タイトルは私なりの解釈で言い換えてありますが、
今回いただいたのは、こういう質問でした。
「Q.自分の中で最初に思いついたことと、正反対のものを頭の中で比べて、
良い方を選択するが、どちらが自分の本当の意志なのか?
(良いものを選ぶことか、直感的なものか?)」
いい質問ですね。
これを哲学・倫理学風に言い換えると、タイトルのような問いになります。
最初に思いついたことと正反対のものとを比べてみて良い方を選択するというのは、
まさに理性を用いて理性的に判断しているということなわけです。
それにしても若いのにふだんこんなふうに選択している人がいるなんて本当にビックリしました。
とても素晴らしいと思います。
全人類のほとんどの人は最初に思いついた直感的な選択肢を、
特に深く考えてもみないまま素朴に選んでしまっているのではないでしょうか。
そういう人たちに対して、実行に移してしまう前にいったん立ち止まって、
ちょっと考え直してみてはどうですかと提案し続けるのが倫理学の使命のような気がします。
そういう意味では質問者の方は、すでに十分に倫理的・倫理学的な人だと思います。
ただご質問は倫理 (学) 的かどうかではなく、どちらが本当の自分の意志かでしたから、
それにはどうお答えしたらいいでしょうか?
例えば、私が専門に研究しているカントなら、
間違いなく 「良い方を選択するのが本当の意志だ」 と断言することでしょう。
(その場合の 「良い方を選択する」 というのは、カント独自の意味で使われていますが…)
それに対して最近のスピリチュアル系の人たちなんかは、
「最初に思いついたことが本当の自分の意志だ」 と言うかもしれません。
拠って立つ立場や学説によって答えは変わってくるでしょう。
私としては 「問いを問い直す」 という観点から、「自分の本当の意志って何ですか?」、
「どちらが本当の自分の意志なのかを決めることにどんな意味があるんですか?」
と問い返してみたいと思います。
人間には感性的・衝動的な欲求があり、真っ先に浮かんでくる意欲はそのレベルの欲望でしょう。
そこまで動物的なものでなくとも、人間が最初に思いつくような意欲というのは、
理性的な熟慮を経ておらず、環境によって刷り込まれた習慣的なものが多いでしょう。
直感的な判断というのはこれら2種類のうちのどちらかになるのではないかと思います。
それとは別に、悩みに悩んで、熟慮に熟慮を重ねて、じっくり考えた末の選択というのもあるでしょう。
それが理性的な判断ですね。
それらのうちのどれが自分の本当の意志なのか?
やはり 「自分の本当の意志」 が何を意味するのかがわかりません。
一番自分らしいという意味でしょうか?
一番自分にとって根源的という意味でしょうか?
しかし、自分らしさや自分の根源など、どのような意味に取ったとしても、
感覚的なものと習慣的なものと理性的なものとで、
どれが一番自分らしいか、どれが一番根源的かを決めることはできないように思うのです。
働き方や求められる場面が違うだけで、どれも大事なような気がします。
その都度の評価基準によるとでも言いましょうか。
瞬間的な反応の速さが求められるときは感覚的・衝動的なものが大事でしょうし、
伝統や周りの人々との関係性の維持を重視するなら習慣に従うのが一番だし、
先まで見通した冷静な判断が求められるときは理性でじっくり考えて決めることが必要でしょう。
感性的・衝動的なものも、習慣によって培われたものも、そして理性的な判断も、
いずれも自分固有のものとも言えるし、
自分のものではない (外から与えられたもの) とも言えるのではないでしょうか。
したがって、それらのうちのどれが本当の自分の意志なのかと問うことに意味はないと思うのです。
というわけで今回の質問には直接的にお答えすることはできませんが、
次のようにお答えしておくことにしましょう。
A.自分の中で最初に思いついたことと、正反対のものを頭の中で比べて選択した良い方と、
どちらが自分の本当の意志かなんてことに悩む必要はありません。
最初に思いついたことをそのまま実行してしまわず、
一度立ち止まって正反対のものと比べてみることができるというのは、
誰にでもできることではなく、きわめて理性的な人にしかできない希有なことですので、
これからもぜひその習慣を続けていってください。
今回いただいたのは、こういう質問でした。
「Q.自分の中で最初に思いついたことと、正反対のものを頭の中で比べて、
良い方を選択するが、どちらが自分の本当の意志なのか?
