中日春秋に喜多條忠さんの記事が載っていました。
一九七三年夏、知人の歌手南こうせつさんから作詞を頼まれていた喜多條忠(まこと)さんは東京都内でタクシーに乗っていた。
「川をきれいに ここは神田川」と書かれた看板の設置作業を見かけ、ひらめいた。
神田川沿いのアパートで彼女と暮らした学生時代の一年余を思い出し、自宅で書いた。
「貴方(あなた)はもう忘れたかしら」で始め「若かったあの頃/何も怖くなかった」とも。
こうせつさんが曲をつけて生まれた「神田川」はその年、ヒットした。
喜多條さんは作詞当時二十五歳。先日、訃報に接した。
以前に話を聞いたが、神田川は汚かったという。
二人が暮らした時期は曲誕生の数年前。
料理する彼女は野菜くずを窓の外の川に捨てた。
人々は今ほど環境を気にしなかった。
公害問題が国会で集中的に審議され、環境庁が発足するのは二人が別れてからだ。
曲が描いた日々は、ひずみを生みつつ続いた成長期にあった。
戦後日本の「若かったあの頃」である。
詞は女性の言葉で書かれたが、喜多條さん自身の思いという。
「貴方のやさしさが怖かった」の「貴方」は彼女を指す。
「自分は学生運動をしていたが、彼女と暮らすうち、教師にでもなって家庭を持つ自分を想像できた。 幸せだろうが、それでいいのかと」。
若い人が「安定」に抵抗した時代。
「先が見えぬ不安」ばかり語られる昨今のことを思うと、うらやましくもある。
以上です。
>詞は女性の言葉で書かれたが、喜多條さん自身の思いという。
「貴方のやさしさが怖かった」の「貴方」は彼女を指す。
そうだったんだ。
てっきり貴方は男性のことだと思っていました。
>若い人が「安定」に抵抗した時代。
友達と「サラリーマンには、なりたくないね」と、語りあっていた頃が懐かしいです。
神田川(昭和48年)南こうせつとかぐや姫