新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

バングラデシュの国策だそうで

2018-05-28 08:46:03 | コラム
>何故新宿区百人町にバングラデシュ人が増えるのか:

先日、ジムで顔馴染みになったネパール人に「近頃大久保通りにはネパール料理屋か酒場が増えて、バングラデシュ人が店番をするハラルフード店兼八百屋が異常に増えたのと同様に目立つが」と問いかけてみた。このネパール人は未だ30歳になったばかりだが、飯田橋にアジア料理とカレーのレストランを経営しているそうだ。日本語もかなり達者だが、英語の方が上手い氏話が分かりやすいと思う。

彼の解説では「自分は大久保通りに店を出すことは考えていなかった。理由は客というか見込み客の質が良くないか乃至はあの辺に住んでいるアジア系を主とした外国人は可処分所得(で良いとも思えないが)が少なく、市場としての妙味がないから。故に飯田橋を選んだ」ということだった。ズバリと言えば「客種が悪い」という意味だろうと解釈した。確かに我が物顔で歩き回っているのは日本語学校の留学生と思える中国人の若者が圧倒的だ。私でも彼らは宛てにできないと思う。

彼は更に「バングラデシュ人が多いのはあの国の国策である。世界最貧国の一角を占めているので、国内に十分な職がなく諸外国に必ずしも若者ではない者たちまでも送り出していると聞いている」と言った。「なるほど」と思わせてくれる説得力があった。私は彼らバングラデシュ人が我が国までの渡航費を個人で負担し、尚且つ自国よりも遙かに生活費がかかるはずの我が国で、如何なる在留資格で生活し、店舗を運営しているのと不思議に思っていた。

彼が言うこと正しければ、バングラデシュは国費で自国民を裕福な国を狙って送り出していることになる。しかも彼らは如何なる手段と手法でハラルフード店兼八百屋というか雑貨屋を営んでいるのか知らないが、少なくとも我が国のインフラを悪用しているのであり、もしかして手配師がいて国民健康保険にも加入しているかも知れない。そう疑う根拠は既に述べたことがあるが、上は国立国際医療研究センター病院から街のクリニックまでには国保の保険証を持った外国人(欧米人を除く)が数多く来院している。

President誌の最新の6.18号の石塚二葉氏の論文によると「日本で働く外国人労働者数は2017年10月末現在で約128万人、このうちベトナム人が約24万人で全体の18.8%を占める。これは29.1%の中国人に次ぐ人数だ。」とあるし、これまでに見たこの種の統計でもバングラデシュ人は上位には挙げられていない。だが、ここ百人町/大久保通りには彼らが増えている。私の被害妄想では「我が国は食い物にされていないか」となるのだ。

私は知り合いのネパール人が大久保通りにはビジネスチャンスがないと指摘したのは慧眼かとすら考えている。何方でも一度でもお出で願えれば解ることだが、兎に角中国を主体としたイスラム教徒を含んだアジア人が「新宿区は我が街」といったような表情で安心しきって闊歩している。そこには間もなくドンキホーテが閉鎖したパチンコ店の後に進出する。しかもアジア人の買い物客で埋め尽くされている「業務スーパー」の隣である。

ンキホーテは彼らから何を吸い上げる気なのか?それとも餌食になることを覚悟での進出か。私が危惧することは、あの2店が並んで悲しい競争をするのを見物させられることになりそうだという辺りだ。


5月27日 その2 趣味と趣向は人ぞれぞれ

2018-05-27 10:00:31 | コラム
西城秀樹が亡くなって:

先頃、西城秀樹が亡くなって「あらためて趣味と趣向は人ぞれぞれ」と痛感した次第。私は以前に主宰者・渡部亮次郎氏が指摘しておられたように歌謡曲というか流行歌には興味も関心もない。故に、御三家だか何だか知らないが西城秀樹と言う流行歌手がいて「YMCA」と歌って腕を振り回して信号を送っているくらいはテレビの画面で見ていた。郷ひろみとかも、あれほど拙い歌い方でも人気が沸騰するとは良い商売だなという程度の認識はあった。

その西城秀樹という歌手が若くして(63歳)で亡くなるや、全部のテレビ曲を挙げて彼の早死にを悼むのは解るが、全国におられる彼の無数のファンの方が都内の葬儀場に集い、涙を流してその死を悲しむ風景には圧倒された。恐れ入った。中には「私の車の中には西城秀樹さんのテープしか流れないようになっていて、今回の彼の死で漸く主人を納得させた」とまで回顧された中か高年のご婦人がおられたのも極めて印象的だった。

