新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が冷静なスポーツ評論家と称する背景

2015-09-27 15:36:35 | コラム
回顧談ではあっても自慢話ではありません:

申し遅れましたが、私のスポーツの履歴をここに採り上げて物知り顔で冷静に!評論をする背景を。私が湘南高校サッカー部の一年生部員(とは言っても中学から通算では4年目)の昭和23年の福岡国体で決勝戦で広島師範附属高に1対0で負けました。我々は県予選の前から決勝戦で前年の覇者・広島師範附属高と当たることを想定して練習し、前年第2位だった県立宇都宮高校に広島師範附属高を訊きに行ったしておりました。今で言えばスカウティングをしていたのです。

この決勝戦での敗戦はあろう事か広島師範附属高が時間を間違えて遅刻し、協会は不戦勝を宣告すると言ったのです。だが、我が湘南の監督が「武士の情けだ。試合をやろう。優勝が不戦勝では」といって敢えて試合をした結果でした。詳細は避けますが、取られた1点は今ならば反則に採られる性質でした。無念残念でした。因みに、相手には後に協会長にになった長沼健氏がいました。

なお、この当時のメンバーの生存者(?)は今でも集まって昼食会を年に一度は開催しております。7~8年前まではフットサルを楽しんでいましたが、人員不足で(誰だ?「高齢化ではないか」と言うのは)で取りやめになったようです。

私は進学した大学が関東大学リーグ4部というサッカー経験者が少ないところでしたので、4年間遊んでいたようなもので厳しい練習もしませんでした。そのお陰で一部校に進んだ連中よりは体力の消耗が少なかったと思っております。就職後は暫く母校の非公式コーチをやっておりましたが、病気になったことと社業に専念する為に昭和35年末でサッカー部と縁を切っていました。その後アメリカの会社に転身してからは、とても運動どころではなく、完全にサッカーとは無縁となりました。

野球を語る理由はこんなところです。それは湘南が昭和24年にたった一度出た甲子園で優勝した時の選手たちの補欠を含めた3人が同じ組にいたことがあります。更に、この組には後に東大を経て東洋紡の専務になり、高野連の会長にもなった脇村春夫君もいましたし、サッカー部が野球部と親しく、練習が終わった後などに一緒にやって遊んでいたのです。故に、野球部以外の一般人よりは遙かに野球に親しみ、勉強していました。

また幸運だったのは私がリタイヤーするまで19年間在籍したW社で我が事業部がシアトルのKing Dome(既に老朽化で取り壊されました)のボックス席を持っていたので、相当回数のMLBの試合を見ておりました。またアメリカ人たちの野球の知識は残念ながら我が国の所謂野球ファンよりも優れていたので、彼らと観戦することそのことで彼らの解説を聞くことで新たな知識吸収の機会になった次第です。

それに1970年代のMLBの野球の質は今よりも洗練されていたと思います。それは見事なものでした。その理由は現在よりも遙かに野球しか出来ない南米勢が少なかったことがあったと思うのです。MLBに来る連中は大学までに三大スポーツを経験し、どれを選んでプロになるかを考えていたほど、言うなれば万能選手が多く、鍛え方も知識も南米出身者とは違っていたからです。

フットボールを語るのはアメリカで年に3ヶ月以上も滞在する機会があったので、同じく事業部が持っていた年間指定席で何度もNFLの試合を観る機会がありました。ここでも彼らの知識に学ぶ点が大いにありました。それのみならず、私自身が愚息2名が高校から関東大学1部リーグでやっていた事もあってそれなりに言わば「門前の小僧習わぬ経を読む」的なアメリカ人にも負けない程度の知識があって楽しめましたからでしょう。

また、昭和21年から進駐軍のフットボールを観ていたので、自分自身がフットボールが好きでしたし、愚息たちの練習から試合まで10年以上も見て一般の方よりも精通した次第です。私の個人的な好みではフットボール観戦の面白さが最も優れ、野球がそれに次ぎ、バスケットボールの魅力もそれに劣らないかと思っております。何と言ってもアメリかにいれば三大スポーツ観戦が楽しめる知識がついたのは有り難いことでした。

