新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月18日 その2 UKのヘンリー王子の結婚

2018-05-18 16:38:00 | コラム
テレビ局は何故この件で大騒ぎをするのだろう:

私には良く理解できない。ヘンリー王子は次男であるし、何故各局があれほど嬉しそうに報道するするのかと不思議に思えてならない。極端な表現を使えば「世界の重大ニュースではないし、どうでも良いことではないのか」とすら考えている。他にもっと重要な案件が世界中に転がっているのではないのか。例えば、金正恩委員長が矢張りと思わせてくれるように、トランプ大統領との首脳会談の開催を取り止めるようなことを言い出したとか。尤も、加計問題の追及こそはどうでも良いことだと信じているが。

それと、もう一つ。このヘンリー王子とメーガン・マークルさんのご結婚報道には私の興味を惹く点があるのだ。それは「我が国のマスコミは欧米人の『ファーストネーム、ファースト』の原則が未だに解らず、常にファーストネームを名字の如くに扱って報じる姿勢のおかしさ」がこの件の報道では全く現れていないのだ。全ての局がと言って良いほど「マークルさん」とラストネーム(=名字)で呼んでいる点だ。やっと解ってきたかと思わせるが、私は単なる偶然だと思っている。

1945年に戦争が終わって名字と名前の順序が我が国とは反対である欧米の人たちとの交流が始まって73年も経ってしまった今になっても、ほとんどのテレビ局は欧米人を「マイケルさん」だの「ポールさん」という具合に名字ではない呼び方をしている。それでも不思議なことに「マイケルさん」は「マイケル・ジャクソン」のことだと解ってしまうようだし、「ポールさん」は「マカートニー」を指していると通じるようだ。では、何でUKの王子の婚約者は「マークルさん」になってしまうのだろう。

あれほどおかしなカタカナ語を濫用する連中が、何故ここだけは「メーガンさん」としないのだろう。チャンと解っているのだったならば、もう好い加減に「メジャー」(正しくはと言うか私の望みは「メイジャー」だが)や「セキュリティー」(正しきは「セキュアリテイー」か「セキュアラテイー」だが)のような誤ったカタカナ表記を使うのを止めたらどうだろうと言いたい。


日本大学フェニックス

2018-05-18 08:00:44 | コラム
何故マスコミはあそこまで採り上げるのだろうか:

兎に角、ここ数日はテレビを点ければ「日本大学フェニックスの悪質なタックル」の話題ばかりである。昨日辺りからはそこに西城秀樹の訃報が加わって少しは緩和されたが、兎に角フェニックスなのである。それでは長年のフェニックスの支持者としては些か憂鬱である。昨日の午後には関西学院大学のアメリカンフットボールの監督とデイレクターの記者会見などは恐らく全局が中継していただろうと思う賑わいだった。

私には最早日本大学フェニックスは「水に落ちた犬」(では言い過ぎかな?)の如きにされてしまったとしか思えない。それでもマスコミは叩き続けるのは何故だろうかと思うと気すらある。(アメリカン)フットボールに関心がある読者や視聴者がどれほどおられるのだろうか。

私はあのプレーには弁解も弁明の余地もないことで、日大側からは理屈も何も言えない性質だと思っている。前回も述べたが「謝罪の文化」がある我が国のことであるから、先ずは認めるべき事は認めて謝罪することから入っていく必要があると考えていた。ところが、関学に日大から昨日採り上げられた釈明文が届いたのは15日だったと言われていたから、それでは如何にも遅すぎるとしか言いようがない。マスコミ風に言えば「関学が怒りの会見」となったのも仕方がないだろうと思う。

日大には新設された学部に「危機管理学部」がある。それにしては今回の危機については打つ手打つ手が遅すぎるのではなかったかと言いたくもなる。日大の側にも色々とあのようなことになってしまった原因というか経緯については理屈めいたことがあったかのようだ。だが、それを事ここに至って取り出して関学側に知らせるというのは余り得策とも思えない。関学には「信頼関係が崩壊した」とまで言わせてしまった。

私も何があったかについては少しくらいは知り得た事柄もあったが、そんなことを今更採り上げても何の意味もあるまい。日大側が可及的速やかに講ずべき手段を講じて、事態を解決の方向に持って行って貰いたいと思うだけだ。それが内田監督の謝罪なのか、#91が負傷した関学のQBとそのご家族にお詫びに行くことなのかは知らない。ただ黙って成り行きというか日大の善処を見守っていくだけだ。

それにつけても違和感があるのはマスコミのこの問題の採り上げ方だ。産経新聞などは日頃関東大学リーグ戦の試合の結果などは1行たりとも報じたことがない割りには、今回はあの詳細な報道の仕方と日大の批判である。他の新聞もテレビ局も似たようなものである。私には彼らマスメディアが何か日本大学に対して含むところでもあるのかとすら考えさせられてしまった。

だが、視点を変えれば、何となくマスメディアと野党連合の安倍内閣と加計問題に関する不当な追及とその報道を、自分たちの手で片隅に追いやったかの感さえある。その点だけが今回の「悪質なプレー報道」におけるマスコミの連中の取り柄かも知れない