団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

なんで新聞社は、日本でしか通用しない和製英語を使うんだ、これって新聞社の横暴ではないのか?

2024-07-26 02:21:20 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「片仮名言葉 慣れたくて」というタイトルで、83歳の女性が投稿されていました。

 コンプライアンス、インバウンド、オンライン・・・。

 新聞を開くたび、片仮名言葉が多いことにへきえきします。

 国語辞典やカタカナ辞典、英和辞典を引いたり、インターネットで検索したりしつつ新聞を読み進めていますが、突き止めた言葉の意味はノートに書き留めて備忘録としています。

 「認知症予防のきっかけになれば」と前向きに考えていて、片仮名語が少しずつ私の中で蓄積されてきたからか、読書の際でも、以前よりスムーズになってきた気がします。

 中学生から専門学校生までの孫4人は横文字に強いだけに、そんな若人との会話を弾ませるべく、私はさらに頑張って学ぶ所存です。

 以上です。

 今の新聞の購入者は、ほとんどが高齢者です。

 ところが新聞は、片仮名言葉が多いです。

 コンプライアンス、インバウンド、なんてさっぱり分かりません。

 まずはこれらの片仮名言葉を日本語に訳して書いてほしい。

 いちいち辞書を引くなんて面倒この上ない。

 もし適当な日本語が見当たらないなら、片仮名言葉に日本語の注釈を入れて欲しい。


 片仮名言葉で、日本でしか通用しない和製英語があります。

 なんで新聞社は、日本でしか通用しない和製英語を使うんだ、これって新聞社の横暴ではないのか?

 <海外で通じない和製英語:英語圏では通じない日本独自の言葉>

 アルバイト、ノートパソコン、ミス、クレーム、OL、サラリーマン

 カリスマ、インテリ、フロント、レンジ、フライドポテト、ペットボトル

 レトルト、キーホルダー、ワンピース、マニキュア、Gパン

 マンション、エアコン、ガソリンスタンド、スーパー、レジ

 まだまだ沢山ありますが、和製英語って多いですね。

 とりあえず、日本だけでしか通じない和製英語はやめて欲しいです。





(デビュー当時)トワ・エ・モア/「空よ」(本人歌唱) 1970年
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「容姿が悪い男女に全くチャンスがねえな」

2024-07-25 01:18:46 | 日記
  中日新聞の7月24日付の朝刊に、「結婚は無理ゲーですか?」というタイトルで、記事が載っていました。

 今や結婚される多くの方が利用されているマッチングアプリに交際経験がなく自らを「弱者男性」などと呼ぶ34歳の男性の事が書かれていました。

 電気系の大学を卒業されて入った会社には、男性しかいなかった。

 年収は約430万円。

 同じ歳の方より少し年収が低かったとの事、1年就職浪人をされたせいかも知れない。

 周囲に勧められ、昨年3月にあるマッチングアプリに登録された。

 次々と女性の写真が現れ、気が合いそうな人に「いいね」を付けて選別していく。

 お互いが「いいね」となると「マッチング」が成立、連絡を取り合える仕組み。

 そのうち、ブサメン(不細工なメンズ)を自認する男性は、ふと思った。
 
 「容姿が悪い男女に全くチャンスがねえな」

 まだ続いていましたが、あとは省略します。


 もし私が今の時代の若者だったら、マッチングアプリに登録しても相手にされないなと思いました。

 なにしろ、大学も中退ですし。

 結婚直前にかみさんに私の給与明細を見せたら、あまりの少なさに怒って帰ってしまいました。

 後で分かったのですが、かみさんより給与が少なかったのです。苦笑

 私は今もそうですが、不細工です。

 かみさんのお母さんに初めてお会いした時、後でお母さんがかみさんに「あのような顔の子供ができるんだよ、いいの」と、言われたそうです。苦笑

 かみさんが、どのような返答をしたのか知りません。

 何とか無事に結婚出来ました。

 今はかみさんが私に「騙された!」と言ってます。

 「あなたは、いいところばかり見せて!」と。

 「いいところばかり見せないと、結婚出来ないじゃないか」と、言い返します。

 私は「ありのままを見せたのに」。
 




ある日突然 ~ トワエモア
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「ハシカベ体操」

2024-07-24 00:12:09 | 日記
  昨日の夕食は、鰻丼でした。

 今日が丑の日ですので、1日早く食べました。

 鰻は小ぶりでしたが、美味しかったです。

 夏バテが防げるかな?