バスケットボールは野球とフットボールを加えてアメリか三大スポーツと言われるほどで、これもNBA(プロです)やNCAA(大学です)の試合を相当な数見て楽しみました。一説にはこれにアイスホッケーを加えて四大スポーツとも言います。私はシーズンが噛み合わず、アイスホッケーだけは一度カナダで2部の試合を見ただけで、後は日本国内で社会人の試合を2~3回観ただけですから、多くを語る材料がありません。だが、あのカナダで観た一部昇格を目指す選手たちが本気(だと見えました)で殴り合う迫力には驚かされました。

問題はサッカーです。サッカーを見るのも良いのですが、何分にもそれほど点が入らず、私の場合には少し経験があった為に、何時まで経っても「あの場面では、俺だったらこうする」というような見方から脱却出来ずに楽しめない時が多いのです。それに今の代表選手たちには伸びしろが残っておらず、余り多くを期待出来ないのも難点です。ではあっても何時も緊張感を持って男女の代表の試合を見ております。

私は張本勲を真似るのではありませんが、UKやイタリアやドイツのサッカーを見せられても楽しくはありませんので、欧州のサッカーリーグの試合のテレビ観戦はほとんどしません。それに我が同胞があの異文化の世界に入って体力と体格以外の面で勝負せねばならない大変さを自分のアメリカの会社暮らしで良く解っているだけに、「余り無理をしなさんな。苦労は言葉だけでも十分だろう。好い加減にして帰ってこい」と言ってやりたい気になってついなってしまうのです。

この外国の会社やスポーツの世界で暮らし何とかやっていく難しさというか大変さは経験しないと解らない微妙で且つ辛いことなのです。それ故に、張本勲とは異なった視点で「外国で自力で稼いで暮らし大変さ」を言いたくなってくるのです。この点は些か冷静さを失って感情的になってしまうことがあります。

偶にはプロ野球を論じよう

2015-09-26 08:16:34 | コラム
巨人だけには優勝もさせたくないし日本シリーズにも行かせたくない:

野球観戦は寧ろ好みなのだが、ここで採り上げて論じたことは少ないように思う。そこで今回は本26日から始まる2ゲーム差で首位を争っているヤクルト対巨人の2連戦を中心に語ってみよう。念のために申し上げて置くが私は巨人嫌いである!

*悲観的観測:
そこから入れば、ヤクルトに勝たせたいのだが、冷静な悲観論者はティーム打率もリーグ最低で金に飽かして他所からかり集めてきた一時代前の出来損ないオールスターてィームのような巨人が有利であるような気がしてならない。それは、毎日気を付けてみている訳ではないが、ヤクルトは使うべき投手がローテーションでは石川か山中か石山くらいしか残っていない気がするから言うのだ。彼らがトップテンに坂本しかいない巨人を抑えきれるとは思えないのだ。

*両者の比較:
一方の巨人は難敵だろうポレダと大竹(もと広島で嫌悪する一人だ)は残っているし、明日には菅野の順番も回ってくるかも知れない。要するにヤクルトの川端、山田、畠山、雄平、バレンティンが抑えられずに巨人の投手を打ち込んでも、二線級しか残っていないと私が危惧するヤクルトの投手が昔の名前で出ている巨人の阿部、高橋由、長野、片岡、井端、他所から来た立岡に加えて子飼いの坂本らを抑えきるか否かにかかっていると思う。

*悲観論:
そのもう一つの根拠は上記の5名のヤクルトの強打者は優勝争いの経験が無いのに対して巨人の昔の名前打線は経験たっぷりなのである。そういう場面に立たされて川端と山田がどれほど打撃トップ10の力を発揮出来るかと、一寸粗雑なバッティングをする畠山がチャンスに打ってくれるかだ。雄平は昨年は良かったが、今年は粗雑だったが徐々に調子が上がってきたが、さて大一番ではどうかと言うこと。

