退場させようとまでは狙っていなかったものと思います。
(そうであってほしいです)
まだ早い回でピッチャーは交代したばかりでしたから、
そのピッチャーが退場になってしまい、
急遽別のピッチャーをマウンドに上げなければいけないというのは、
勝負の行方を決定づけるような大問題です。
結果的に相手ピッチャーが退場となって加藤はどう思ったのでしょうか?
してやったりとほくそ笑んだのでしょうか。
それとも、まさかそんなつもりじゃなかったのにとちょっと後悔したのでしょうか。
サッカーではこういうプレイがよく見られますね。
相手のスライディングに対して大げさに倒れ込み、
激しく痛がってみせるというシーンです。
本人たちは大まじめで演じているのかもしれませんが、
見ているほうとしてはシラけることこの上ないです。
何が何でも勝たねばならないという前提からするならば、
こんな小芝居のひとつも打ってみたくなる気持ちもわからなくはないですが、
そんなにご贔屓チームのある本格的なサッカーファンではない私としては、
勝ち負けなんかどうでもいいから、最高のプレイを見せてもらいたいだけで、
誤審を誘ってそれに乗じて勝とうとする姿には吐き気を催してしまいます。
サッカーの場合は、やられたフリをするのも反則らしく、
審判が演技を見抜いて逆にその選手にペナルティを与えてくれたりすると、
拍手喝采、それ見たことかざまあみろという気分になります。
今回の日本シリーズも日ハム、巨人、いずれも贔屓のチームではないので、
どちらが勝とうとどうでもいいのですが (若干、巨人に負けてほしいかなあ?)、
日本シリーズという最高の決戦の場にふさわしいハイレベルなプレイを見せてほしい、
というのが私の一番の願いです。
いや、たとえヤクルト・スワローズが出場していたとしても、
その願いに変わりはなかったでしょう。
小ずるいマネをして日本シリーズという場を汚してまで、
贔屓のチームにただ日本一になってもらえばいいというわけではないのです。
すべてのスポーツファンはそう願っているのではないでしょうか?
文化創造論のワークシートでは、フェアプレイを望む者が半数以上いる一方、
特にスポーツに携わっている人たちからは、
勝つためにわざと反則したりするのはやむをえないという意見も多く聞かれました。
商業主義、勝利至上主義が蔓延している今のスポーツ界では、
外野 (第三者) からの希望・期待に沿うより、
目先の結果にこだわらざるをえない事情が存しているのだろうなあということは想像できます。
日本シリーズで優勝できるとできないとでは、今オフの年俸交渉でも大きな差が生じるのでしょう。
でもなんだかなあ。
そういう小賢しい計算ってわざわざスポーツの場で見せられたくないんだよなあ。
目先の利益を追っていると、まわりまわってファン離れを招き、
けっきょく最後は自分たちの首を絞めてしまうように思うのですがいかがでしょうか?
というか、現在のプロ野球の低迷はまさにある1人のオーナーが長年続けてきた、
目先路線の末路にほかならないのではないでしょうか。
このあいだのオリンピックも後味の悪い試合が散見されましたし、
全スポーツは今こそ、長期的視点に立ってフェアプレイの確立を目指すべきではないでしょうか。
すでに長くなってしまったので、ジャッジ問題については別稿にて。
ジャッジの正確性とか、フェアプレイについて論じたばかりですが、
昨日の日本シリーズでそれを語るにうってつけの出来事があったみたいですね。
「世紀の大誤審! 加藤小芝居? 危険球退場」
日本ハムのピッチャー多田野が巨人のバッター加藤に投じた球が、頭部への死球と判断され、
多田野は危険球を投じたとして退場になってしまったという事件です。
その場面、いろいろな番組で何度も繰り返し再生されていますが、
どう見ても身体に当たったようには見えません。
加藤はバントに行きかけてボールが内角に来たために大きくよろけて倒れ込み、
その後、激しく痛がってみせていますが、
ボールはバットに当たったとしか見えません。
仮に身体に当たっていたとしても、けっして頭ではなく、
せいぜいバットを握っていた手に当たったくらいでしょう。
実際、柳田主審は最初ファウルと宣告しています。
ところがそれに対し原監督が抗議し、それを受けて死球とジャッジを変え、
しかもそれが頭部への危険球だったとしてピッチャーを退場としてしまったのです。
それに対しては栗山監督も猛抗議をしましたがこちらは受け入れられませんでした。
ピッチャーからするならば、本来ならファウルでワンストライク稼げていたはずのところ、
