新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月27日 その2 趣味と趣向は人ぞれぞれ

2018-05-27 10:00:31 | コラム
西城秀樹が亡くなって:

先頃、西城秀樹が亡くなって「あらためて趣味と趣向は人ぞれぞれ」と痛感した次第。私は以前に主宰者・渡部亮次郎氏が指摘しておられたように歌謡曲というか流行歌には興味も関心もない。故に、御三家だか何だか知らないが西城秀樹と言う流行歌手がいて「YMCA」と歌って腕を振り回して信号を送っているくらいはテレビの画面で見ていた。郷ひろみとかも、あれほど拙い歌い方でも人気が沸騰するとは良い商売だなという程度の認識はあった。

その西城秀樹という歌手が若くして(63歳)で亡くなるや、全部のテレビ曲を挙げて彼の早死にを悼むのは解るが、全国におられる彼の無数のファンの方が都内の葬儀場に集い、涙を流してその死を悲しむ風景には圧倒された。恐れ入った。中には「私の車の中には西城秀樹さんのテープしか流れないようになっていて、今回の彼の死で漸く主人を納得させた」とまで回顧された中か高年のご婦人がおられたのも極めて印象的だった。

率直に言って私には流行歌手を崇め、彼らを人生の行く手を教えてくれる灯火の如くに見做しておられる方々が、あれほど全国に数多くおられるのは驚くまでに呆気にとられている。だが、趣味や趣向はその方の独自のものであって、他人がとやかく言うべきではないとは承知している。だが、あの程度の歌手がそれほど奉られるべきなのかと、今更ながら「蓼食う虫も好き好き」とまでは言わないが、“Different strokes for different folks”だろうかくらいには考えている。

言わせてもらえば、アメリカのジャズスインガーでエラ・フィッツジェラルドやセアラ・ヴォーンなどは好みの歌手だった。だが、彼女らが亡くなったと知っても「それは残念だった。持っている彼女らのCDは大事にしよう」と考えた程度の感懐だった。彼女らは私を楽しませてくれる存在だったが、崇め奉るべき者たちだと思ったことはない。そうであれば、故西城秀樹さんは「エラやセアラたちよりも幸せな歌手だったのだな」と思いたいのだ。



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