*ヤクルトの分析:
そこでもう少し詳細にヤクルトと巨人の戦力を巨人嫌いの偏見に基づいて分析してみよう。私は何年前だったか私にとっては無名の二塁手・山田哲人のバッティングに何とも言えない閃きを感じて「ひょっとして彼は伸びるかも知れない」とは見たが、今年初めの大振りに過ぎる辺りを見てやや失望したし、ヤクルトの成績如何は彼の復調にかかっていると論じた。そしてその通りになった。

私は彼が軽く振ったように見えてホームランになってしまう事を見るのが気分爽快で良いと思っている。だが、彼がトリプル・スリーとやらを達成してもホームラン打者にはなって貰いたくない。ホームランを沢山打つバッターにはどうしても粗雑さが残るから言うのだ。緻密なバッティング川端に任せておけば良いと言うかも知れないが、彼以外は皆一発屋に近いではないか。

さて、投手だがやっと10勝には到達したが、小川が去年までの小川ではない気がする。身体も小さく特に球が速い訳でもなく、驚くような決め球種もない彼があそこまでプロでやれたのは何故かをここでもう一度振り返って緻密な投球で巨人を抑えて貰いたい、もしも出てくるのならば。石川も小柄で特に速い訳でも無いが、今年も健闘している。彼は比較的巨人をお客様にしているので期待したい。飯山はローテーションがどうなっているか知らないので、ここでは除外する。

*巨人の分析:
漸く巨人である。私は結論から言えば「このティームの今年の苦戦の責任も原因も監督にある」と思っている。相手が事巨人となると新聞もテレビも御用解説者も沈黙してしまうが、あの阿部の使い方に絡んだ捕手、伸びる見込みがない太田泰示を使ったこと、中々二塁手を決めきれなかったこと、村田の後継を準備していなかったこと、立岡というソフトバンクの余り物を外野に使わねばならないほど子飼いを育てなかったことを見れば解ることだ。

ティーム打率が低いことは論外で、坂本などは素質を活かしきれず0.274でトップテンの最後尾にぶら下がっている点などは打撃コーチ陣の無能を物語ってはいないか。そのコーチ陣は投手担当の斉藤を含めて子飼いを一向に育てていない。任命責任の問題であろう。打つ方では年齢の問題があるにしても村田、長野、片岡、亀井、井端(比較的低給だが)、高給取りの阿部等の不振は目に余る。

*予測:
私は2ゲーム差の優勝争いや来たるべきCS(クライマックスシリーズの略語、念のため)等では巨人に無数にいる修羅場を踏んで来た者たちの経験がものを言う気がしてならない。彼等の方が平常心で試合に出てこられるような気がしてならないのだ。ヤクルトでは山田があの軽く振っているように見えて球が遙か彼方に吹っ飛んでいくホームランが出るようだったならば、勝ち目が出てくるだろう。逆に言えば巨人は彼さえ押さえ込めばではいのか。

*結び:
私には上述のように巨人嫌いという偏見に基づいてヤクルトの勝たせたいという希望しかない。従ってこれは予想でも何でもなく、願望を述べているだけだ。だが、巨人中心のマスコミ報道と他球団とは一線を画しているところをご評価賜れば幸甚である。

雑感

2015-09-25 10:17:52 | コラム
9月25日に思ったこと:

(1)何故スコットランドに負けたのか:

「頂門の一針」3785号に朝日新聞から東海大のコーチ・土井崇司氏の戦評を引用されていた。私にはその中に

<それは、ボールを持った人間がすぐに寝てしまっていたからだ。日本は球を保持したいがために、すぐに寝るラグビーをしてしまった。これは、中学でも高校でも言えることが、弱いチームはすぐ「寝て」しまい、強チームは「立って」プレーできる。>

との指摘があったのが印象的だった。私はラグビーもフットボールも見るだけで経験者ではない。だが、この「寝てしまって」とある所が気になった。それはこの戦法はマスコミが嘗て礼賛しまくった早稲田の戦法で日本代表も採用する場合があると見える「ボールを持った者が頭を下げて突進し、昔は“ルース・スクラム”を作ってそこから早い球出しをする形を続け、これを繰り返せば何時かは相手の集まりが遅れるようになり守る人数が手薄になった時にバックスが持って走る」というラグビーそのものだと思ったからだ。