(良いものを選ぶことか、直感的なものか?)」
いい質問ですね。
これを哲学・倫理学風に言い換えると、タイトルのような問いになります。
最初に思いついたことと正反対のものとを比べてみて良い方を選択するというのは、
まさに理性を用いて理性的に判断しているということなわけです。
それにしても若いのにふだんこんなふうに選択している人がいるなんて本当にビックリしました。
とても素晴らしいと思います。
全人類のほとんどの人は最初に思いついた直感的な選択肢を、
特に深く考えてもみないまま素朴に選んでしまっているのではないでしょうか。
そういう人たちに対して、実行に移してしまう前にいったん立ち止まって、
ちょっと考え直してみてはどうですかと提案し続けるのが倫理学の使命のような気がします。
そういう意味では質問者の方は、すでに十分に倫理的・倫理学的な人だと思います。
ただご質問は倫理 (学) 的かどうかではなく、どちらが本当の自分の意志かでしたから、
それにはどうお答えしたらいいでしょうか?
例えば、私が専門に研究しているカントなら、
間違いなく 「良い方を選択するのが本当の意志だ」 と断言することでしょう。
(その場合の 「良い方を選択する」 というのは、カント独自の意味で使われていますが…)
それに対して最近のスピリチュアル系の人たちなんかは、
「最初に思いついたことが本当の自分の意志だ」 と言うかもしれません。
拠って立つ立場や学説によって答えは変わってくるでしょう。
私としては 「問いを問い直す」 という観点から、「自分の本当の意志って何ですか?」、
「どちらが本当の自分の意志なのかを決めることにどんな意味があるんですか?」
と問い返してみたいと思います。
人間には感性的・衝動的な欲求があり、真っ先に浮かんでくる意欲はそのレベルの欲望でしょう。
そこまで動物的なものでなくとも、人間が最初に思いつくような意欲というのは、
理性的な熟慮を経ておらず、環境によって刷り込まれた習慣的なものが多いでしょう。
直感的な判断というのはこれら2種類のうちのどちらかになるのではないかと思います。
それとは別に、悩みに悩んで、熟慮に熟慮を重ねて、じっくり考えた末の選択というのもあるでしょう。
それが理性的な判断ですね。
それらのうちのどれが自分の本当の意志なのか?
やはり 「自分の本当の意志」 が何を意味するのかがわかりません。
一番自分らしいという意味でしょうか?
一番自分にとって根源的という意味でしょうか?
しかし、自分らしさや自分の根源など、どのような意味に取ったとしても、
感覚的なものと習慣的なものと理性的なものとで、
どれが一番自分らしいか、どれが一番根源的かを決めることはできないように思うのです。
働き方や求められる場面が違うだけで、どれも大事なような気がします。
その都度の評価基準によるとでも言いましょうか。
瞬間的な反応の速さが求められるときは感覚的・衝動的なものが大事でしょうし、
伝統や周りの人々との関係性の維持を重視するなら習慣に従うのが一番だし、
先まで見通した冷静な判断が求められるときは理性でじっくり考えて決めることが必要でしょう。
感性的・衝動的なものも、習慣によって培われたものも、そして理性的な判断も、
いずれも自分固有のものとも言えるし、
自分のものではない (外から与えられたもの) とも言えるのではないでしょうか。
したがって、それらのうちのどれが本当の自分の意志なのかと問うことに意味はないと思うのです。
というわけで今回の質問には直接的にお答えすることはできませんが、
次のようにお答えしておくことにしましょう。
A.自分の中で最初に思いついたことと、正反対のものを頭の中で比べて選択した良い方と、
どちらが自分の本当の意志かなんてことに悩む必要はありません。
最初に思いついたことをそのまま実行してしまわず、
一度立ち止まって正反対のものと比べてみることができるというのは、
誰にでもできることではなく、きわめて理性的な人にしかできない希有なことですので、
これからもぜひその習慣を続けていってください。