新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ホームドア物語

2014-06-27 17:55:34 | コラム
ホームドアはNABCOの製品の名称らしい:

本27日にメトロの副都心線を利用して東新宿から代官山に向かった。それで何気なく所謂ホームドアを見ると「ホームドア」と表示された以外に英文では "platform door" となっていた。これまでに何度も利用してきたが、そこまで注意してみていなかったのだった。

このホームドアについてはつい先頃、英語では "Platform screen door" か "Automatic platform gate" となっていると採り上げたばかりだった。しかし、メトロは平然として英語では "platform door" と表記し、そのカタカナ表記を「ホームドア」としていたのかと、遅まきながら気が付いた次第だ。

私は "platform door" を「ホームドア」とカタカナ表記しても、何ということなくなく理解出来るのが我が国の人たちの言語に対する融通無碍なところを表していると指摘した。しかし、私は細か過ぎてどうでも良いことかも知れないが、メトロが 「"platform door" ではカタカナ表記のホームドアを和文英訳したことになると承知していたのか」が気になったのだ。何となく「ホームのドア」が先にあり、それを英訳したのかなどと考えている間に代官山に到着した。

細かいことが気になって仕方がない私は、そこで帰宅してから検索すると「ホームドア」は「ナブコシステム株式会社(NABCO)の "Platform Door System" であるようだった。即ち、メーカーが "Platform door" の商品名を使っていたのだった。

今更ながらネットで知り得たことをご披露するまでのことで、何ら新鮮味がない情報であることをお許し願いたい。

W杯サッカーでGL敗退を回顧すれば

2014-06-27 07:28:16 | コラム
私に寄せられたW杯観戦の感想と意見:

私はかなりグループリーグ(GL)の敗退を嘆き且つ怒り、ザケローニ監督の采配を批判し続けて来た。これまでは「冷静な評論家」を標榜してきたが、明らかに感情的になり、冷静ではなかったと自覚している。そこで、私の友人知己が今回のGLを無残にも敗退したしまった我が代表を如何に見ているかを採り上げて紹介してみよう。

仏文学のTK博士は関東のサッカーの本場埼玉県出身者で彼独自の意見を聞かせてくれた。彼は「世界の強豪国、イギリス、イタリア、前回優勝のスペイン、ポルトガルと雖もGL敗退で、弱かったのは我が代表だけではなかったのでは」と指摘した上で、

<日本はヨーロッパのクラブで活躍しているメンバーだったと言いますが、イギリスだってイタリアだってスペインだってそうです。ザッケローニも、日本の協会も南米大陸に遠征して調整をすることに関して十分なノウハウがなかったのでしょう。そしてそれはイタリア代表も同じだった。

前回勝ち抜けたのは、やはり、岡田監督の力でしょう。戦術云々以前にスタッフの使い方云々、使えるコネクションが豊富だったのだと思います。(高地トレーニングの専門医をチームドクターとしてつけたそうです。)基本的に暑いところで勝ち残るには守備的な戦術をとると有利になります。だいたいブラジル代表が圧勝している時というのは必ずと言って良いほど守備的なチームです。

それを敢えて攻撃的なチーム作りを目指したのですから、リスクは大きかったと思います。ただ、南米というアウェイの地で、攻撃的な戦術をとった場合、どこまでいけるのか、という貴重なデータが取れたと思います。その意味で僕はザッケローニには感謝しています。>

という、私を考え込ませてくれた、彼ならではの卓見を聞かせてくれた。

一方では「我が国の選手たちは狩猟民族の競技に参加した場合に矢張り農耕民族では不利な点だったのではなかったか」とした上で、欧米の興業としてもノウハウを駆使する上手さを学ぶ必要があるのではないかと指摘。さらにアフリカ系の選手たちの活躍を見れば、卓球の世界では中国から帰化した選手が数多く活躍していることを想起させる欧米諸国でもアフリカ系の選手たちの多さに着目した」との感想を寄せてくれた人もいた。

そう言われてみれば、我が国と韓国のティームは言うなれば純血の選手で構成されたいた。そうかと言って、我が国が諸外国から優れた選手を招いて帰化させることまでやる必要があるのかと問われれば、否定するだろう。ラグビーの場合を考えてみれば、確かその国で3年以上プレーした実績があれば代表選手になれる規定があるとか。私はこの基準には違和感を覚えざるを得ない。

また、フットボール経験者からはTK博士と同様な指摘で、90分を走り動き蹴り且つ当たり当たられ続ける体力の不足を指摘されていた。ここには開催地が十分馴れていない南米であったこともあるとは言え、事前に調整出来たのではないのかと思わせてくれる。

最後に、私は既に指摘したことだが、これから先は目標を「先ず(欧州、南米、アフリカよりは低水準である)アジアで勝ち抜いてW杯本戦に出場すること」に置くことなく、欧米に優るとも劣らぬ攻守走と体力の水準に達したサッカーにまで持っていくことを目指して貰いたいものと考えている。