私は何故素早く球出しをしてバックスに展開して走ることを考えないのかと疑問に思っていた。そこで、何年前だったか、私が嘗て所属していたジムに全日本の代表がウエイトトレーニングに来た際の休憩中に2人いた大久保のどちらかに「何故か」を尋ねてみた。すると明らかに不快は表情で「そんな戦法は知らない。何の根拠で訊くのか」と一蹴された。

私が見た限りでは対南アでもスコットランド戦でも、我が代表のFWは敢えてマークする相手がいるところに頭を下げて突進戦法を採っていたと見えた。土井氏はその点を「寝てしまった」と言われたと解釈している。スコットランド戦では明らかにその点が読まれていて通用しなかったと思いたいのだ。

それ以外に問題だと思ったことはTB、特にウイングは真っ直ぐに走るだけでスコットランドの誰だったかが見せた「カットバック走法」を採らない点だった。それは直線には知った方が早いに決まっているが、相手のカットバックにあれほどやられたのだから、考え直す方が良くはないか。あれでは明治の大指導者、故北島監督の「前へ」戦法に未だに固執しているのかと疑いたくなる。

それと話題は変わるが、マスコミ報道では日本代表の「低いタックル」が賞賛されていた。だが、私はフットボール関係者から聞いたし、自分もアメリカ人の中にいて痛感したことで「欧米人(白人でも良いか)は上半身人間が多く下半身を攻めるのは効果的だ。だが、彼らは足を押さえ込まれても強靱な上半身が死んでおらず、何とか周囲を見回してパスする仲間を見出す強さがあるので、低いタックルが最善の手段とは限らない」を信じている。

(2)米の日本研究レベルは低級:
これは同じ3785号に掲載された平井修一氏の論文の題名だ。私は内容を読む前に極めて同感だと思った次第だ。それは22年半もアメリカ人の中で働き彼らの思考体系に馴染み、思想信条を知り得た者からすればというか、言わせて貰えば学者、評論家、所謂「知日派」や「親日派」と言われる人たちが語る「日本」の内容は屡々皮相的(”skin deep”というのは面白い)であり浅薄なのが気になっていた。

私は屡々アメリカを語る時に「内側から見た」を枕詞に使ってきた。それは私自身が彼らの組織の一部となるか、極力同化せねばなるまいと努めた結果で知り得たアメリカ人の正体を基に言うからである。即ち、私は学術論文乃至は学術書等の文献、研究論文、公式文書、統計資料、評論等から研究したのではなく、仮令東京が本拠でも1年365日彼らに接していて学んだ「アメリカ人とは」との地道な体験から語ってきたつもりだ。

別な表現をすれば、日本を語る多くの権威者の方々は日本語をこなし、(私のように)彼らの一員として長い年月仕事をしてこられた訳ではないのだと思っている。1990年代末期に連邦政府の重要な諮問委員であるIvy League大学の経済学の教授が日本経済を語る講演を聴く機会があった。私を誘って下さった北欧系の某社のK副社長と終了後に「あの程度が知日派か!」と意見が一致したこともあった。

W社にも社内で有名だった悪い表現では「日本人殺し」、即ち「日本に強い」マネージャーや副社長は何人かいた。だがその多くは東京事務所の担当者の通訳に依存していたし、日本文化やアメリカの思考体系の違いを完全に把握していたのではなかった。即ち、本部と東京の共同作業(今風にカタカナ語で言えば「コラボ」か、アー、気色悪い)の成果だった。

誤解なきよう申し上げて置くが、何もアメリカ側だけが一方的に日本を深く理解も認識も出来ていないのではない。我が方の多くの所謂知アメリか派や親米派も「その程度か」と思わせられることが多いのだから、引き分けとしても良いかも知れない。しかし、ここまで論じたのは広義の「皮相」であって、ビジネス、学術、スポーツ等に細分化して見れば、各分野には立派な方は幾らでもおられるだろうとは考えている。

