新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月26日 その2 近頃気になっている事柄

2016-12-26 16:59:30 | コラム
私の気懸かりな事柄:

(1)東大野球部の宮台投手:
数日前のYahooのニュースで、未だ3年生の彼が来年はプロ野球を目指す気があると報じていたのは大いに気になった。何でも150 kmだかの速球を投げるし、過去3年間に4勝だったかの実績を引っさげての考えだとか。「お止めなさい」と言ってやりたい。どうしてもと言うならば、先ずは彼の出身校である湘南高校からプロ入り第1番目で、何年もプロにいないで引退した高校27回卒の大先輩、佐々木信也君に「プロ野球とはそも如何なる世界か」を尋ねてからにすべきだ。

私は宮台君の投球をテレビでしか断片的に見ていないで言うのは無理があるかも知れないが、あの程度の体格と出身校の痩せたりと雖も未だに神奈川県有数の進学校である体質と、野球部の強さ(弱さ?)を考える時に、あの学校始まって以来の素質と評価していた28年度卒で慶応から信也君と同様にプロ入りした湘南では投手だった衆樹資宏でさえ、辛うじて外野手でプロでレギュラーになれた世界である。ましてや、折角東大にまで進学出来た頭脳を他の分野で活かすことを考えるべきだとも言いたい。

これ以外に是非とも言っておきたいことは、信也君がプロ野球選手継続を断念した理由に「体育会出身者の世界では、彼の知性は不向きだった」と、然るべき筋から聞いたことがあるからだ。宮台君が高校から大学と経験している運動部の世界は、プロ野球の厳しい世界とはどうも大いに違うような気がするのだ。過去に東大からプロに入って成功した例がない。歴史を塗り替えようという「意図は壮なり」は湘南の校歌の3番にあるのだが、歌っているだけにしておくべきではないか。

(2)恥知らずの巨人の補強:
次も野球でプロ野球の「巨人軍」の何十億円だかを投じる例によって例の如き懲りないFA選手かき集め補強である。16年のシーズンでは広島にあれだけ離された2番に終わったからと言って、子飼いの選手を育てる意志を全く見せない既製品を金に飽かして買い集める補強には、反巨人として「またかよ」とウンザリなのだ。それだけではない、またもや他所から伸びしろに乏しい古手を買い集められては、余程のことがない限り出番が回ってきそうにないドラフトで捕ってきた前途有望だったはず若手を失望させるだけだろう。読売の首脳部は何時までこんな姑息な手法を採り続ければ気が済むのかと、高橋由伸に替わって嘆いておきたい。

(3)オリンピックを巡る混乱:
ここもスポーツ関連かも知れないが、何時、何処で果てるのかも知れない様相を呈してきた「オリンピックの費用と競技会場を巡っての混乱」にはそろそろ口が開いたままになってしまう気がしてならない。私はそもそもオリンピック開催に余り関心がなく、と言うよりも2020まで生存可能かどうかと密かに気になっていたし、「おやりになるのなら精々おきばりやっしゃ」程度の興味だった。

だからと言うか何と言うか、何時何処で誰が任命したか依頼したのかも関心がなかった森喜朗元総理大臣が会長にお座りになっている「組織委員会」なる大組織がお国の命令ででも設置され、その会長様の号令一下招致した東京都もその下部組織として手足の如くに動くものかなくらいに考えていた。更に、鞠躬如として動きそうな舛添前都知事が資金面でも実務面でも補助する役割を担うのかなとも思っていた。

ところが、週刊文春に7回も特集記事を組まれた舛添都知事が失脚して小池新都知事が現れるや否や、様相は一変して社長も経理部長もいなかった組織だったと都の改革委員会だったかに面罵された。今日までの組織委員会から見れば(私が彼らの立場にいればか?)「平地に乱を起こされたか」のような混乱状態に陥ってしまった。しかも事態はそれだけに止まらず、舛添都知事の在任中だったかに国立競技場再設置とエンブレム問題では、どう見ても醜態としか思えない手違いを誰かが起こしていた。

小池都知事はこの事態を総合して何処まで立て直そうと意図されたかは知る由もないが、先ずは冗費削減から鋭く切り込まれたのは良かったのだ。だが、ここでも「意図は壮なり」だったが、都知事の行く手には色々と障害も多かったし、一方の豊洲では「盛り土も問題」というこれまた予期せざるややこしい問題が掘り起こされ、本来の行政に加えるにマスコミが恰も芸能ネタの如くに連日面白おかしく扱う「小池対森」の争いの如くに矮小化されていったのだった。