誤審によって出塁を許してしまったばかりか、
退場を食らってしまったというのですから、憤懣やるかたないのもうなずけます。
多田野投手は 「だます方もだます方、だまされる方もだまされる方」 という名言を残して、
グラウンドを後にしたそうです。
だましたのは加藤選手で、これはフェアプレイについて考えさせられます。
だまされたのは柳田球審で、これはジャッジの正確性について問題を提起しています。
まずは前者の問題から見ていきましょう。
こういうのって昔は広島の達川選手がよくやっていましたね。
実際には身体に当たっていなくても身体に当たったとアピールして出塁する。
これはどう考えてもフェア (公正) なプレイとは言えないでしょう。
本人は当たっていないことをわかっているわけですからね。
達川の場合は愛敬がありましたが、
今回は日本シリーズという大勝負の場でしたからちょっと後味が悪くなりました。
しかも、加藤は頭に当たったとまで主張したわけではなく、
あわよくば出塁できればいいとは思っていたでしょうが、
まさか相手ピッチャーを退場させようとまでは狙っていなかったものと思います。
(そうであってほしいです)
まだ早い回でピッチャーは交代したばかりでしたから、
そのピッチャーが退場になってしまい、
急遽別のピッチャーをマウンドに上げなければいけないというのは、
勝負の行方を決定づけるような大問題です。
結果的に相手ピッチャーが退場となって加藤はどう思ったのでしょうか?
してやったりとほくそ笑んだのでしょうか。
それとも、まさかそんなつもりじゃなかったのにとちょっと後悔したのでしょうか。
サッカーではこういうプレイがよく見られますね。
相手のスライディングに対して大げさに倒れ込み、
激しく痛がってみせるというシーンです。
本人たちは大まじめで演じているのかもしれませんが、
見ているほうとしてはシラけることこの上ないです。
何が何でも勝たねばならないという前提からするならば、
こんな小芝居のひとつも打ってみたくなる気持ちもわからなくはないですが、
そんなにご贔屓チームのある本格的なサッカーファンではない私としては、
勝ち負けなんかどうでもいいから、最高のプレイを見せてもらいたいだけで、
誤審を誘ってそれに乗じて勝とうとする姿には吐き気を催してしまいます。
サッカーの場合は、やられたフリをするのも反則らしく、
審判が演技を見抜いて逆にその選手にペナルティを与えてくれたりすると、
拍手喝采、それ見たことかざまあみろという気分になります。
今回の日本シリーズも日ハム、巨人、いずれも贔屓のチームではないので、
どちらが勝とうとどうでもいいのですが (若干、巨人に負けてほしいかなあ?)、
日本シリーズという最高の決戦の場にふさわしいハイレベルなプレイを見せてほしい、
というのが私の一番の願いです。
いや、たとえヤクルト・スワローズが出場していたとしても、
その願いに変わりはなかったでしょう。
小ずるいマネをして日本シリーズという場を汚してまで、
贔屓のチームにただ日本一になってもらえばいいというわけではないのです。
すべてのスポーツファンはそう願っているのではないでしょうか?
文化創造論のワークシートでは、フェアプレイを望む者が半数以上いる一方、
特にスポーツに携わっている人たちからは、
勝つためにわざと反則したりするのはやむをえないという意見も多く聞かれました。
商業主義、勝利至上主義が蔓延している今のスポーツ界では、
外野 (第三者) からの希望・期待に沿うより、
目先の結果にこだわらざるをえない事情が存しているのだろうなあということは想像できます。
日本シリーズで優勝できるとできないとでは、今オフの年俸交渉でも大きな差が生じるのでしょう。
でもなんだかなあ。
そういう小賢しい計算ってわざわざスポーツの場で見せられたくないんだよなあ。
目先の利益を追っていると、まわりまわってファン離れを招き、
けっきょく最後は自分たちの首を絞めてしまうように思うのですがいかがでしょうか?
というか、現在のプロ野球の低迷はまさにある1人のオーナーが長年続けてきた、
目先路線の末路にほかならないのではないでしょうか。
このあいだのオリンピックも後味の悪い試合が散見されましたし、
全スポーツは今こそ、長期的視点に立ってフェアプレイの確立を目指すべきではないでしょうか。
すでに長くなってしまったので、ジャッジ問題については別稿にて。
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