(3)軽減税率案:
私は既に財務省のマイナンバーカード(イヤらしいカタカナ語だ!)併用案は「現実的ではない」と否定した。自公の税調も漸く立ち上がって財務省案の再検討と独自の案を出そうと言いだした模様だ。私は財務省が野田佳彦元総理を言いくるめて消費税率引き上げを言い出した頃から、何となく懐疑的だった。確かに財政再建は焦眉の急務だろうが、福利厚生がどうなろうと、それぽっちの増収で何になるのかと思ったからだ。

自分には関係が無いことだと思っていたので、簡単に食品関係だけを8%に残すのか、あるいはより低い税率にするかは別にして、一気呵成にアメリかのように別けてしまえば良いのではと考えていた。ところがイザとなると加工品がどうのという解説が現れて、何処までを対象にするかの線引きが難しいという、財務省側の懸案事項ばかりが取り沙汰されるようになって来た。

即ち、何処まで行ってもマイナンバーカード併用案でも指摘した点で、財務省は極力彼らの負担を軽減し現場に苦労させて増税を図るのが狙いとしか見えないマスコミ報道なのだ。私にはこれまでの方式が10%と(仮に)8%という二本立てに変わるだけだとするのが公明党の主張だとシンプル(英単語の誤用に近いカタカナ語だ)に考えてきた。私は自民党に古き悪しき野田毅がのさばっている間は事は進まないとの偏見を持っている。

スコットランドに負けた我が代表

2015-09-24 08:28:39 | コラム
力を出し切って負けた:

心ならずも連日ラグビーを論ずることになってしまった。23日夜は初めて我が代表の戦い振りを深夜(?)22時半のキックオフから見ることになった。マスコミは中三日である事を強調していたが、それは彼らが負けた場合の「言い訳」を予め用意していたことになるのではないかと、心中密かにその不見識さを嘲笑っていた。

(1)善戦健闘だったが、如何せん力が及ばなかった:
我が代表は前半にはマスコミの「中三日」とやらの懸念を振り払うように力一杯の健闘で、スコットランドのゴール前のライン・アウトからのモール(と言うのかな)を形成して押し切ってトライに持って行くなど、取れる間に取っていこうとの強固な意志を見せる力一杯の攻め方でスコットランドを押していった。だが、今回は南ア戦の反対で不用意な反則で前半だけでPKで12点も取られたのが、私には結果的に敗因になったと思わせてくれた。

その点を除けば、前半は互角以上の試合展開で、我が代表の実力はそこまで上がってきたかと思わせるものがあった。だが、よく見れば「良いプレーだ」であるとか「強いな、良くタックルに耐えて前進したな」や「身体の強さで負けていないな」と思わせるプレーの過半数は外国人なのだった。以前は外国人選手は個人的に目に物見せようとするプレーを展開し「皆で一丸となって」という我が国独自の精神とは異質の個人プレーが際立ったいた。

その欠陥がここまで来るとかなり是正され、彼らは「ティーム・ウワーク」に貢献しようとするかのように15人の一員である事というか、皆の為にやっていこうと一所懸命になってやるようになって来たと見えるようになって来た。それが混合ティームとしては嘗てない纏まった力を発揮する大いなる原因になっていたと、私は見ている。

と言うことは、ラグビーのW杯はサッカー界にある世界地域別クラブ選手権と同じ存在である事になってしまう。だが、世界の強豪国が外国人を加えているか否かは、私は寡聞にして知らないし、マスコミはそこまで踏み込まない。それは、例えばオーストラリアの有力選手が自国の代表に選ばれなかったので、一念発起してニュージーランドに渡って3年間プレーして選ばれる例があるのかという意味だ。