私は何処の誰が社長の如くに振る舞おうと、どの組織が上部に位しようと、ここまで来れば誰かが自発的にでも良いから立ち上がって「俺が大将だ」との名乗りを上げて快刀乱麻を断つの如くに、このあちこちで文句を言い合い、勝手気ままに振る舞っているだけの組織を纏め上げ、IOCだの何だのと欧州の貴族遊びの連中に一々お伺いなどを立てずに、運動選手上がりの世間知らずの団体に口を挟ませずに、世界に恥じない冗費を省いた立派なオリンピックになるように突き進んで貰いたい。世界がどう見ていようと気にせずに、我が国は世界で最も優れた組織力がある国だと(優れた都、かな)見せて欲しいものだ。


A child of mixed racial origins

2016-12-26 08:17:27 | コラム
混血の選手たちが活躍する:

私はこの「混血」という言葉の持つ響きが、所謂“political correctness”に抵触すると危惧して使ったことがなかった。英語でもこれに相当する言葉乃至は表現を聞いた記憶がなかったので、たった今「プログレッシブ和英中辞典」を引いてみた。それが件名とした“A child of mixed racial origins”として出ていた。他には“mixed blood”というのを聞いたことがあるが、これは和製英語だと思っていたしPCかと思って使ったことはない。

こんなことを言い出した訳は、昨25日に何の興味もなくNHKの全国高校駅伝だったかの中継にチャンネルを合わせると、女子の部で先頭を追いかけて走っていた女子の姓名に違和感があったので注意してその女子の顔を見ると、上記の“mixed racial origins”でお父さんがアフリカ系だと解った。その女子は快走して9人を抜き一気に首位に立ったのだった。なるほど血は争えないものだと感心していた。次の区間には別の高校にアフリカ系の走者がいたし、アフリカからの留学生をエースとする学校もあると知らされた。

このような傾向は陸上競技だけに限らず他の競技にも徐々に目立つようになってきた。最も広く知られた例には、リオデジャネイロ・オリンピックの400 mリレーで2位に入った4人の中にジャマイカ人の父親を持つケンブリッジ飛鳥君がいたし、楽天イーグルスにもオコエ君がいるではないか。その他にも私が知る限りでも、女子のヴァレーボールとバスケットボールにも将来有望とマスコミが保証する選手がいる。ラグビーでは代表選手の中にいる松島幸太郎の父親がアフリカ系だったと記憶する。

こんなことを言い出すと、私がこういう傾向を否定するのだと思われそうだが、決してそんなつもりはない。“A child of mixed racial origins”の人たちは世界の何処に行っても当然のように沢山いるのであり、我が国のように自分たちは純血の民族だと信じ切っていれば「混血」などという言葉が出来て普通に使われていると私は考えている。アメリカに行ってご覧、UK系、フランス系、ドイツ系、イタリア系、ノールウエー系等の北欧系、アフリカ系、ヒスパニック、アジア系、それに日系がいて、それぞれが入り交じってアメリカが形成されているのではないか。“mixed blood”などと言いだしてはキリがないのだろう。

しかし、私が思うにはスポーツ界ではアフリカ系の“A child of mixed racial origins”は概ね優れた身体能力の所有者で、中学や高校の時点で我が国の代表選手級の力を発揮することが多い。私はラグビー界の「その国に3年以上いてプレーした実績があれば代表選手になれる」との制度に納得がいっていない、言うなれば「感性に基づいた愛国精神」の持ち主である。何も“A child of mixed racial origins”の選手の活躍を否定するものではないが、我が国にこれからもこのような選手たちが数多く現れて「世界」で活躍する時代が来てしまうのだろうと考えている。

それ即ち、アメリカのMLB、NFL、NBAに見られるように、優秀な選手たちが圧倒的にアフリカ系であることと似てくる時代が来るのではないかと思わせるのだ。これと似たような現象に卓球(ピンポン)の世界を見ていると、強豪国と言われるところでは、どう見ても中国系と思わせる選手が多いことだ。私はこの傾向を中国のように優れた選手が多い国では、代表選手になれないような強い者が機会を求めて他国に出て行っているのだと解釈することにしている。

再び言うが、私はこの傾向を否定する意図はないが、これがある意味でのスポーツ界の「国際化」だと見て良いのだろうと考えている。我が国は欧州等の先進国ではこれ以上人口が急増することは見込めないと思うので、今度ともアフリカ系やアジア乃至は中国系の運動選手が各国で増加するだろうし、EUを悩ましているように合法・非合法を問わず移民が今後とも増えていくと推定出来るので、“children of mixed racial origins”の優秀な選手も我が国以外でも増えていくのではないかと考えているのだ。そこまで行くとここには政治問題の陰も見える気がするのだが。