我が国がインドに抜かれ世界第4位に

2014-06-26 13:46:30 | コラム
世界銀行のレポート:

昨25日に21世紀パラダイム研究会の定例会で、上田会長ご推薦のエコノミストで証券投資コンサルティング会社テンダネスを経営される本間宗究氏の講演を聴いた。本間氏は議事録にして15枚にも及ぶ講演で、我が国が抱える多くの経済問題を解りやすい語り口で約2時間聞かせてくれた。

その全部をここに採り上げる気はないが、本間氏が何処も採り上げて報じなかったと何度か繰り返された話題に、去る4月30日に世界銀行が発表したレポートにあった「世界の経済大国(Biggest Economies、2011年の購買力平価ベース)」で我が国がインドに抜かれて第4位に落ちたことを指摘された。同氏の口ぶりからは「遺憾である」との響きが感じられた。

第1位はアメリカ、続いて中国、インドの順だった。第5位はドイツ、第6位はロシア、以下ブラジル、フランス、UK、インドネシア、イタリー、メキシコとなっていた。

余計なことかも知れないが、「購買力平価」(=Purchasing Power Parity, PPP)とは「各国の通貨の購買力を比率で表した為替レート。通貨の購買力は物価水準に反比例する」と、広辞苑にある。

本間氏は「我が国がインドに抜かれ世界第4位に落ちたことは実体経済のみならずマネー経済においても日本の存在感が薄れている状況とも言える」との懸念を表明していた。

我々の World Cup は終わった

2014-06-25 12:07:52 | コラム
私には悲しく惨めな敗戦だった:

理論的には「FIFAのランクでコロンビアよりも下位の2ヶ国との試合が終わって1引き分け1敗だったのだから、それらの国よりも上位にあるコロンビアに勝てない」ということになる。しかも、既に指摘したことで、心なきテレビ局か解説者が「コロンビアは既に勝ち抜けが決まっているので、メンバーを落としてくるかも知れず、その際には勝機があるかも」等と言っていたのは大きな誤りだった。即ち、それは両国の代表に対して非礼であるのだ。

我が国の代表は相手が二軍ならば勝てるかも知れないと言ったのと同じで侮辱的であるし、コロンビアを挑発したのと同様ではないのか。私には限りなく情けないことに思えたのだった。

ところで、コロンビアが如何なる手を打ってきたのかが、本日の最大の問題だった。彼等は恐らく綿密に計算したのだろうが、我が国与しやすしと見たのか何と8人も落として言わば二軍のような布陣で臨んできたのだった。私は「だから言ったじゃないか」の情けない気分で試合開始を待っていた。

我が代表のメンバーは昨夜のうちに知らされていたので驚きはなかったので、選手たちの立ち上がりの時点での表情の観察から入った。これまでの2試合とは違って目に輝きがあり、「やってやろう」という気迫も見えていた。だが、正直に言えば「勝てる」という予測は閃かなかったのだ。換言すれば「このやる気が何処まで続いてくれるか」なのだった。

そして試合が始まった。選手たちのやる気は相当なもので、私の目にもハッキリと見えてきたし、攻め込む勢いもこれまでにはなかった迫力があった。しかし私には「そこまでやって見せるのだったら、何でこれまでにやってくれなかったのか」と感じさせてくれた。試合の流れはコートジボアールの時と同じで「相手はバラバラで形が整っていないし、普段合わせていない者同士だから、今のうちに何点でも取っておいてくれ」という思いだった。

前半はその流れの中でPKで先取された1点を、46分目に本田のパスを岡崎が彼ならではのへディングで見事にねじ込んで同点にして終わった。その時の偽らざる感想を言えば「後半にコートジボアールがドログバを入れてきた途端にティームを一変させたようにコロンビアが正選手を投入してきた時に我が方が何処まで耐えられるかであり、最悪の場合は”前半を楽しませてくれてご苦労様”になりはしないかとの懸念があった」だった。

結果的には10番を付けた James Rodriguez なるものが加わってきてティームが変わってしまい、後はご覧の通りの無残な結果となった。一言で片付ければ「遺憾ながら実力の差が敗因だった」となってしまう。しかし、これでは何ら建設的な分析ではないので、私見を述べてみよう。余談を語っている場合ではないが、スペイン語では James が「ハメス」になってしまうのに、ロドリゲスは背中に James と書いていたのが面白かった。

順序不同で敗因を分析してみる。先ずは「体力と持久力不足」を挙げたい。次が「当たれ弱い」と言うか「直ぐに倒されてしまうこと」を指摘したい。あるフットボールのコーチは「ウエイトトレーニングが不適切かまたは不足では」と指摘する。この点は嘗て私が通っていたジムのトレーナーでフットボールのXリーグの一部に所属するティームのトレーナーでもあった人物もこの点を指摘していた。私も同感なのだ。