(2)試合の経過:
前半は我が代表が持てる力を限界まで発揮して僅差でスコットランドを追い詰め、特に前半最後のプレーでスコットランドのゥイングがあわやトライかと思わせるラインに際の快走を五郎丸が懸命のタックルでタッチラインの外に押し出した守りなどは「力の限界までのプレー」として褒めて良いだろう。そこまで良く耐えていたと私は解釈していた。スコットランドはその間に我が方の出方を十分に把握したと危惧していた。

しかし、マスコミが褒め称え、あのキックの前のお呪いのような仕草の解説までした五郎丸のキックが不思議なくらい決まらず、またスコットランドが危険な場所で反則をしてくれなかったことも敗因の一つに入れて良かっただろう。後半にスコットランドは我が方の細かいミスを逃さずチャンスに変えただけではなく、力というか身体の強さと鋭いカットバック走法で我が方に守りを切り裂いて5本のトライを決めて押し切ってしまった。

そこには「中三日」という不利な条件は勿論あっただろうが、アナウンサーが再三喚いた「猛練習の成果」で我が代表は最後まで気力で負けることなく、大敵を相手にして持てる力を十分に発揮して善戦健闘していたと、私は見ている。だが、そこまでやれても、勝負というものは意地が悪いもので、ここぞという時に実力の差が悲しいほど現れるものなのだ。私はあの35点差を大きな実力の差と見るのか、僅かの差と見るかは微妙な問題だと思う。

(3)不適切なアナウンサーの中継:
不愉快と言えば言いすぎかも知れないが、私はアナウンサーが我が代表が勝って欲しいと思う一念が余りにも中継の語りというか喚きというか叫びに現れていて、聞き辛かった。熱心なのは解らないのでないが、屡々当方の冷静な観察の妨げになっていたのは遺憾だった。思い入れ過剰だった。

あれではアナウンサーという名の応援団で少し冷静さを欠き主観が入りすぎている。例を挙げれば、主将のリーチ・マイケル(帰化人でありリーチが名字だ)がボールを持つ度に「キャプテンのリーチ・マイケルが」と期待感たっぷりに叫び、今にも彼が所謂「ゲイン・ライン」を突破して突進するかのように言うのは感情移入が過剰だと言うこと。

また、解説の大畑大介も豊富な国際試合の経験に基づいて解りやすく語ってはくれたが、彼もここぞというチャンスかあわやというピンチの局面では、完全に解説者の立場を忘れて一人の応援団員となってしまっていたのは如何なものかと言わざるを得ない。彼の心中は察するに余りあるが、解説者という以上、あそこまでの感情移入は避けるべきだっただろう。

(4)結び:
我が代表に力が付いてきて世界の強豪というか上位の国とあそこまで渡り合えることは十分に認識出来た試合だった。だが、そこまでの相手との試合ではほんの一寸したというかほんの些細なミスと、気を抜いた瞬間とか、あと半歩でも及ばなかった場合に取り返しの付かないピンチが襲ってきて失点に繋がってしまうものだと、昨夜の敗戦が痛いほど教えてくれた。

我が代表が残る二試合を勝ち抜く為にはこのような僅かの差を如何にして克服していくかにかかっていると思う。技術、体力、走力、判断力、ティームとしての総合力はかなり強豪国に遜色ないところまで来ていると見た。その先にあるものが「この僅かな」というか「ここぞという時にミスをしない力」を養うことではないか。だが、この辺りの差が、勝負を左右するものだと認識するよに精神力を強化して貰いたい。


私は心配している

2015-09-23 15:59:28 | コラム
ラグビーが再びマスコミにチヤホヤされ始めた:

私は偏見と言われようとも僻みと非難されようとも、マスメディア特にテレビが嘗てラグビーを持て囃すのは気に入らない。特にNHK等は大学対抗戦グループの早明戦などは総力で中継するのを苦々しい思いで見ていた。それがW杯で「出ると負け」になり、かの有名となった145対17の敗戦等があって、1993年に開始されたサッカーのJリーグが俄然人気となり、彼らのラグビー扱いも変わっていったのだった。

