がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

届いたコメントについて

2011年01月07日 | Weblog
2011年01月06日 23時31分51秒

届いたコメントに回答する。届いたコメントは以下の通り。



「こんにちは。労働組合ってどんなところ?から来ました。

>健常児の保護者が、障害児を受け入れる姿勢を示せるか否かだよね。
>自分の子供が障害児と一緒に学ぶとなったら、反対しそうな保護者が結構いそうだからね。

私個人としては授業中に奇声を発したり、暴れだしたりとよほどの迷惑を他の者にかけない限りは反対はしないのですが、逆に知的障害者の子ども自身は健常者と一緒に学ぶことが幸せなのでしょうか?
中学生のころ、知恵おくれの田中くんという子がいました。
私の学校には特別学級というのがあり、知恵おくれの子はそこで授業を受けていたのですが田中くんはどういうわけか私と同じクラスでした。
数学の時間、みんなが方程式を習っているときに四則計算も理解しているか怪しい田中くんはその授業を受けていてもチンプンカンプンだったと思います。
田中くんがその授業の間、何を思って過ごしていたのだろうと考えると複雑な気持ちになります。」



その田中くんを訪ねて、その当時の気持ちを聞いてみたらどうですか。
「労働組合ってなにするところ?」(URL http://ameblo.jp/sai-mido/  )でのあなたのコメントからも感じていることですが、あなたは当事者の気持ちを確認する前に決め込むところがありませんか。


学校は、数学だけを学ぶところではありません。もし仮に、本当に田中くんが四則計算を理解できていないなら、友達が教えてあげるとか、授業後に地域のボランティアが補習をしてあげるとか、田中くんに対して周囲ができることはあるはずです。現実の物理的条件からそれらのことの実現は難しいかもしれません。しかし、そういった可能性をあなたは考えようとしましたか。田中くんにとっては、数学が出来ないことよりも、友達から「隔離」されて過ごすことの方が苦痛かもしれません。数学は理解できなくても、皆と同じ教室で学べた思い出が、それからの生涯を支える良い思い出となっているかもしれません。大切なことは、障害者に寄り添おうという姿勢です。障害者にとっては、こうしてあげることが幸せであるはずだ、そして、私はそのような幸せを実現してあげるだけの慈悲深さは持っていると思い込むことではありません。



自分の中で想像するだけでなく、現実に障害者に接して、どうして欲しいかを確認してみたらどうですか。そして、本当に障害者を思う気持ちがあるのなら、障害者自身が望むことの実現に自らができる範囲で助力してみてはいかがですか。(もし、障害者をサポートする気がないのなら、私のブログには2度とコメントしないでください。そういう人と関わる時間は私にとっては無駄ですから。)



ちなみに、私自身障害者なので言わせてもらうと、「あなたは足が悪いから遠出はしない方がいいですね。エスカレーターやエレベーターがある駅ばかりではないから、外出は控えた方がいいですね。それがあなたの幸せですよ。」と言われたら、一言、「大きなお世話だ。」と言い返します。