率直に言って私には流行歌手を崇め、彼らを人生の行く手を教えてくれる灯火の如くに見做しておられる方々が、あれほど全国に数多くおられるのは驚くまでに呆気にとられている。だが、趣味や趣向はその方の独自のものであって、他人がとやかく言うべきではないとは承知している。だが、あの程度の歌手がそれほど奉られるべきなのかと、今更ながら「蓼食う虫も好き好き」とまでは言わないが、“Different strokes for different folks”だろうかくらいには考えている。

言わせてもらえば、アメリカのジャズスインガーでエラ・フィッツジェラルドやセアラ・ヴォーンなどは好みの歌手だった。だが、彼女らが亡くなったと知っても「それは残念だった。持っている彼女らのCDは大事にしよう」と考えた程度の感懐だった。彼女らは私を楽しませてくれる存在だったが、崇め奉るべき者たちだと思ったことはない。そうであれば、故西城秀樹さんは「エラやセアラたちよりも幸せな歌手だったのだな」と思いたいのだ。


日本大学フェニックスの悪質なプレー問題を考える

2018-05-27 08:25:34 | コラム
偽らざるところを述べていこう:

私はどちらかと言えば、これまでこの問題については日本大学とフェニックスに対してい厳しい論調で臨んで来なかったと思っている。そこにはそれなりの理由もあるのだが、マスコミ論調とその影響で(と敢えて言うが、未だに我が国では悲しいかなマイナースポーツであるところから脱していないフットボールのことを一般の方がどれほどご存じかと思うから言うのだ)これまでに関心がなかった方たちが一斉にフットボールと日本大学に対して批判的になっておられたとの感が拭えないと思っている。

正直なところ既に指摘した通りで、誰がどう弁明しようと何だろうと、非は日本大学フェニックスの側にあるのは疑いの余地はない。日本大学には責任を逃れる余地は残されていないと言える。また、関西学院大学のあのプレーで負傷したQBの親御さんは真実を述べたのだからとの理由で、宮川泰介の減刑だったかの嘆願書を出されるというのには違和感を禁じ得ない。いや、それ以前に「如何なる理由があろうともあのプレーをした宮川泰介を告訴する」とまで言われるのには、如何なものかと思っている。

私は高校2年の頃(1949年)だったと思うが、サッカーの公式の試合中に左足だったかの向こう脛を激しく蹴られたことがあった。当時は「脛当て」などという高級なものはなく、我々は素足に手編みした毛糸のストッキングを履いていただけだった。その瞬間は「痛いな」とは感じたが、現代風に言えばアドレナリンがでまくっていた緊張する試合中だったので、何とも感じないで試合を続けた。だが、終わってみれば臑が割れて大出血の上に骨が見えるかと思ったほどの深手を負っていた。

その瞬間に激痛が襲ってきて立っていられなかった。応急手当の真似事をした上で仲間の肩に縋って帰宅した。相手の無防備の脚を蹴ることは明らかな反則だったが、試合中のことで誰に蹴られたかなどは解らなかった。ましてや、反則で負傷させられたからといって相手校の選手を訴えるなどは夢でも考えられなかっただろう。だが、フットボールでは試合の進行の仕方が違うので、誰が何時どのような規則違反をしたかは7人の審判の1人で至近距離にいる者が見ているからマーカーが投じられるのだ。

あの宮川泰介が犯した規則違反は余りにも常軌を逸していたので、現在に至るまでの厳しい日大側に対する責任と原因追及が続いている。そこまでは十分に理解できる。何度でも言うが「非はと言うか、責任は日大側にある」のだから。だが、被害届の提出や告訴にまで持って行かれるべき性質なのかなと、私は未だに半信半疑である。だが、「そこまでなさらない方が・・・」などと言い出せないのだと思わざるを得ない。

私は宮川泰介が勇気を出して(出したのだろう)監督とコーチに如何なる指示を出されてあのプレーに及んだかを正直に告白したのは、結果的には良かったとは思っている。だが、だからと言って、規則違反をせざるを得ないとまで指示か命令を解釈したのは免罪になる性質ではないと思っている。勿論、もしも監督とコーチが宮川君が述べたような指示を出していたのであれば、彼らの責任は宮川以上に重大だろう。

