昨日の続きです。
丁度良いお日柄で歩いています。
汗ばんできたのでバス停で白衣を脱いで下着一枚。
最後に、漢方医の桜井竜生先生の言葉を載せました。
「医と巫と身」からです。
下を向いて歩いているとすてきな花びらが落ちていました。
旧街道の石畳が残っています。
このバス停で白衣を脱ぎました。
下着一枚で寒いかなあと思いましたが丁度良い暑さでした。
一度は雉料理を食べて見たいですね。
あじさいが咲いていました。
雑草刈りの人たちに出会いました。ごくろうさま。
天狗神社にお参り。
いつもの畑ではクリの実が育っていました。
今日は何が育っているのか楽しみの一つです。
須雲川の町です。
サルスベリの花が散っていました。
ありがとうございました。
「円覚」319号に大変興味ある記事が掲載されていました。
「医と巫(ふ)」 漢方医 桜井竜生さん。
初老のご婦人が外来の扉を開けて入って来た。
なぜ、私の外来を受診したかと聞くと、
「大田区の占い師から今の病気を治すなら港区の方向の
大きな大学病院の漢方科で花の名前がついた先生に診てもらえ」と言われた。
桜井先生は、北里大学東洋医学総合研究所の漢方医の先生です。
その占い師を桜井先生は知らないが、興味本位で会ってみたいと思っている。
患者さんは、重症の膠原病で痛みに苦しんでいた。
有名な医学雑誌の編集長は、近代医療を適応しても80%の患者は
別に良くも悪くもならず、あるいは自然に落ち着くところに落ち着くことを発表している。
江戸時代の 富永医師の「吐方考」に、患者100人いれば、
別に治療しなくても60人は勝手に治り、10人は治そうとしても死んでします。
10人あ医療が効いてよくなり、10人は治療しても同じ症状。
良い医者にかかるか悪い医者にかかるかで予後が変わってくるのは
10人のみだと。
最後に次のように書かれています。
さらに「自灯明」ではないが、他人の言うことだけではなく
自分の身体の声を聴くことだ、
そして調子が悪くなれば、食べ物や環境を変えて反応を見ることだ。
巫(ふ)と医を少し斜めに見ながら、自分の身体の反応を信じて
動くことが一番だと思うと。
円覚317号で桜井先生は次のように書いています。
「私は技術としての医だけでは不十分だと思う。
太古の時代に巫(ふ)を求める人の気持ちもわかるような気がする。
それは、私が難病に向き合う人を観て感じることでもある。」と。
僕に取って素晴らしい言葉で心の底から納得が行きました。
縄文時代の巫に大変に興味を抱いて書物を紐どいています。
今、素晴らしいお医者さんの友人がいますが、
ここ1,2年 診てもらうことはほとんどありません。
何とか自分自ら対応していますが、
ふとあちらの世界からお迎えがくるのではと思いつつ・・・
今回の箱根勤行も同じですね。