私はサッカー経験者としてその人気が高まって、あの「サポーター」と言われる大群衆が一試合中立ちっぱなしで応援し続ける有様をテレビ観戦して、当に隔世の感があると思っていた。しかし、良いことは長続きしないもので、サッカーも昨今はW杯で予選グループ敗退が続き、私はその行く先に暗雲が垂れ込めはしないかと懸念していた。どうやらその懸念の実態はこの度の「ラグビー」南アに勝ったことではないかと思うに至った。

それは我が国の10人の外国人を含む代表ティームが、イングランドで開催されているW杯で優勝候補の一角を占める南アフリカをあの80分を過ぎてから南アゴール前に迫って何度もペナルティーキックのチャンスを得ながら3点を取って引き分けに持ち込まずに、私には意外だったスクラムを選択して攻めきって逆転するという立派な勝ち方をマスコミが過剰に賞賛する姿勢が気懸かりになってきたので言うのだ。

TBS等はひるおびの恵なる軽佻浮薄な司会者が「これで三日連続」と認めたほどラグビーの特集を続け、我が代表が今夜対戦するスコットランドも一蹴して準々決勝に出ていくと言わんばかりの持ち上げ方だ。希望的観測を言うのは勝手だが、あれでは既に指摘したように増加しただろうラグビーの俄ファンを惑わすことになりはしないかとすら感じている。未だ大敵を相手に一度勝っただけではないか。驕る余裕などない時点である。

更に、新監督を頂いても一向に期待というか希望通りの成績を挙げてくれないサッカーは、相対的に見放されはしないかと本気で心配している。それだけではない、低次元の優勝争いが続いているセントラルリーグなどは、今夜も阪神対巨人戦も含めてそれなりか乃至はそれ以上に人気が高まりつつあるよだ。これでは、負け続けた男女のヴァレーボールとともにサッカーも忘却の彼方になりはしないかと少しく思っている。

TBSではラグビーの基本的なルールの解説などをやっていた。それなそれなりに結構だが、あの競技はスクラムのように大人数が密集したプレーになると、何が反則で何がそうではないかは余程ラグビーに精通したものでは無い限り「えっ、何で」となってしまう。更に、サッカーと同様にあれほどスピードが上がってきたにも拘わらず審判の人数を増やす改革を怠ったたので、反則や乱暴なプレー等を部外者が見極めるのは不可能に近いという問題もある。

念のために申し上げておくと、フットボールには「アンスポーツマンライク・コンダクト」(=unsportmanlike conduct)という「非スポーツマン的な乱暴なプレー」が反則となる。ラグビーにも勿論それはあるが、スクラムやラック等の密集の中では、テレビ中継などでは誰が何時乱暴したかは解る訳がない。それにUK系の競技では審判の主観が大きく反則の判定を左右するのは仕方がないと思っている。

私が個人的にマスコミのタグビーの扱い方他を嫌う最大の理由は、やれ「男のスポーツである」とか「UKにその根源がある紳士のスポーツで、試合が終われば“ノー・サイド”となって敵味方の別なく健闘を讃え合う美しさ」などと言うことだ。これではサッカーも野球も「男がやっていない」ことになるし「紳士がやっていない」と言うの同然だと怒っている。しかも、彼らは南アに勝つとは予想してくれなかったが、勝てばあのお祭り騒ぎだ。節操がない。

恨み節というか繰り言はこれくらいにしよう。私は冷静に言って南アには圧勝した訳ではなく、彼らが不用意な反則をして五郎丸君という稀代のキッカーの好餌となったことが主たる勝因とみている。力勝負で勝った訳ではないし、今夜のスコットランドも体力と体格に優る欧米人のティームである。お祭り騒ぎで応援して勝てるとは限らない。体格の不利を激しい練習で補って南アに勝ったと言うが、激しい練習をしたのは別に褒め称えることではない。

私は上記の個人的な憂いを抱えてはいるが、我が代表がこれから先もアウエイであることを始めとする全ての不利な条件を克服して、予選リーグを突破するよう、遙か東京の地から応援するつもりだ。だが、UKとの時差で22時過ぎから始まるのは病み上がりには辛いという泣き言で締めよう。