これまでに関係者であるとか、野球出身のスポーツジャーナリストまでがテレビに登場して色々と意見を述べたり解説したり、時には「御託を述べているな」と「フットボールとは何か」を知らずに語っているのは如何なものかと思ってきた。既に「彼らは何か日本大学に対して含むところがあるのかなと感じた」とも述べた。体育会乃至は強豪校の運動部の実態と在り方を外から見ただけで云々するのが適切ではないと思わせてくれる論調もあった。だが、世間には受け入れられてしまったようだ。

そこに、ここに至って漸く元京都大学監督の水野弥一氏(確か現在は立教大学監督)が産経新聞に「競技の本質を正しく理解を」と題して投稿しておられたが、私はこれを読んで「漸くにして初めて正当な議論が出てきた」と感じた。

水野氏は“「止められたのに止められなかった」「けしかけた」ということであれば責められるべきだ。だが、今回のことをもって、アメフット界全体がおかしいと思って欲しくない。アメフット界全体が、ああいうことをしないように自分を振り返るのはよいと思う。”と言っておられる。更に結びには”アメフット界として、「あのような反則は普通はしない」「起こりえない」とはっきりさせて、多くの人に理解してもらう必要がある。”と言われている。この辺りは日本大学フェニックスにこの際に誓ってもらいたいことではないのか。では誰が誓うのかは言うまでもないだろう。


内田前監督と井上前コーチの記者会見:

2018-05-26 08:50:04 | コラム
「言わされている感が満載」:

またしても日大関連である。昨25日のTBSのヒルオビだったと思うが、日大フェニックスのOBの1人があの内田前監督と井上前コーチの記者会見を評して「言わされている感が満載」と言ったと報じていた。実は、私もあの井上コーチ(当時)が言い淀んでいたことと苦悶の表情を見て「これは恐らく何らかの指示を受けて出てきた結果か」と疑いたくもなる。そこに同情するのではなく、不手際な会見になってしまった点は否めなかったと指摘したい。責められても仕方がない不手際だっただろう。

不思議に思えてならなかったことは、既に文藝春秋社に内田監督(当時)の試合後のインタービューの録音が渡っていた点だ。文春が日大と関学のアメフトの定期戦で何か問題が起きると予測して取材に行くものだろうかと思った。文春には何処か別の経路で渡ったのだろうか。

あのような音声が流されていて、監督が何を語ったかは知れ渡っていたのだから、あの場で宮川証言を否定してかかるのは至難の業だったと思うのだ。その辺りが「言わされている感云々」となったのであろうか。それにしても、あの会見には準備不足な点と矛盾点を浮かび上がらせてしまったようで、自らを一層不利な立場に追い込んだだけになった。


5月25日 その3 ”ame futo”と書かれてしまった

2018-05-25 16:50:08 | コラム
「アメフト」と呼ぶのには違和感がある:

中々「フェニックスの悪質タックル」から離れられないのだ。と言うのは、別途採り上げたNY TIMESの記事には「アメフト」をそのまま“ame futo”と表記されたように、我が国ではあの球技を未だに「アメリカンフットボール」として略称が「アメフト」なのである。「またアメリカか」と言われそうだが、アメリカではアメリカンフットボールなどとは言わない、丁度アメリカンコーヒーがないのと同様に。アメリカでは football と言えば、誰しもがあのフットボールだと受け止めるのだから。

ご存じのようにボールを扱う球技にはUKが発祥の地であるラグビー(=Rugby football)とサッカー(=Association football または soccer)がある。我が国では両方ともカタカナ表記で十分通じるほど広まっている球技だ。であれば、私に言わせて貰えば「何の必要があってフットボールの前にアメリカンと付ける必要があるのか」となるのだ。アメリカごと同じにフットボール(=football)で十分だと思うのだ。

その昔にはある大学では「ア式蹴球」と「ラ式蹴球」と呼ばれていた時期があったし、戦後には「米蹴」か「米式蹴球」と言われていた記憶もある。また、防具を着けていることから「鎧球」とも言われていた。私には、それが時移り人変わって「アメフト」になってしまったのは不思議に思えてならない。故に、私は常に「フットボール」と書くようにしてきたが、未だに何処からも疑問を呈されたことがない。だから、NY州の新聞に“ame futo”と揶揄されたのではと真剣に疑っている。