がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

読売 8月15日付 編集手帳

2009年08月16日 | Weblog
2009年08月15日 17時22分34秒記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20090814-OYT1T01070.htm  



「明治生まれの作家、安藤鶴夫の小説で、耳慣れない物言いに出合った。主人公が博打場(ばくちば)の若い衆に使い走りを頼む。「煙草(たばこ)がみんなになった」、買ってきてくれ、と◆辞書を引くと、あった。【みんなになる】=「全部なくなる。終わりになる」。賭け事や相場で「なくなる」「終わる」は禁句であり、忌み言葉の言い換えから生まれたのかも知れない◆新聞記者の舌に、この言い回しは苦い味がする。かつて「一億火の玉」で各紙が“みんな”一糸乱れず論調をそろえたとき、言論は死んだ。結束を乱すからと、敵を利するからと、異説・異論を排除し、「みんなになった」過去がある◆〈あなたが言うことには一切同意できないが、あなたがそれを言う権利は死んでも守ってみせる〉。劇作家ボルテールが語ったとも、後世の創作とも伝えられる。二度と言論を、国を“みんな”にしないための一歩は、その言葉の上に刻むしかない◆理があると思えば、情にかなうと思えば、合唱に声を合わせることがいまもある。そのときも、独唱の口を封じるような真似(まね)はすまい。筆をもつ端くれの、ささやかな誓いである。

(2009年8月15日01時12分 読売新聞)」

本当にそう思ってる?国旗を掲揚せず、国家を斉唱しない教職員に懲戒処分を行っている行政府の行為をどう考えてる?行き過ぎた行為だと判断した地裁判決を社説でどう言って糾弾した?

自ら書いているように、先の大戦時には、日本人には思想・良心の自由、言論の自由、表現の自由等は認められず、そのことに対する反省に立って、日本国憲法では、諸外国では当たり前過ぎて書かれていない「思想・良心の自由」を精神的自由の冒頭で保障している。


読売はそれを本当に保障しようとしてる?


平成18年9月21日に東京地裁が国歌斉唱義務不存在確認等請求事件で下した判断について、自分の会社がどういう社説を書いたかもう1度よく考えてみて。

冤罪「ごめん」で済むなら…富山の被害者が本

2009年08月16日 | Weblog
2009年08月13日 16時43分57秒記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090812-OYT1T00843.htm

「富山県氷見市で2002年に起きた婦女暴行・同未遂の冤罪(えんざい)事件の被害者、柳原浩さん(42)や支援者らが、当時の不当な捜査などを指摘した本「『ごめん』で済むなら警察はいらない――冤罪の『真犯人』は誰なのか」が12日、出版された。

 柳原さんとルポライターの鎌田慧さんが捜査の問題点を語り合う対談をメーンに収録。事件現場の足形が柳原さんの足の大きさと違うのに見過ごされた点などが取り上げられている。弁護人や支援者らは、栃木県足利市で1990年に起きた足利事件などにも触れ、自白偏重の警察の取り調べを批判している。

 柳原さんは、国や県、取り調べをした警察官や検察官を相手に国家賠償請求訴訟を起こしており、同日、富山市で開いた記者会見で「何年かけても訴訟を戦い抜くぞという思いを込めた。警察は間違いを犯すということを全国の皆さんに知ってほしい」と話した。

 初版は1500部で、主に富山県内と金沢市内で販売される。価格は1300円(税抜き)。問い合わせは桂書房(076・434・4600)。

(2009年8月13日01時59分 読売新聞)」

読売の記事タイトルの書き方に意図を感じるね。「・・・」じゃなくて、「警察はいらない」まで書きゃいいじゃん。字数的にも問題なさそうだし。


そこまで書くと、記者クラブに居づらくなるのかな。