彼等は一様に身体が細すぎるように見えて仕方がない。その相対的な弱さがありながら走り回って当たり当たられて倒れている間に体力が消耗されていく者なのだ。

しかも、本日の中継を担当したテレ朝のアナウンサーは恰も審判であるかのように、誰かが倒れると「倒されましたがノーファウル」などと絶叫する。判定は笛が吹かれて初めて決まるので、アナウンサーが主観を入れて放送するのはおかしい。今日の審判は一度今野のエリア内のファウルでPKを取ったので、あれ以上の激しい反則でなければもう吹けなかったのではなかったか。

技術面でもう一つ挙げれば「シュートの不正確さ」だろう。これもアナウンサーも解説の松木も「惜しい」だの「決定的だったのに」を連発したのは聞き辛かった。惜しいシュートなど不要である。キチンと「2.44メートルx7.32メートルの枠内に入るシュートを蹴ってナンボではないか。3試合やって足で蹴って入った得点は本田の第一戦目の1本だけだった。今日だって何本蹴っていたか。根本的な問題である。

矢張り監督の選手起用にも再び疑問を呈したい。何故に遠藤を最後まで使わずに終わったのか。本田が何本のFKをミスったのか考えてみて欲しい。CKでも本田に蹴らせては中で待っているものに易しくないキックしか出来ず、ほとんどをショートコーナーに逃げた。あそこに遠藤がいればと残念に思った。確かに初めて出てきた青山は善戦健闘だった。私は遠藤と長谷部を並べて使いたかった。本田は強くはあるが遠藤ほどの組み立ては出来ず、香川を最後まで使わないのも疑問だ。

今日も強敵を相手に豪快な?縦一発を数多く蹴り込んで無為に終わった。今まで主たるゲームプランだったパス回しを避けていた。これも監督の方針だったのだろうが、負けてしまったのでは無意味だった。後ろへの消極的パスは減っていたが、未だ未だ自分で入れてやろうという積極性が不足だと見えた。実はキックオフの直後に相手陣内に入りながら、本田が選択したパスは右側の後方にいたサイドバックへのものだった。極論だが、私は「今日はこれで終わった」と思った。

これで言わば本戦での予選敗退だが、一刻も早く後任の監督を決めて代表ティームの再建というか作り直しを図らねばなるまい。それには言わば世界の二部のようなアジアで勝ってW杯に出ることを目標に置くことなく世界水準の体力と技術を磨くことではないか。Jリーグの水準で良い選手だからと言って選んだ者がどれほど世界で機能しているかを考え直すことではないか。

最後に選手たちの全力を振り絞った健闘と真剣さを讃えて終わる。格上の相手に全力を出し切ったひたむきさに感動した。君たちが将来に向けての基礎を築き上げた努力は立派だった。まだやりたい者は残って、後は後進に託そう。

コンビニのローソン会長からサントリーの社長に

2014-06-24 08:53:33 | コラム
ローソン会長からサントリーの社長に:

誠に素晴らしいことだと思う。新浪剛史氏は三菱商事を経てコンビニのローソンを大成長させ、安倍内閣でも日本経済再生本部「産業競争力会議」のメンバーにも選ばれている実力者である。

私は例によって、悲観論者としての見方を披露しておく。それは自分自身が流通業界出身(アメリカのメーカーに転身する前には我が国のメーカー直轄の内販会社に17年在籍した)だから言えるのだが、簡単に言えば「仲介業である商社ないしは販売会社か流通業界と製造業とでは、物の考え方が外部から想像する以上に大きな違いがあるのだ」ということ。

流通業界で俗に言われるように「人が財産」で、極端に言えば「コストは仕入れ先の製造業者との交渉次第で引き下げ可能だ」と言うこと。得意先の意向次第では交渉力を発揮出来るのだ。しかし、製造業では生産設備が頼りで「コストの引き下げを交渉出来る相手などいる訳がなく、絶対的にそのコスト以上で売り抜かねば、会社の存続自体が危うくなる事態を生じることもある」というギリギリの立場に置かれている性質なのだ。

しかも、製造部門は飽くまでも自社の組織内にあり、そこには流通業界にはない労働組合員が製造と生産に従事しているので、そこを如何に細部まで理解し把握するかという大事業が待っているのだ。しかも、業種によっては自分で販売するのではなく第三者、即ち代理店や二次販売店に依存することもあり、自分で売ってきた流通業と違って隔靴掻痒のもどかしさもあるのだ。如何に別な経営体である流通機構を掌握出来るかが重要なのである。

誤解なきようにお断りしておくと、新浪氏を云々しようというのではなく、製造業と流通業の文化の違いを、しかも外国の会社と日本の会社の間の違いを経験した回顧談であると申し上げておくのだ。新浪氏のことだから、そつはないと思うが、先ずは期待を込めて新分野でのお手並み拝見というところか。