まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

時間を大切にするとは?

2016-01-27 17:15:40 | お仕事のオキテ
このところセンター試験がらみの話題と、SMAPがらみの話題を交互に繰り出していますが、

今日はまたセンター試験がらみのお話です。

というかセンター試験に限らず、試験監督をしているといつでも感じることなんですが、

特にセンター試験のときに強く思うことがあります。

時間を大切にするっていうのは、時間を忘れることだよなあ、と。

センター試験中って、受験生も試験監督もとにかく時間を気にしてピリピリしています。

受験生は黒板の上のアナログ時計の秒針を、

試験監督は教卓の上の電波時計を、それはもう食い入るように見ています。

人生の中でこんなに時計を見ていたことないんじゃないかっていうくらいガン見しています。

センター試験は全国一斉に行われますから、50万人超を同一の条件で受験させる必要があります。

そのために試験の進行は厳密に定められています。

解答用紙や問題冊子を配ったり、受験番号や氏名を書き込んでもらったり等、

全国一律のタイムスケジュールに則って細かい指示に従ってもらって、試験開始を待ちます。

1日目の1時間目のテストだと、各自の写真にシールを貼ってもらったり、

写真照合用の写真票を集めたりなど、やることがいろいろあるのでいいのですが、

2時間目以降になると試験前にやってもらうことが減るので、

一通り氏名や受験番号を書き込んでもらったりし終わると、

試験開始までけっこう時間が余ってしまったりします。

5分以上時間が余るなんていうこともざらにあります。

この試験開始までの待ち時間って壮大なムダだなあ、と思うんです。

受験生も試験監督もお互いに何にもやることがありません。

受験生にしてみれば5分あれば単語だって公式だっていくつか覚えられそうなものじゃありませんか。

試験監督にしたって、本の1~2ページ読んだり、事務メールの1本も送ったりできるかもしれません。

だけどお互いに何にもしちゃいけないのです。

かといってボーッとしているわけにもいきません。

特に試験監督のほうは 「解答はじめ」 の号令を忘れたり遅れたりしようものなら、

即全国ニュースものの大騒ぎになりますので、息を詰めて時計を見守っていなくてはなりません。

本当にこの時間って時計を見る以外にやることがなくって、

これだけ1分1秒の経つのをじーっと待っていることって人生においてほかにないだろうと思うのです。

こんなにみんなで時間のことを気にしているのに、その時間ってドブに捨ててるようなものですよね。

そうやって過ごしてる人が全国で60万人近くいるんです。

(今年の受験生は56万人。各教室が50人収容可能として、そこに3人ずつの試験監督がつくから、

 試験監督は33,600人となり、合わせると60万人弱となるわけです。)

その人たちの5分を全部足すと300万分になります。

300万分=5万時間=2,083日=5年8ヶ月半。

たった1科目でこれですから、2日間10科目で50年分の時間が奪われるわけです。

(全科目受験する人は少ないのでここまではいかないと思いますが…)

これだけの莫大な時間が何にも使われずに捨てられているのです。

ああ、もったいない。

別にだからどうしろと言いたいわけではありません。

ただ、時計を見ながら時間が過ぎゆくのをじーっと見守っている時間って、

最も時間を気にしていながら、最も時間を大切にしていない時間だよなあ、と思ったということです。

逆に言うと、時の経つのを忘れて何かに打ち込んでいるときというのが、

一番時間を大切にしているっていうことなんだろうなあ、とも考えたのでした。

それとも、時間についてこうして考察を深められたんだから、

あの時間もまんざらまったくのムダだったっていうわけではないのかなあ?