 






 以前元NHKアナウンサーの宮本隆治さんが、徹子の部屋で「ハシカベ体操」なるものを紹介されました。

 何でも96歳のお父様がたった2週間の入院で「滑舌が悪くなり」、「発声も弱くなり」で、声が衰えていて、生気が感じられなかったとのことです。

 そこで声の専門家である息子の宮本隆治さんが「ハシカベ体操」を教えられ、リハビリした結果、声が出るようになり、意欲が出て、日常の暮らしが戻ったとのことでした。

 もちろんこの映像は残してあります。

 以前 私も声があまり出なくなり、耳鼻科で診てもらったんですが、何ともないと言われました。

 あまり喋らなくなったことが原因かも知れません。

 今はどういう訳か、治りました。

 映像はありますが昔人間ですので、宮本隆治さんの本を買って何度も読み返したいです。

 「ハシカベ体操」をやらねばと思っていますが、1日2回でいいらしいですがどうも自信がないです。






「揺れる想い」Music Video
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うちの父親は、認知症になりました。

2024-07-23 02:22:57 | 日記
 中日新聞の「中日春秋」に下記の事が書かれていました。

 中日春秋
 2024年7月21日 

 <夕ぐれの時はよい時。/かぎりなくやさしいひと時。>。

 堀口大学の詩「夕ぐれの時はよい時」の夕暮れは穏やかで、懐かしい。

 若い人にとって夕暮れは希望のひと時だと詩は教える。

 そして、老い、<青春の夢とほく/失ひはてた人々>には<それはやさしい思ひ出のひと時、/それは過ぎ去つた夢の酩酊(めいてい)、(中略)/なつかしい移り香>であると。

 <やさしい思ひ出>に誘われてしまうのか。

 「夕暮れ症候群」という言葉がある。

 アルツハイマー型認知症の方が夕暮れ時に混乱しやすく落ち着きがなくなることをいう。

 「家に帰りたい」と出ていってしまう人もいる。自分の家にいらっしゃるにもかかわらずである。

 絶対にたどり着けぬ家を探しに出かけるのは一説では「親への固執」という症状と関係がある。必ずしも親と住んだ家を探しているわけではないそうだ。

 認知症によって暮らしの中でうまくできないことが増え、本人は不安になっている。

 このため、かつて自分を守ってくれた親の家のような「心から安心できる場所」を求めて外出してしまう。


 昨年届け出のあった認知症の行方不明者は延べ約1万9千人。

 ほとんどの方がほどなく保護されるとはいえ、発見が遅れれば命にかかわる。

 確実に保護する仕組みを整えると同時に認知症の方を心から安心させる方法を見つけだしたい。<やさしい思ひ出>の代わりに。

 以上です。

 私は認知症だけにはなりたくないと思っていますが、こればっかりは防ぎ用がないように思えます。

 アルツハイマーに効くという薬が市販されたようですが、効果のほどは?

 早く成果の出る薬が生まれるといいですが。

 うちの父親は、認知症になりました。

 遠くから訪ねて来た旧友の話をしますが、実際は来られていません。

 本人の願望か、昔訪ねて来られたことがあったのでしょうか?

