新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの南部訛りの英語

2016-03-07 08:10:07 | コラム
何故南部訛りが軽んじられるのか:

前回、南部訛りを語るなどと途方もないことを言い出してしまったのを、今になって少し後悔している始末だ。これは容易ならざる話題であり、一口に「南部訛り」と言っても日頃からアメリカの英語に馴染んでおられない方には、何を言いたいのかが直ぐには理解して貰えないかと危惧する。そこで、先ずWikipediaからその冒頭を引用して概論の代わりにしてみたい。

<南部アメリカ英語(なんぶアメリカえいご、英: Southern American English)はアメリカ合衆国南部地方の、南北はヴァージニア州・ウエストヴァージニア州、ケンタッキー州からメキシコ湾岸まで、東西は大西洋岸からテキサス州の大部分にかけての地方で話される英語の方言。アメリカ合衆国の中で最大の方言グループをなしている。地域ごとに方言が異なるため、南部アメリカ英語はより細分化することができる。南部地方は歴史的にアフリカ系アメリカ人とのつながりが強いため、黒人英語と類似する点を持つ。

南部アメリカ英語方言はニューヨーク・ニュージャージー方言など他のアメリカ英語方言と同様に偏見を持たれることがしばしばある。そのため南部アメリカ英語話者は「ニュートラルに聞こえる英語」(標準アメリカ英語)を好み、南部方言に標準アメリカ英語を混淆させたり自分たちの言葉から南部独特の特徴をなくそうとしたりする。しかしこうしたことは語彙よりもむしろ音声体系において南部アメリカ英語に変化を引き起こしている。>

これで如何なるものかを少しはご理解願えたと思って、話を進めていきたい。極めて簡単に言えば、Wikipediaにも述べられているように黒人(アフリカ系アメリカ人と表現するのが”PC”=political correctness またはpolitically correctであるようだ)に対する差別と無縁ではないようだ。一般的には”Southern accent”とか”Southern drawl”などと言われているように、何処か歌うようにと言うか「揺蕩う」(タユタウ)ようにゆっくりと話すのも特徴の一つだ。その詳細はWikipediaにあるので、興味と関心がある方はお調べを。

さらなる特徴は、”non-rhotic”という聞き慣れない言葉で表現されている「語の末尾や子音の前で/r/を発音しない表現」とあるように、例えば”sore”という単語を”saw”のようにブッキラボーな発音をするのも特徴である。また身近な例では、アフリカ系アメリカ人は「私」を表す”I”のような場合に「アイ」とはならずに「アー」と聞こえるような発音になることが多い。即ち、”I am ~.”が「アー・アム~」のように聞こえるものだ。

私が初めて南部訛りに出会ったのが、1972年にアメリカ南部のジョージア州アトランタに出張して空港を出て、市内のホテルに行くバスを探して空港職員の女性に「バス停は何処」と尋ねた時だった。そのゆっくりとした話し方では何を言われたのかさっぱり解らなかった。だが、いくつかの単語が聞き取れたので、暫くしてその場所が解って”Thanks.”と言うことが出来た。

また、アトランタのオフィスで生粋の地元のマネージャーと約1時間ほどの打ち合わせを終えて会議室を出ると、そこに待っていたニューヨークから転勤してきたばかりの若手のBertに「君は彼と1時間も語り合って話が解ったのか」と聞かれたので「解った」と言えば「信じられない。アメリカ人である自分が聞き取れない南部英語を初めてアメリカに北日本人が解るとは」と嘆いた。

誤解なきよう申し上げておくがこれは決して自慢話ではなく、アメリカ人同士でも屡々南部訛りは通じないことがあるほど特徴があるという例を挙げたものだ。尤も、Bert君が言外に意味するところはニューヨーク生まれの彼の「南部の者とは違う」というpride(意識)があったのではないかと一瞬疑ったものだった。

次に西海岸のカリフォルニア州生まれのエリートの意識を紹介して見よう。第1期クリントン政権のことだった。香港に遊びに行った帰りにノースウエスト航空(現在はデルタになってしまったが)の機内で、エコノミー席で隣に座った若きビジネスマンと語り合った。彼はある大手包装材料会社の香港支社長でスタンフォード大学のビジネススクール出身のMBAであると名乗った。支社長ともあろう者がエコノミー席にいるのは、経費節減で支店の旅費規程をエコノミーと定めたので、支社長が率先して実行しているまでだとも言った。

その会話の中で私が偶々「クリントン大統領の南部訛りは余り褒めたものではないと思うが」と言った途端に彼が握手を求めてきて「外国人である貴方がよくぞ言ってくれた。我々は合衆国大統領たる者はもっと正調な英語で話してくれと思っている。あの南部訛りを聞いていると胸が悪くなる」と言ってのけた。ここまで来ると、最早差別発言に近いものを感じざるを得なかった。解りやすい彼の訛りを挙げれば「私」を「アー」としか発音出来ないのだ。

我がW社ジャパンの社長を長く務めたWEF氏は全く何の訛りもない綺麗な英語で話していた。だが、ある時に彼が自分は南部のミシシッピ州の生まれ・育ちであると言うので、「それにしては何ら訛りがないのは何故か」と失礼を顧みずに尋ねてみた。彼は「ニューヨークに出てみて自らの訛りに気付いて懸命に努力して言わば正調のアメリカ英語に直したのだ」と答えてくれた。この辺りにも、南部訛りというものがどのような目で見られているのか、あるいは耳で聞かれているのかが解ろうというものだ。

F氏は言った「ニューヨークの英語は恐ろしいほど早口だった」と。アメリカ大統領選挙関連の情報で採り上げた「ジャンプボール状態」と競争の状況を語った元大学院大学教授氏もニューヨーク州の生まれと育ちで、彼の早口を部下たちは「彼は今話している言葉が終わらないうちにもう次の単語を言い出している」と揶揄していた。南部訛りはこのように早口にはならず、ゆっくりとした歌を歌われているように聞こえるものだ。


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