新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が嫌う国語を乱すカタカナ語と造語

2014-06-11 16:01:23 | コラム
国語を乱すカタカナ語と造語 #1

排斥論者の弁:


私はこの手の言葉が余りにも数多く日常的に日本語に登場するのが不思議であった。だが、よく観察してみると漢字・平仮名・片仮名・ローマ字とともに和製英語やカタカナ語が使われている日本語は融通無碍であるという素晴らしさを見出した。それだけに止まらず、外来語を基にして新たな言葉を創造してきた先人と現代人の優れた知恵と創造性を見る思いがするのだ。

このような言葉を「外来語」と呼んだり「和製英語」と称したりするようだが、その多くはすでに日本語として戸籍を得てしまい、今更外国人登録をせよと迫るのは遅すぎるのである。これまでにこのことを幾度か採り上げて、かなり厳しい反論および反対に出会った。すなわち「今更それを否定することはない。このまま使い続けよう。最早日本語の一部になっているではないか」という方が多かった。私の論旨は「これらを使うのは各人の好みと自由裁量であるし、日常会話の中で使っても構わないと思う。だが、実態は純粋な日本製の言葉であり、英語(ないしは外国語)とは全く無関係であるという認識だけは持っていて欲しい」である。

私はこれらの言葉を英語にしてみれば全く別な意味になる例が非常に多いことを知って貰いたかっただけである。何故この主張をするかと言えば、「言葉は耳から入った場合の影響が強いので、テレビなどに登場するコメンテーター、有識者、学者、スポーツ等の解説者、議員等の社会的に認知されるかあるいは尊敬されている人たちが、無意識に使うかあるいは誤用すると、一般人はそれを素直に受け止めて英語だろうと思って使ってしまう結果になる点を好ましくない」と考えているからである。更にこの際、「何も知らずに使っているテレビ・タレント(これも造語だろうと思うが)たちの悪影響も無視できないことも言っておきたい」であった。

そこで、本題に入る前に「和製英語(=造語)とカタカナ語」の生い立ちを論ずることにする。そこには英語のように「表音文字」を使っている言語と、漢字のような「表意文字」と「表音文字」のひらがなとカタカナも使っている日本語との違いがある。そこに文法の違いが加わるのである。さらに日本の学校教育で英語を科学として取り扱い、しかも「生徒を5段階で評価するために教えて、話せるようにすることはその目的ではない」とする方針があることを申し添えておきたい。

さて、具体例を挙げてみよう。

「文法無視」:
その昔にテレビ漫画に「エイトマン」というのがあった。無理矢理に英語で綴れば ”Eight man” となる。これを見たアメリカ人が「8人ならば”men”ではないか?」と疑問を呈した。すると作者は「8番目の男」という意味であると答えた。アメリカ人は「それならば”8th またはEighth man”ではないか?」と追いかけてきた。すると作者は「もう、これで十分通用しているのだから、どうでも良いのだ」と答えて終わったそうである。

「単語を並べた」:
具体例は「ヒーロー・インタビュー」である。これはテレビのプロ野球中継に屡々出てくる言葉である。これは私の考えでは良く聞く「英語は話せないが、兎に角単語を並べたら何とか通じた」の例に分類したい。同時に文法無視でもある。だが、日本人で野球中継を見ていて、これが何のことか解らない人はいないだろうと言いたいほど日本語に「戸籍」を得てしまった。"hero" の発音は「ヒアラウ」か「ヒーロウ」に近い。即ち、気を付けないと "heroine" の発音が「ヘロイン」(="heroin" )と同じになってしまう危険性がある。

堅苦しい文法を言えば「目的語であるヒーローが先に出て来る日本語の語順で言葉を並べてしまった例である。強いて英語にすれば”interviewing the hero”辺りだろう」となる。ここには漢字を幾つか重ねて熟語を作り出す感覚が応用されていないか。

「ローマ字読み」:
いや、それが問題点なのである。嘗て、izaのブログで「ローマ字の功罪」、特に「罪」を論じた際の反響は凄まじかった。「ウルトラマン」という有名なテレビ漫画がある。スペルすれば”Ultra man”である。英語では間違っても「ウルトラ」とは読まずに「アルトゥラ」に近い。特にいけないのが "a" の読み方で、これが素直に「ア」となる例は少ない。ここで取りあえずまだ採り上げていない例を挙げれば "oasis" (=「オアシス)で、実際は「オウエイシス」と表記するのが近いだろう。

「言葉の誤用」:
これが恐ろしいのである。多くの方は何ら躊躇わすに「無邪気か純真」を「ナイーブ」と言われる。英語ではそういう意味ではない。この言葉を使って”You are naive.”等とうっかり言えば、向かい合っている相手に殴られても仕方がないくらいの誤用である。自分のことを謙遜して言うのなら兎も角、相手を貶している言葉だ、くらいは心得ておくべき。

「発音」:
最後にこの問題を。「お座り下さい」の意味で言う”Sit down, please.”を絶対に「シット・ダウン」のように発音しないことである。「シット」を素直に英語にすれば”shit”となる。これはかの松本清張が誤解・誤認識していた"slang" 「スラング」ではなく「汚い言葉」= ”swearword” に分類されている。教養ある人が絶対に公共の場では使わない言葉の代表的なものの一つである。こういう発音を教える学校の先生方の猛省を促したい。”shit”が何を意味するかはここには書かないことにする。

その和製英語類の分類であるが、私は“和製英語=造語”、“ローマ字式発音”、“言葉の誤用”の3種類に分けて、これから先に論じていくので宜しくご期待のほどを。

続く)


五輪会場の計画見直し

2014-06-11 08:18:47 | コラム
舛添都知事はコスト削減を叫ぶ:

この件はかなりな波紋を巻き起こし、スポーツ団体の長も異論を唱えているとか報じられている。

民主党政権批判を繰り返してきた私は、舛添都知事の発言は如何にも突然の豹変の如くに聞こえるとは思うが、その根っ子は鳩山と菅の元総理の失政にあると断言したい。

前者は「コンクリートから人へ」と一聴格好良いことを唱えた結果多くの中小に工務店が人員縮小から廃業へと進み、建設業界に多大な悪影響を与えてしまった。そのために熟練度の高い技能者が激減しただけではなく東北の復興・復旧に遅れをもたらしたではないか。

菅元総理はリベラル派に絶賛された原発停止を実行して、エネルギー・コストの高騰をもたらした。これが諸材料費の高騰を導き出したのは明白だ。私はこれらの失政については、彼等を選んだ一部の国民の皆様の責任は重大だと唱えてきた。

即ち、一連の失政の後で都知事に打って出た舛添氏の見通しにも問題なしとはしないが、スポーツ界が責めるべき標的は民主党とその代表者だった連中ではないか。あのような政策を講ずればこうなることはそれほど難しい見通しではなかったのではないか。

安倍内閣は民主党政権の悪しき?置き土産の原子力規制委員会の委員を二名差し替えたが、スポーツ界はその効果が早く出ることに期待をかけることではないか。