 足の丈夫な認知症患者は始末におえないと言いますが、ある日の夕暮れうちの父親もどこかへ行ってしまいました。

 どうやら道路で寝転んでいたようです。

 車の運転手さんが気づいて、本人の生きたいという街に連れて行ってくれたそうです。

 昔商売をしていた街ですので、本人は行きたかったでしょうね。

 商売が繁盛していて、本人の一番良い時代の街でした。

 そこで商店のウィンドウの前で座り込んでいると、昔の父親を知っている店主さんがその日は泊めてくださいました。

 父親にとっては、良い時代の思い出がいっぱい蘇ったのでは。

 特養でバイトした事がありますが、60代前半で認知症になって入居されていた人もいらっしゃいました。

 見た感じ、認知症を患っているなんて分からない人もいらっしゃいました。

 よくどこかへ行ってしまう入居者の方には、携帯電話をズボンのポケットに忍ばせてありますが、本人が気づいて捨ててしまうこともあり、行方が分からなくなる事があります。

 介護士さん達は、大騒ぎです。

 見かけた方からの電話で、早く見つかることもあります。

 見つからなかったら、事故などに巻き込まれたり、行方不明になったりしますので施設側も大変です。

 私の親しかった入居者は、よく喫茶店で見つかりました。

 ご本人が、コーヒー好きだったので。苦笑




「負けないで」Music Video
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昭和は、頭髪という個人の人権も平気で無視されたブラックな時代だった。

2024-07-22 02:24:01 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「不良の時代」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。

 昭和時代が見直され、一種の昭和ブームになっているという。

 本当にそんなに古き良き時代だったか?と、おじさんとしては首をひねらざるをを得ない。

 おじさんは、中学生になった時点で「丸刈り頭」を強いられた。

 高校も丸刈りだったから、都合6年間くりくり頭で過ごした。

 軍隊の名残か。

 とにかく決められた規則は絶対だった。

 学生ズボンの太さまで決められていた。

 女子のスカートもまた同様だった。

 高校生のころ、なぜ丸刈りなのかと教師に聞いたら、「非行防止」だと彼は言った。

 丸刈りだと非行に走らないのか。

 ウソだと思った。

 昭和は、頭髪という個人の人権も平気で無視されたブラックな時代だった。

 甲子園球児を見ると、いまだに人権を無視して平気なのか、とがっかりする。

 非行の中身といえば、今は死語となった「不純異性交遊」がその一つ。

 思春期の男女が一緒に遊ぶのが”不純”なのだった。

 挙げ句に「桃色遊戯」で補導されたと新聞に出て、その字面が衝撃的でアスカ少年は丸刈り頭を悩ませた。

 そういえば、最近は「不良」という言葉も見ない。

 昭和は不良の時代だったかもしれない。

 (石原)裕次郎も(小林)旭も不良っぽかったし。

 以上です。

 昭和って何年代のことをいうのかな?

 昭和は長いです。

 私の中学・高校時代なら、昭和34年から昭和40年代ぐらいかな。

 日本が戦後成長し始めた時ぐらいかな。

 確かに学校の規則は絶対でした。

 中学に入ると丸刈りでした。少しでも髪があるように床屋で八分刈りにしてもらいました。

 私の学校は先輩達が頑張って、私が高校2年から頭の髪を伸ばすのを許されました。

 でも学帽を被らなければいけなかったので、帽子を取ると髪に帽子のスジが残っていました。苦笑

 私は父親に「28歳でお前もハゲる」と、言われていました。

 18歳まで丸刈りだったら、たった10年しか髪を伸ばせないのかとイヤになりました。

 高校時代好きな女学生がいましたが、禁止なので喫茶店に誘おうとは思いませんでした。

 実現できませんでしたが、「図書館に一緒に行きませんか」と、誘うぐらいかな。苦笑

 高校時代、名古屋にいとこと映画を見に行って喫茶店に入りました。

 いとこは成人していて、名古屋で働いていました。

 喫茶店に中学区生ぐらいの男女が入ってきました。

 「さすがに都会は違う」と思いました。

 髪の毛も自由、服装も自由だったのは、東海一の名門校 旭ヶ丘高校だけでした。

 頭のいい子は許されるんだと思いました。

 この学校、オール5でないと受験出来ません。

 私には縁のない学校でした。苦笑

 後年 義兄の孫が旭ヶ丘に入ったのにはビックリしました。

 うちの親戚に旭ヶ丘へ入る子がいるなんて。

 社会人になると、今と違って仕事は少しのんびりした雰囲気がありました。

 でも今だったら許されない言葉も横行していました。

 私の同僚が三十近くになっていました。

 たまたま東京からやって来た社長が「〇〇君、まだ結婚しないのか?」と、言いました。

 今だったら、パワハラでしょうね。

 個人の人権が、あまり尊重されていませんでした。






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